葬式と肩パッド

 私の祖父が亡くなったのは私が高校生の時だった。祖父は大腸癌だったため入院しており、ステージもかなり進んでいたため心の準備はある程度できていた。亡くなったちょうどその日、私はたまたま実家に帰省しており朝方早くに母が病院から呼び出しがあったと血相を変えて出ていったことをよく覚えている。
 そして葬式が開かれることになったのだが、母の喪服の様子がおかしい。肩パッドの主張がやたら強いのだ。当時の母は葬式の準備やら心労やらで疲れ果て痩せていたため細身だったのだが、それも相まって肩パッドの存在感が半端なかったのだ。上半身は逆三角形状態で、機動戦士ガンダ●、もしくはエヴァン●リオンを彷彿させる姿だった。もはや存在の本質が母親なのか肩パッドなのか見分けがつかない状態だった。葬式前に、家で試着姿を見ていた姉や私はもう大爆笑だった。ベタだが床に拳を叩きつけるくらいには面白かったのだ。
 ちなみに、このブログには1度も登場はしていないが我が家には父親がいる。一応存在はしているのだが私が小学生の頃には海外に単身赴任していたため家にはいなかったし、我々との関わりはオブラートよりも薄かったため、特段思い出もないのが事実である。この父親は祖父の葬式にも顔を出さなかったのだ。母が疲れ果てるのも理解できるしついでに家庭の歪みも垣間見れたわけである。
 それはさておき、葬式当日、母は司会進行としてその身姿を公衆の場にお披露目したわけであるが、やはり何度見ても肩パッドのインパクトが凄まじい。葬式会場をいとも簡単に破壊させそうな風格を漂わせた母が時折涙を拭いながら司会を務めるという、認知と視覚が噛み合わない奇妙な葬式が始まった。
 肩パッドに身体を乗っ取られた母を眺めながらあれで刺されたらひとたまりもないなと思っていた時、私の隣に座っていた従姉妹が早速肩パッドの餌食になり、必死に笑いを噛み殺して震えているのが視界に入った。釣られて衝動的に笑いそうになり必死に私も笑いを噛み殺した。なんとか悲しいことを思い出そうと頭を巡らせ笑いの波に呑みこまれぬよう必死に足掻き続けた。
 今振り返ると葬式の時に笑いを堪えるなんて不謹慎だなぁとは感じる。だが、泣こうが嘆こうが、もう祖父は戻ってこないのだ。だからこそ、ああやってすぐに気持ちを切り替えることができたのは非常に良かったと今は感じる。いつまでも悲しまれるより家族みんなが笑顔の方が、祖父もきっと嬉しいだろう。例えその笑顔の要因が肩パッドだったとしても。

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