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車とムンクになった母と

 車。免許を取得する前の人間は、その快適さに憧れ、悠々自適にスムーズに運転する我姿を思い浮かべたことが多かれ少なかれ1度はあるのではないだろうか。少なくとも私はある。多々ある。現在免許を取得しているため正確にはあった、となる。
 免許をとる以前は、運転ができる人はカッコイイ、等といった安直な憧れを抱き、おっさんであれおばさんであれ女関係でだらしない側面を持つ先輩であれパチンコ好き兼ヘビースモーカーな友人であれ、つまり普段無難に生きている、もしくは倫理的にマイナスに振り切れそうな側面をもつ人間であったとしても、ひとたびハンドルを握り軽々と車体を自由自在に動かすその様をみると感嘆の念を抱かざるを得ない。ヨボヨボでいつ天に召されてもなんら不思議ではない齢のご老体がサクッと駐車している姿にも感嘆する。感嘆感嘆。これが感嘆から「簡単」といった思考に至るとあぶない。そんな思考に陥る人間がつまり私だった。
 自動車学校で卒業に苦労したかと言えばそうではない。自動車学校においての記憶はもうだいぶ薄く、バックで駐車する際に危うく教官をひきかけその額に青筋を立てさせたことは克明に覚えてはいるが苦労した覚えはない。効果測定だろうが路上教習だろうが卒業試験だろうが、1度もつまづくことなく卒業できたのもまた事実である。運転がうまかったのではない。教官の教え方がうまかったのが1つ、通るコースがパターン化されているのが1つ、つまりはこの2つの要因で難なく卒業できたと言える。私の学習スタイルは丸暗記である。どのカーブで減速し、どの交差点で何を注意し…等といった運転上、留意しなければならないことはコース事に大体は頭に入っていたので、よっぽどのイレギュラーが起こらない限り慌てふためき走行が乱れること(先述した教官をひきかけた件を覗いては。)は特段なかったのである。応用が効かないとも言える。この、まるで応用が効かないスタイルを貫き卒業した人間が、教習以外のコースを走るとなるとどうなるか。
 早速免許を取得したその当日に母を隣に乗せ、最寄りの駅から自宅まで運転した際、「あ、なんか違うな…こんなに難しかったっけ?」という感想を抱いた。スピードを一定に保つことすらままならなかった。これに際しては、運転するのが久々(学科試験を受けたのは教習所を卒業して3ヶ月後だった。)だったことが起因していると言える。「久しぶりだからかな」と母にこぼすと、「運転は慣れだからねぇ」と頷く。ゴールド免許保持者が言うことを真に受け、まあ、何度か運転したらうまくなるだろう、と呑気に構えていた。
それから度々、母と最寄りの駅や体育館、峠まで車を運転した。スピードは徐々に安定し、特にぶつけることもなく「お、これはうまくなったのでは?運転って簡単じゃん。」という淡い淡い勘違いを抱いていたのも束の間、それは起こった。
 その日は晴れた早朝のことだった。 母親を職場に乗せていくため、車庫から車を出そうと試みた時、車庫の柱と車の間隔が狭くなった。見かねた母が助手席からわざわざ外に出て、「指示するからその通りに動かして」と言う。「はい、じゃあまず後退して」ゴールド免許保持者の声が外から聞こえる。いや、正確にはそう「聞こえた」のかもしれない。車の窓が閉まっていたのである。いや、開けろよとツッコまれそうだがなんせ初心者で尚且つ早朝、そんな気など回らない。親戚が来ても茶を出さず突っ立っていることしかできず五分で親戚を帰した人間が、家庭で育てたじゃがいもを母と姉が掘り返す最中手伝いもせずただただ土をいじくり、通りかかりの近所のご老体に「おめぇ、やっぱり末っ子だな」と評されたこの人間が(末っ子に必ずそういった傾向があるとは言えないと思うが。異論はひとまず置いておく。)指示を聞くために窓を開けるなど、そんな気の利いたことなどする筈がない。尚更ない。
 駄文になったが、つまりはそういう所以で私は窓を開けず、母の声なのかはたまた天のお声なのか、「後退して」の声に従いアクセルを踏んだ。
ドガガガガガガガガガガガ
かなり鈍い音が車体前方から聞こえる。「はて?」と窓の外を見ると、そこにはムンクもびっくり顔面蒼白のゴールド免許保持者、即ち母が「ばか!!!」と叫んでいるではないか!!「お…これは…やってしまったか?」とピンと来た。とりあえず車から降り、鈍い音がした車体の部分に目を向ける。そこは大きくへこみ…というより、もはやバンパーが外れ中の部品が丸見え状態であった。この際、「うわあ!!!」だの「ひええええ」などと派手にリアクションすると共に謝罪の弁を口早にするのが一般的であろうが、私の場合、「やっちまった」と「車ってこんなに脆いのか…」という2つの感想を胸に抱きただ呆然とその場に立ち尽くすことしかできなかった。
 その後、車はもちろん修理に出されもちろん修理費は〇十万かかり、その手配や代金もろとも母が全て請け負ったのであった。謝罪の弁を述べた際、母は「私も悪かったよ。また修理したら運転しよう。」と呟いた。神よ、なぜこのような良心と慈愛に満ちた母に、それ相応の子供を授けなかったのか。果てのない疑問を抱きつつ、自分の母親が、ムンク憑依後でどこか悲壮感に包まれながらも、決して愚かな娘を責め修理費を請求してくることなどない母で良かったと心底感謝せざるをえないのであった。

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