見出し画像

パジャマパーティー 3

軽井沢の夜は冷えてくる。カーディガンをはおり、ソックスをはく。昔の乙女は冷え性だ。それでもハートは熱い。ふっと恋の話の封印を解いてしまったりもする。聴き手は眠たい目をこすりながらちょっとどきどきする。

親しいおんなが集まってふわりとした気分になったなら、ふっともらしてしまう言葉もあるらしい。もらした言葉がたがいの距離を縮めることもあるらしい。

魅力的な女性ならば、申し出があったりする。思慮深い女性であれば、相手を慮りながら思案する。そんな思案のとき、さちこさんはこう答えたのだという。

「みちみち考えましょう」

アルコールに満ちたわたしの脳みそに、この言葉は思いがけずツボだった。おかしいし、奥深い。

「みちみち考えましょう」

なんだかいい。思案しても思案してもたどり着かないことを、みちみち考える。移動しながら考える。これはなんだか極意のようだ。

どこへたどり着くかなんてわからぬ人生だもの、みちみち考えて生きましょう!そう言って友人が地ビールをクイッと飲んだ。

軽井沢にくる直前、次男の嫁候補が来るに当たって、そのもてなしに奔走し、計画が全てうまくいって、相手のことも気に入って、みなでたのしくすごした日の夜のこと、友人はご主人にビールを飲む?と聞いた。ご主人が飲むと答えたので、友人はそのつもりでお風呂あがりにビールを用意した。

友人はふたりの息子の行く末がそれなりに見えた安堵感と、自分自身が2度の手術を乗り越えて此処まで生きてこられたことの喜びを、この区切りに、そのわずかなビールをご主人と共に飲むことで分かち合いたいと思っていた。口にはしなかったがささやかな祝杯のつもりだった。

ところがお風呂からあがったご主人は、少し前に骨折してまだ痛み止めを飲んでいるからという理由で、「やっぱりビールはやめておく、君、飲みたかったら飲んでもいいよ」と平然と言った。

友人はカチンときて、「もういい、もう飲まない」と言った。なんで飲みたかったかという思いを告げれば、ご主人は「なんだ、そうか、言ってくれればよかったのに」と答えることだろう。

結婚生活が何十年であっても、わからないひとには永遠にわからないことがあるのだと友人はいった。こういうことがあるたびに、いくら長くいっしょにいても、なにひとつわかってもらっていなかったのだと感じてしまう。このひとと分かち合えるものがないのだと気づいてしまう。

いつだって自分の目の前にあるものしか見えてなくて、そのことに傷つけられる。嫌なことはまるでなかったことになってしまい、その折に抱いた思いも積み重なっては行かない。

そのくせ友人のことが一番大事だとぬけぬけと言い放つ。その厚顔ぶりに腹がたつ、味噌もクソもいっしょにしてるくせに!と友人は軽井沢の闇に向かって吠えた。

さちこさんはなにも語らぬ夫のことを吠えた。わたしもここでは書けないようなことを吠えた。酔っ払いは吠えるものだ。

それからベッドに入った。部屋の都合でわたしとさちこさんが並んで寝た。なにしろ吠えたものだから、さちこさんは興奮がまだ冷めやらないようで暗がりのなかでガールズトークが始まった。

わたしはもう限界が近かったのだけれど、いろいろ個人的なことを聞かれると答えてしまう。わたしの答えが、どれもおもしろいとさちこさんが笑う。あなたは素直なのねえ、と感心されてしまう。

そういえば小学校のときに兄嫁に「はい」という返事が素直でいいと褒められたことがあった。数少ない褒められ体験だった。いろいろあってもそんなささいなことが自分の背骨を伸ばすのかもしれないという気がしてくる。

さちこさんも子供のころのことを話す。医者の娘のつらさを聞く。いつもいない父。親であって親でない母。その母を独り占めしようとする姉。陰日なたのある使用人。それでもがんばっていい人のためになにかをするひとにならなくっちゃという使命感。

そんなふうにジェシカ・ダンディーの面立ちは作られていったのだ。

それでも不幸の数では負けない。「わたしかわいそうなひとだから」で始まる誰かを励ますための不幸話は居眠りしてても出来る。

そんなふうに見えないといわれながら、あれこれ披露しているうちに、さちこさんはだんだん自分の問題はそれほど深刻ではないと思い始めたらしく、うん、わたし、なんだかがんばれそうだわ、と言い出した。

どうやらそこらへんでなっとくしたらしく、さちこさんは寝た。むろん、わたしも。最後に見た時計は3時を回っていた。カタンとヘンな音がしたりした。くまが徘徊していたのかもしれない。

翌日、ふたりの話し声で目が覚めた。なんて元気なひとたちなんだと感心する。わたしは頭の奥のほうがなかなか目覚めず、脳みその表面で対応しているような感じだった。

画像1

なにしろ台風が去ったその日、いかな軽井沢とはいえ30度越え、日はじりじりと照りつける。日傘からはみ出た腕が焼かれていく。

それでもさちこさんはすこぶる元気で、精力的に旧軽井沢のショップを見て周り、宅配便で送ってもらわねばならないくらい買い物をした。友人も付き合っていたが多少呆れ顔でもあった。わたしはなんだかピントが外れたままの望遠鏡で景色をながめているような気分だった。

4時の新幹線に乗るさちこさんを駅で見送った。わたしの切符は4時22分発だ。じゃあね、と手を振って、わたしは自分のわすれものに気づく。買ったお土産を友人宅にわすれてきた。

友人宅まで片道10分、往復20分。出発まではまだ30分あった。さあどうする?わたしも宅配便で送ってもらうか、と一瞬思う。しかし、あのお土産のなかには「花豆のおこわ」が入っている。家に帰って食べようと楽しみにしていた。

わたしは取りに帰った。じりじりと焼かれながら往復20分。へーへー言いながら「花豆おこわ」を抱えて急いだ。友人に挨拶もそこそこに改札へむかった。新幹線の座席に座ったかと思うと知らぬ間に眠っていた。気がつくと大宮だった。友人にメールを打つとやはりうたたねしたと返ってきた。そのメールをみながら、さちこさんが迷走台風だったのかもしれないと思ったりする。

そして翌日の新聞でイギリスの空港でのテロが未然に防がれたという出来事を知る。もしも、と考えると空恐ろしい。また多くの犠牲者が出たかもしれなかった。

わたしが軽井沢へいくとなんだか世界がざわざわするのね、なんて勝手なことを……。

……おしまい。

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️