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時の連凧

ある時、そう、まったく同じ時期に、ふたりの男性から「小説」が届いた。個人的に作られた冊子と同人誌。ひとりは年若い友人、いまひとりは人生の先輩だ。

年若い友人は、以前、浦安文学賞という公募で、あたしが小さな賞をいただいた時、瑞々しい感性の作品で、そのトップの賞を勝ち取ったひとで、年若いとはいえ、小説においては、はるか先をゆく先輩だった。

彼が7年間に書いた、7つの小説が並ぶ。

送られて来た冊子をめくれば、その2ページ目に7つのモノクロの写真が縦に並ぶ。

クリクリとした瞳の赤ちゃんの彼は、ワープロだろうか、キーボードに手を置いている。言葉を覚え始めた頃だろうか。

その下に続く一年ごとの美しい面立ちの写真は、どれも、執筆時の彼を収めたものだ。

年毎にふっくらした顔の輪郭が尖っていき、まあるい目に力が宿っていく。次第に少年が大人になっていく。馴染んだものを手放して、新しいものを吸収していく。

その道筋で紡いだ創作において「(自分は)常に野次馬であ」り、乗り物のなかで隣り合わせたひとを観察し記録する、とあとがきにある。

こころ動いた小さな出会いを核として、その上に丁寧に幾重にも言葉を張り巡らせて、彼の世界を構築していく。

彼と言うフィルターを通してみる青い世界は、どれもどこか切なくやるせない。彼の実家が東北の震災に大きく被害を受けた現実もその遠景にある。

「かけおち」「曇り窓」「ただいま」「そまる」
「ハンサム」「リベンジ」「ほくほく」

7つの作品のうち4つは文学賞を穫っている。そこで若々しい才能が花開いている。

人生のどの時も二度とは帰り来ないものだけど「青春」という眩しい言葉で象られる時間の輝きがそこにある。

彼自身が送って来た時間を下敷きにして、勢いや情緒にながれることなく、暮らしの中のひとの営みを細かく描いてみせる。

それを経験したひとでなければ書けないことや、おりおりにその目がトレースした情景が、ふんだんに盛り込まれている。

特に「そまる」がすきだなと思った。


音楽プロデューサーをされている人生の先輩の作品は「スペッキヲ39」という同人誌に収まっている。

このかたのミクシイの日記を読ませていただいていた。まことにうまい書き手で、美学というのか美意識というのか、センスのよさにうなってしまう。

ひりつくようにありながら、あったかい文章。しみてくる一行。

お会いしたおり、その目の力の強さを感じた。荒海を航海してきたひとが見て来たものを思った。


「抱きとめたい」(天然色の一日2)という作品は「鷹山見世が死んだ。」という一文で始まる。

東日本大震災で液状化の被害を受けた浦安に住む
七十歳の主人公海藤が、その女性と共に過ごした時間へと立ち戻っていく。

「記憶の格納庫に入れてある小さな点が、躯の奥の方から、むくむくと大きくなって、喉もとまでせりあがってくるような気がした」

遠い日、海藤がカイトというニックネームで呼ばれた糸の切れた凧のような日々のこと、60年代の混沌とした世情、芸術学部や美大生達の青春群像、見世と過ごした時間が、現在と切り結ばれつつ、見事に行き届いた文章で蘇る。


青春の出来事は危うくはあっても、過去形で語られるもろもろにはどこか安心感があり、あ、そうか、これは時の連凧なのだと連想する。

時が経ち、凧は次々にあがる。

もうどこにも飛び去ってはいかないが、見世の訃報から、より太陽に近い一枚がゆらゆらと揺れる。その揺らぎが連凧の糸を伝って、今もこころを揺らす。

「青春」という眩しい言葉で象られる時間の輝きが、ここにもある。年若い友人の時間もやがてこんなふうに連凧となって連なっていくのだろう。

素敵なふたりの表現者の紡ぎ出したものを手に、こころざわついたりもして。

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️