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春休みが終わり、いざ進級へ

3/25から始まった12日間の春休みも昨日でおしまい。たった二週間弱なのに私にとっては3月が遠い昔に感じるくらい、のんびりと過ごした12日間だった。

今年の春は家にいた春休み。
幼馴染みとゲラゲラ何話しても笑いながら遊んだり、家族でアスレチックにいった以外は特にだれとあそぶでもなく家族で過ごしてることが多かった。

遊びたいエネルギーを持ってると思ってた末っ子ですら、今はそういう気分じゃないかな~、となんだかゆっくりのっそり、気ままに過ごしていた。

小中高のトリプル1年生が終わり、今日からトリプル2年生へ。

2019年、1番目が中学生になった年

去年、2022年は高1、中1、小1。
かつてこの年をいつか迎える前までのイメージはみんなが自分で行く学校の歳になったことできっといまの手がかかる時期と違って楽なんだろうなあ、と見ていた。
小学生2人と2歳児を抱え腰痛やらなんやらでいっぱいいっぱいだったあの日。
数えて数年したらこの頃には手がはなれてるのかなー、なんて。
···なんて思ってた。

実際は肉体的には離れたがメンタル的にはイメージだけでこどもをみていたな、と知る。ええ、そんなことはなかった、うちの場合は。

それでも2回目の中学生の親、は初めて中学生の親になった4年前、2019よりはマシだった。

2019年に始まった、中1、小4、年少の3人の親の年。
いろんな中学生ルールやまわりの変化にショックを受け、それまでのすくすくまっすぐ自我形成!みたいな子だった1番目はそれまでの自分との葛藤や、色んなものに対しての怒り、苛立ちでいっぱいになって中学は行かなくなった。
こちらも親としては中学生という時期がどんな時期かはかつて、30年くらい前の自分の体験しかないのだから中学生の中で起きてる心理的な変化、身体の変化、そのホルモンバランス影響からくる荒波は正直わかってなかった。

そういうのに対処するのは初めてだからことごとく1番目とは闘って、振り返ってみれば彼女の価値観とこちらの価値観による、何気ないこうしたら?はあ?したくない!!の意見のぶつけ合いと、見えないながらに彼女の辛い想いを汲みたい気持ちと、それまでの私自身が生きてきた基準からみた、これはワガママに入るのか?理解したいがそうはいっても彼女の答えへの理解のできなさや、学校に行かないならどう過ごす時間の機会を与えるべきなのか?など漠然と描いていたわたしのなかの中学生イメージ、中学生の親から脱皮するような日々だった。

そんな毎日嵐のように闘いがある一方で2桁の歳への入り口にたち高学年へ足がかかったことで勉強に困難さを感じ出した2番目と、幼稚園という社会デビューを果たした末っ子。
勉強をみたり、降園後の外遊び、人付き合いが始まり、物理的に時間が彼ベースで溶けていく。

下の2人は自我自体に嵐は起きていないが、そもそも中学も小学校も幼稚園も行事や懇談会はあるし、歯医者に眼科、耳鼻科と子ども3人のスケジュール管理と書類の多さも加わってそれまでの暮らしから一転しどうこなすか、どう向き合うか、どう支えるかの慣れるまでがきつかった。
そして1年をかけてようやく慣れてきた矢先に今度はコロナという世界全体に及ぼす影響もあってそもそも学校も社会自体も混沌に飲まれていったように私には見えた。
そんな初めての中学生の親であり、3人の親を過ごしたのが4年前だった。

2022年度2度目の中学生の親。


2回目に中学生の親にしてくれた2番目は疲れやすい&勉強が大変になると思われる子だったが部活もやっぱり入りたいと初めての運動部にも挑戦し、なにもかもチャレンジ態勢。
クラスの子とのやり取りも活発で、おやおやこれはスゴい、と思っていたら1番目とは違う出方なだけだった。
過剰適応していいただけで夏前に限界がきて休みがポツポツ現れ始め、夏休み中こそ部活のみ励んでいたがやはりこちらも無理していたようで9月にはポキッとメンタルが折れ、その後2ヶ月試行錯誤をし、みるみるうちに学校への足が遠遠退き、11月には不登校へ。
我が子の考えてることはわからないもんだ、と思った。

