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あの青春の.1

 まずは四月辺りの記録から見ていく。
「4月6日 今日は入学式でとても緊張しました。太鼓クラブや水そう楽の人達の演奏がとてもすごくてかんしんしました。これからは中学生なので自覚をもって何ごとにも取り組みたいです。」
簡単な漢字を面倒くさがって書かないあたりがまさに中学生らしい。吹奏楽の「吹」を「水」に書き間違えているあたり、詰めが甘いというか当時の自分のポンコツさが滲み出ている。内容に関しては平々凡々といったところであろう。
「4月9日 今日は国語の時間がとても楽しかったです。自分から積極的に答えられて、よかったです。あと、先パイ方や先生たちにしっかりあいさつできてよかったです。これからも何ごとにもがんばっていきたいです。」
 なんだか小学校低学年レベルの文章である。これは中学生の時の記録…?もしかして小学生の間違い???と一瞬自分の記憶を疑うくらい稚拙な文章である。加えて、 「何ごとにも」を乱用していて具体的な例を挙げてないあたり、当時の自分が何も考えていなかったことが窺える。それ以降の日に書かれていることは、部活を頑張ったとか交通安全教室があったとか自転車に乗って気持ち良かったとかで、大した特徴は見られず平々凡々だった。
が、ページをめくる度に、つまりは日を追う事に徐々に書かれている内容が段々怪しくなっていく。
「4月17日 今日は練習試合があり、少し試合に出られました。夜は焼肉を家でやりました。私以外、姉と母が腹を壊しました。私はピンピンしていました。なぜだかよかったです。
…少し意味が分からない。書いたのは当時の中学生の自分ではあるが、正直意図が読めない。この文章通りに捉えると、母や姉が腹を壊して苦しんでいることに対し喜んでいるというか、そこはかとない優越感やら愉悦のようなものを抱いている印象を受ける。どうやら私は中学生の時から性根が腐っていたらしい。
 例え稚拙な文章であれ、本人の性格や生き様のようなものが滲み出ているのが日記の愉快なところでもあり、哀しいところでもある。
 もうひとつくらい挙げようと思ったが初っ端からなんだか脱力するような内容だったため、明日以降にする。過去を振り返ると共に当時の自分を理解するのには、時間や労力を要することをたった今、私は思い知った。

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