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やすめ

昨日から腰痛にて寝込んでいる。視野にあるのは天井。そして今寝ながらスマホで言葉を選んでいる。

坪庭の草取りをして、やれやれと腰を伸ばしたとたんの腰痛だった。

なにしろあたしの腰椎にはボルトが4本埋め込まれている。脊柱管狭窄症とすべり症のせいだ。

だからお馴染みの痛みではあるのだけれど、どうにもツラい。

寝ていると楽なのだが、立っても座っても痛い。荷重がかかると痛い。かがむとなおさらで、なにしろお手洗いがツラいのだが、行かないわけにはいかない。

とりあえず湿布を貼って、痛み止めを飲む。土曜日の昼過ぎからの痛みだから、医者はお休みだし、医者にいっても、タダノコシイタといわれるだろう。タダノコシイタには湿布と痛み止めしかないのは、経験済みだ。

タダノコシイタではない可能性もあるから医者に行くわけだが、どの痛みもタダノといわれてしまうと、自分が大袈裟なのかと思ってしまう。

しかし痛いものは痛い。動きがままならず、できていたことができなくなる。申し訳ないが、家事全てを家族に任せることになる。

朝起きて、洗濯、朝食、片付け、掃除………、そういうのか寝るまで続くのが家事で、この腰痛ではそれは到底無理だ。

家事はそれなりにできる家族なので、ここはお任せするとして、文袋の仕事ができないのが困る。

五月のイベントにむけて、かなり意気込んで、あれもこれも、と思案しているのに、果たせないのは悔しいことだ。

いや、意気込んで、集中してやりすぎてて、長く同じ姿勢が続いていたから、累積の疲労が今回の腰痛の根っこにあるのかもしれない。

つまり、自業自得なのだな。無理をしたら、その歪みが体に出るということだ。

年齢と体力と精神力、やる気と弱点、そういうもののバランスをうまく取っていかなければ、年寄りは自滅する。

五月のイベントのテーマは「祈ること願うこと」だが、そのお題目がなにやらだいそれたことのように思えてくる。

世の中のことを案じる前に、自分の目の前の憂いをなんとかせねばならんこととなって、なんとも恥いっていたりする。

だれかのためになにかを、の前に、自分自身をととのえよ!ということだ。

できることをできるぶんだけ。謙虚に日々を回すことがだいせつだな、とずっと天井を眺めながら思うことである。


読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️