一方成長的にはスムーズな3番目もさすが小1の壁、かつての幼稚園と違う学校という世界にはいろんな葛藤があり、こだわり発動で行きたくないが始まって、わりと年中うちの中は人口密度が高い日々がたびたびあった。

ある日の家の中。
娘、通信制高校。在宅。
息子、不登校がち。
末っ子、こだわり発動。
下の2人のいけない日が重なると3人いて、その上リモートの曜日だと夫もいるし、我が家は同居なので夫の父もいて平日昼間だというのに6人いる。
ご飯も作る。
なんなら趣味がお菓子とパン作りなのもあってストレス発散にそれも作る。
つくりながら自分を整えるタイプのわたし的には静かに作りたいし、向き合いのひとつ。
なのに常に誰かに話しかけられ用事を頼まれ、あれよあれよととられるマイ時間。
空気が薄い!!少し静かにいたい!わたしのパーソナルスペースは!?みたいなことも多かった。

下のダブル1年生は学校とのやり取りはどちらの担任ともかなり頻繁にやり取りした年だった。学校との連携も慣れたもので、いつ戻ってもいいように、を念頭に入れての動き。
末っ子はたまに休めばなんとかなる程度ではあったので無理せず年数をかけながら慣れさせていく、をスクールカウンセラーとの面談の後、方向性決定。

一方で闘い尽くしたかつての中学生の1番目のサナギ期自体は気づけば脱皮していた。
あんなに起きれなかったのに初アルバイト面接をうけたりおちたり、返事が来なかったりを経て決まったアルバイトでの勤務でぐんと成長を遂げ、心配することは何もなくなった。
ぶつかりあったあの日々に傷つけたかも、と思った表現もちゃんと届いていたようだし、なんなら義務教育を終わった瞬間から急に楽になった。

なにかとサセラレル中学生、は向いてなかったようだが自分でこうしたい!が多い、そして働きたい!が強い彼女は通信制高校という時間の自由を手に入れてスッと手が離れていた。

レポートはさせられてる感はあれども元々勉強は自主的にはできるのでほっといても月を追うごとに提出のための工夫はなされていった。
どちらかというと中学に辞めます、と言って出てってから久しぶりになるスクーリングへの登校のほうが困難だった。

学校なんかあわない!とぶつっと行かなくなったため、その学校という名自体への抵抗も、初めての場所へいく抵抗もあって、県外の学校だったのでちょっとした旅レベルになる登校はわたしも同伴することに。
さすがに1人✕初ホテル✕登校✕知らない人✕未知の授業=不安MAXだった。
それでも年2回のスクーリング、初日の朝はいつも憂鬱そうだけど2日目の朝は自分でスッといけるので初回が苦手なだけなんだな、と自覚をつける親子共々だった。

そんなかんじに目の前で一歩さきをみせてくれてる上の子がいるので、その成長をふまえてみるならサナギ期に入った息子はこれから壁とどう付き合いながら残り2年間を過ごしていくか、延々とチャレンジ&挫折、修正の連続だろうし、飛び立とうとするこすずめをみるのに近い心境はまだまだ続く。

末っ子は担任の先生とのやりとりで無事に年明けには小学生に慣れていった。

振り返ってみればそうだ、それなりにやっぱり大変だったんだ。
どんな子育ても楽なんかない。ひとりひとりちがって、親子も反応が響き合う。

肉体的にきつかった末っ子が1、2歳、小学生2人の3人も大変だったし。
みんなが育って物理的に時間ができるかな?なんていってた中学、小4、年少も。
そしてきっと手が離れてるにちがいない、なんて夢見てたわたしになめんな、成長とは個人差がある!!と強く言いたいトリプル1年生だった去年も。

毎回毎回、現実とイメージの解離の擦り合わせ。

わたしだって上の子のときのスクールカウンセラーが相性がイマイチでどうしようか、と思った。それでも頼る先がないから前の先生と変わった2番目のこのスクールカウンセラーの先生にあうまではドキドキした。
よかった!今度はうまく相談したり、連携していけそう!!と。
トライ&エラー。

子育ては楽しい。
人の成長は個人差があれども必ず伸びていく。どんな芽吹き方をしらどんな方向へいくのかわからないけれどこうして17年めの春を迎えることができて。

なにはともあれ世のお母様達、こども達進級進学。新しい世界おめでとう。