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1億総中流では0点は生まれないが、100点も生まれない(当たり前)

1億総中流とは、日本国民の大多数が自分を中流階級だと考える意識を指す。
つまり僕は社会全体に中流という意識の遺伝的アルゴリズムのようなものが働いていると仮定する。

各個人の適応度は中流かどうかで評価される。
適応度に基づいて、次世代の生成のために個人が選択される。高い適応度を持つ個人ほど、選択される確率が高くなる。
選択された個人のペアから新しい子を生成する。

コンピュータの場合はこの先に、突然変異により、新しく生成された個人の遺伝子にランダムな変更が加えられて多様性が維持される。

しかし1億総中流且つ、日本のような集団主義的な社会においては、突然変異が起きても評価されず選択されないため、1世代で途絶える。平均から外れた行動や考え方は受け入れられにくく、淘汰されてしまう。

この一連の流れの厄介なところは、社会のように問題が複雑な場合、局所最適解に収束してしまうリスクである。これは全体の最適解を見つけることを妨げる可能性がある。
局所最適解への収束を避けるためには、多様性の維持が重要だが、この一連の淘汰が長期間にわたるほど、維持することが困難になる。
そして社会では既得権益が固定化されていく。

僕の観測する限り、個人主義を重視するアメリカでは日本ほど強くこのような遺伝的アルゴリズムが働いておらず、結果として相当数の適応度が低い個人が存在し、少数の上流階級が存在している。
イノベーション、社会的変革、サイエンス領域における飛躍的な進捗は、少数の天才によって支えられていることが多いが、中流である平均的な人が外れ値である0点と100点を見分けるのは難易度が高い。

社会的には相当数の0点が存在することによる弊害も多く、また0点と言ってもそれは人間個人であることから、無視はできない。アメリカはダイナミックな競争と格差がイノベーションを生みやすい一方で、所得格差は主要国の中で最も高い。

平均的に良いものだけが選択される安定した社会が長く続くと、硬直化が進み、変化に対応しにくくなる。そのような社会は大きな外的ショックに脆弱で、一度崩壊すると再建に時間がかかるのだ。

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