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ノート/手帳には意識して人生を詰め込む

「手帳を振り返ると、人生が詰まっている」みたいなことが手帳術の本に書いてあった。
要は「日々の積み重ねが大切」ってことを言いたいんだろうと思ったし、もちろんその通りで反論の余地は皆無なのだけれど、なんだか結果論みたいな感じが今ひとつ腑に落ちない。
なんでなんだろうと考えてみると、やっぱり結果論って「散歩してて気づいたら富士山のてっぺんにいました」みたいな違和感があるんですね。
手帳に人生が詰まっているのは、自分で詰め込んでるから詰まってるわけで。

手帳やノートが綺麗である必要はまったくないと思ってるのは、人の毎日ってものすごくたくさんのことで出来上がっていて、それは理路整然としてもいなければ、整理整頓もされてない。
そんなとっちらかってるものをチョイチョイと器用に綺麗にするより、乱雑な方が人間っぽさが山盛りで楽しいなあと思うんです。

だから最終的には手帳であれ、ノートであれ、日々を記録するスクラップブックになるのがある種の理想なわけです。
銀座の伊東屋で買った高級万年筆の写真も、箱の中に入っていたリーフレットも貼りこんで、新品の万年筆で最初に使った感想を書き、化粧箱のロゴだけを薄く切り抜いて貼って、最後はレシートまで貼ってしまう。
ここまではまあ良いとして、人の毎日の面白さは、高級万年筆を買って大喜びしている隣に、地元の駅の臨時売り場で買った温泉饅頭の包みとかが当たり前に並んでることなんじゃないかと。

私のノートは無差別級を最上にしていますから、そりゃなかなかすごいです。
映画の半券やちょっとしたメモはもちろん、母親が送ってきた宅配便の送り状まで貼り込んであります。
「送り状なんてどうするの?」と思われるかもしれませんが、母親もいつかはいなくなりますし、母親の字を見られるのは生きているうちなので、荷物が届くたびに送り状を剥ぎ取って、ノートに貼り付けてます。
今は意味もなく、不釣り合いな感じに見えている送り状が、いつか懐かしく思い、私自身を励ましてくれるようになるかもしれないのだなあと思うと、やっぱりスクラップは大切だなと思うのですね。

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