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先生たち 6 オーコーチせんせい

おとなになってからの先生への視線はどこか意地悪になっているかもしれないな、と思ったりする。

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小説作法という教室に通ったときの講師がオーコーチせんせいだった。そのときのわたしは文芸評論家のオーコーチせんせいがいかなるひとなのかよくわかっていなかった。

なにしろそのまえの教室に通わないための口実がほしかったから、その曜日のその時間の講座を選んだだけなのだ。(その次に通うことになる高井教室もそうなのだが)まあなんという考えたらずなんだろうと思うが、窮余の策だ。

通ってからいろいろ知ることとなるのだが、お名前に大の字がつくが、本人はまことに細身の小柄なかたで、いつもピシッと身にあったスーツを着込み、ロマンスグレーの髪は少々長めでいささか高めの声で話された。

小説作法と言いながら、話が飛ぶ。飛んで飛んでもといた場所がわからなくなってしまうこともよくあった。その話を聴きながらようやく純文学のこと話すひとなんだな、と気づいたのだった。

単語だけを板書されるのだが、それだけを書き留めて後でながめてもなんのこっちゃと首をかしげることが多かった。わたしにとってはわかったようなわからんような話が続いた。「かんばやしあかつき」や「ほうじょうたみお」なんて初めてきく名前だった。

せんせいの文学交遊録という感じで話が進む。丹羽文雄とか司馬遼太郎といっしょに講演旅行にいった話だとか、親友吉村昭夫妻の話だとか。いや、わたしが記憶しているのがその話だけなのかもしれない。

「瀬戸内寂聴さんとフランスで会ったら、彼女は僕のカバンをえらく褒めてそれちょうだいとほしがるんですよ。あげるわけにはいかないから、三越に売ってると教えましたよ。それで日本に帰ってこちらは時差ぼけでふーふー言ってるときに新聞みたら瀬戸内さんのエッセイが載ってるんですよ。ほんとタフなひとです」

文学裏話みたいなことばかり覚えている。

葛西善三が旅館に泊まると階上で足音がしてうるさかった。これはたまらんと文句を言いにいくと、その部屋にいたのは志賀直哉だった。あまりに筆が進むのでそうやってセーブしていたのだった。小説とはそうやってかかれるものです、と話が繋がっていく。

実作の講評もあったが、あまり積極的に関与しないという感じだった。きつい評をなにか別な言葉にくるんで差し出されるので、なんのことを言われてるのかわからないことも多かった。

講義の後はみなでせんせいを囲んでお茶をした。横浜ランドマークのセルフサービスの店だった。

せんせいは下戸の糖尿病なのだが、食いしん坊で、食いしん坊だからそうなのかもしれないが、お茶のほかにかならずなにか食べておられた。家でピーナッツクリームの匙を舐めてそのたびに女房に叱られるなんて話もされる。

「うまいですね、あれは。好きでねえ」なんておっしゃる。少年がそのままおじいさんになったような顔つきでおっしゃる。ひとのよさだとか育ちだとかはものを食べるという行為で量れもするのだなと思ったりした。

課外授業のようにして、生麦資料館へ行ったことがあった。生麦事件のことなどを資料で知ったのだが、そのときも、近くにアナゴ寿司のうまい店があるのでそこにいきましょうと楽しみにしておられた。

下戸だから宴会の席ではこまるとおっしゃってた。うまい刺身が出て、これは飯が出てから食おうと残しておいたら、仲居さんがお下げしますなんて言ってもって行ってしまう。おいおい、それは残してあるんだと廊下まで追いかけていって取り戻したりするせんせいなのだ。

その教室に行かなくなってからせんせいが同人誌評を書く人なのだと知った。そうかあ、そういうことをするひとだったんだなと今ごろになって納得している。

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️