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ブルガリアの航空機メーカー その② 国営航空機工場「DSF・ロヴェチ」

※この記事は、個人ウェブサイト( https://pier3.penne.jp/bulavia/top.html )に掲載した記事(https://pier3.penne.jp/bulavia/aflist1.html)を基に執筆したものです。


【国営航空機工場「DSF・ロヴェチ」】

ブルガリア語: Държавна самолетна фабрика (Ловеч)
※1950年代初頭に「第14工場」(Завод 14)に改称
1940年設立・1954年閉鎖


DSFで設計され、160機が製造された「ZAK-1」(2011/3/8、撮影者:Gonzsoft ,Licensed under CC-BY-SA3.0)

 ブルガリア北西部のロヴェチ市に建設されたメーカーである。正式な名称は単に「国営航空機工場(Държавна самолетна фабрика)」であり、頭文字のD・S・F(Д・С・Ф)をとって「DSF」と表記されることが多いが、1942年に設立されたDSFカザンラク工場と区別するため、所在地のロヴェチをつけて「DSF・ロヴェチ」と表記されることもある。

 1938年7月のテッサロニキ協定(サロニカ協定)締結により、ヌイイ・シュル・セーヌ条約によって課せられた軍用機保有・エンジン馬力に関する制限が撤廃されたことから、ブルガリア政府は従来の「DAR」ボジュリシュテ工廟に代わる新たな航空機製造拠点の設置を計画した。ポーランド人技師の設計による本工場は、それまでのDAR・KB工場とは一線を画す大規模なもので、1939年より建設が開始された。
 建設開始当初の計画においては、ポーランド製PZL P37C型爆撃機を150機、チェコ製アヴィアB-135型を50機生産するとともに、DAR-10型機など従来の「DAR」製機体についても設計・量産化を進めるとしていた。しかし第二次世界大戦の開戦、およびブルガリア王国の枢軸国側での参戦によって情勢が激変したことから、これら生産計画は白紙化された。
 1941年に完成・稼働開始した本工場では、DAR-9型練習機の量産およびDAR-10型襲撃機の開発が進められるとともに、空軍が運用するJu-87R/DIL-2、また鹵獲されたYak-9Po-2の再生・整備が行われた。また、ドイツ占領下のチェコスロバキア(ボヘミア・モラヴィア保護領)よりB-135型機12機分のパーツが輸送され、組み立てが行われた。
 第二次大戦後、ブルガリアは共産党政権の成立によって東側諸国の一員となった。戦後すぐ、本工場では戦時中に残されたパーツを用いてFi 156「シュトルヒ」(ドイツ製軽飛行機)を少数生産し、これら機体は当時内戦中であったギリシアの共産主義ゲリラへと提供されたとされる。
 1948年、本工場は液冷エンジン複座多目的機「Laz-7」の製造を開始した。技師ツヴェタン・ラザロフらの手によって、わずか40日という短期間で製造されたこの機体は、1948年から1951年までの間に合計163機(試作機含む)が製造される成功作となった。工場では続いて共産党幹部向けの4人乗り軽飛行機「Laz-8」の製造、および空冷エンジンの多目的機「ZAK-1(Laz-7M)」の生産(1951年から54年までの間に、合計150機が製造)を手がけた。工場ではさらに、Laz-12軽戦闘機の試作、ソ連製Yak-12多目的機のライセンス生産を行った。なお本工場は1950年代、機密保持のために「第14工場」(Завод 14)に改名された。

 1954年、共産党政権は「第14工場」に航空機製造の中止を突如として命令した。工場は自転車工場へと転換され、その後も幾度かの業態転換を経て現在では「バルカン」(Балкан)オートバイ・自動車工場として操業している。

 本工場では、以下の6機種のオリジナル設計機が設計・製造された。

DAR-9 "シニゲル" 初等練習機(1940~) - DARボジュリシュテ工廟で製造されていたものを引き継いだもの。
DAR-10A/F"ベカス" 襲撃機/軽爆撃機(1940・1945 試作のみ) - DARボジュリシュテ工廟で設計・試作されていたものを引き継いだが、量産化は見送られた。
Laz-7 練習・軽爆・グライダー曳航機(1948~) - 試作機3機を含め、合計150機が製造された。
ZAK-1 練習・軽爆・グライダー曳航機(1952~) - Laz-7の後継機で、合計160機が製造。当初はLaz-7のマイナーチェンジ版と位置付けられていたため、"Laz-7M"と表記されることもある。
Laz-8 輸送機(1949~) - 1機のみが製造された4人乗り輸送機で、ブルガリア共産党に引き渡されて大統領専用機として使用された。
Laz-12 軽戦闘機 (1953 試作のみ) - ZAK-1を単座戦闘機に回収した試作型。

 他にも、同工場所属の技師ツヴェタン・ラザロフによるペーパープラン機が複数存在した(Laz-9練習機、Laz-10Hヘリコプター、Laz-14ジェット練習機など)が、これらの機体は政治的事情により計画のみに終わった。また上述したとおり、外国製機体のライセンス生産/コピー生産も行われた。

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