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【手帳術】 手帳の使い方を過去・現在・未来で切り分けた(過去編 その1)

「過去編」と書いたけれど、過去を振り返る話ではなく。
1冊の手帳で過去・現在・未来のすべてに対応するのは無理があるんじゃないかと気づいて、使い方を変えてみたという話です。

「未来編」では「スケジュール管理=やがてくる未来」と捉えて、手帳ではなくてスマホで管理した方が便利で都合が良かったということを書きまして、この「過去編」では通り過ぎた過去に対して手帳でどう対応したか、その辺を書いてみました。

手帳の使い道をざっくり分けるとスケジュール管理(未来)と日記・日誌といった行動記録(過去)なんじゃないかと思います(進捗管理という難しい問題が別にあるんですが、それはひとまず脇に置いておきます)。

私は過去と未来を一冊の手帳に同居させるのはかなり無茶だなと思っています。
予定と結果を見比べて「予定通りに進んだ!」と喜ぶ体質でもなく、予定に縛られるのが決して好きではない性格なので、スケジュールは相手の方に迷惑をかけないために、日記は全部自分のため、みたいに考えてます。
使い道が違うなら、1冊にまとめる必要もないので、日記は手製の無地のリフィルを使っています。

どうして既製品のダイアリーを使わないのか。
理由は、既製品の宿命の1日1ページみたいな割り当てが窮屈だから。
毎日を生きていれば、何かを書き記しておきたい出来事が立て続けに起きる日も、波風も立たず1日が凪いだまま終わる日もあります。
1日1ページという制限のために書き足りないのも嫌ですし、何も書かないままの空白ができるのも嫌で(空白を作らないために義務感で無理やり書くのはもっと嫌)、そのためには1日に何ページ使ってもOK、書かない日があっても空白にならない無地の手帳やノートは実に具合がいいというわけです。

日付が印刷されている手帳や日記帳が良く思える、1年を通して使いきった時にキチンと印刷・製本された「書籍感」があるからなんじゃないか。そんなふうに思います(私には合わないけれど、わかります)。
整っている感じ、既製品感に惹かれるのは人間の習性なのかもしれません。

日用大工などでも工業製品のように完成度の高いものを作る方がいらっしゃいますが、私としては手作り感がちゃんと見える方に惹かれるので、そこは好き好きなんでしょう。
私は不器用ですし、字も汚いし、美しさを目指すのは無理がありますから、日記については「自分にしか残せない自分の今日をできるだけ記録する」ことを大命題にしているというわけです。

見た映画のチケット、友達の個展のDM、その日に撮った写真、買ったTシャツのタグ、慌てて取ったメモ、なんでも貼り込んでしまいます。
リフィルを1冊使い終える頃には貼り込んだアレやコレやで膨らみますが、その太り加減がまた、毎日を生きてきた証拠の積み重なりのように思えて、どこか愛おしくもなります。

(”過去編その2”では私の日記の使い方をご紹介する予定)

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