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車谷長吉が結構好き。


私が、小説家としてすごい実力を持っているなぁと思う人は車谷長吉です。
反時代的毒蟲として、世に疎まれるような私小説を書き続けてきた人ですが、車谷長吉の私小説は、おそらくはそのほとんどはフィクションであると思われます。

どこから何処までが本当なのかは定かではありませんが、彼の文学論である、【小説には虚点が必要である】ということを紐解いていけば(車谷曰く、牛の肉を食った、では駄目で、虎の肉を食った、という虚点が文学を文学足らしめているとのこと)、彼の導き出した小説の方法論というものは、私小説のエンターテイメント化なのではないかと思うわけです。彼の私小説は本当にしては出来すぎていて、軸は確かに様々な作品で共通しておりますから、本当なのでしょうが、それを上手く糊塗することに長けていて、抜群に面白い小説に昇華しています。

とにかく文章力も高く、教養が伺え、語彙力も豊富で、小説家として最強だと思いますが、然し、大衆文学ではないのが玉に瑕。
奥様に「私は本を3冊しか持っていない」と言いながらも、家に行くとその実千冊を超える蔵書がある点も、その実力に裏打ちされています。
あれだけの文章を書く人間、やはり如何に読んでいるか、知識を蓄えているか、それが伺えます。

彼の作品はどれも面白いのですが、『贋世捨人』、『漂流物』、『赤目四十八瀧心中未遂』の世捨てシリーズはやはり読んでおきたい一品です(個人的には『三笠山』が最高傑作だと思っています)。基本的には主人公が播州飾磨の生まれで、若いときに新潮の賞の候補になって、然しその後低迷して、9年間下足番をやって、そこからまた38歳で上京して小説家を目指す、という大まかな流れが共通(いつもその話ばかりです)しています。
『贋世捨人』がより純化、神話化されたのが『赤目四十八瀧心中未遂』で、これで直木賞を獲っていますが、内容的には芥川賞の対象です。ただ、芥川賞よりも頁数が多いため、直木賞候補になったと本人は言っています。
『贋世捨人』はコミカルな内容で、意外に軽やかですが、『赤目四十八瀧心中未遂』はそれを更に情念の世界にまで堕としていて、そこで描かれる世界の迫力はすごいです。
ただ、基本的には作者自信が世捨て人を目指している割には(いつも京都の寺に出家したいと言っているが、結局はしない)、ものすごい俗物、直木賞や芥川賞などの文学賞に執念があり、慶応出をちらつかすなど、すごい名誉欲とかに取り憑かれている様を見せていて、だからこそその自分の姿を客観視し、自らを贋世捨人と斬り捨てるわけですから、その小説の強度はとてつもなく強い。特に、それが深化した『赤目四十八瀧心中未遂』のラスト数ページは、世捨て人を標榜した結果、どこまでも自分が紛い物であることを見せつけられる強烈なエンディングで、余韻が凄まじいです。

『漂流物』は下足番の時を舞台にした物語で、彼のアパートで酒を呑んでいた先輩が物語る、落ち続ける男の話で、この幻想性はちょっと他にはない後味で、幻想文学としても通用するほど、不可思議な匂いを湛えています。

『贋世捨人』で書かれた言葉、【小説を書くっていうことは、風呂桶の中の魚を釣ること】という信念で書き続けた現代の文豪の一人だったと個人的には思っております。

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