文鳥まつり(3/5)
(五)
翌朝。おじさんと文太はまだ暗いうちから飛び立ちました。きっとカラスはまだねぐらにいるはずです。けれど、安心してはいられません。ふたりは用心深く飛び続けました。
空の色は白みはじめたかと思うと、ほどなく淡い水色に変わっていきました。あちらこちらで小鳥がおはようのあいさつをしています。
カラスのいる所からはだいぶ離れたでしょう。おじさんと文太は草むらでひと休みし、朝露で顔を洗いました。それから餌はないだろうかと地面をつつきました。
「おおい、そこの!」
いきなり誰かに声をかけられ、おじさんと文太はびっくりして声のした方を見ました。すると、物置小屋の屋根の上でスズメのご老人がふたりを呼んでいました。
「そうそう、きみらだよ。ちょっとこっちへ来んかね」
おじさんと文太は顔を見合わせました。どうやら悪いひとではなさそうなので、ふたりは屋根の上へと飛びました。
スズメのご老人は妙にかん高い声で尋ねました。
「あんたたち見ない顔だけど、渡り鳥かね」
「いえ、ちょっと旅行をしてるんです」
と、おじさんが答えると、ご老人は
「ほほー。旅行とはすーばらしいねぇ」
と歌うように言い、しきりに頷きました。文太は心の中で「ちょっと変わってるぞ、このおじいさん」と思いました。
「わしも若い頃は旅行をしたもんだ。うんうん、旅行はいい」
ご老人はまたもや頷きました。おじさんは小首をかしげて「なんだか話が長くなりそうだな」と思いました。そして「適当な所でごまかして行ってしまおうか」と考えました。
「時にあんたたち!」
ご老人が急に調子はずれの大声を出したので、ふたりはびっくりして一瞬飛び上がりました。けれどご老人はさして気にした様子もなく、ゴホンとひとつ咳払いをするとこう言いました。
「あんたたち、もしお腹が空いていたら、この先の鶏小屋で餌を分けてもらうといいぞ。あそこの鶏はなかなか気のいいやつらだ」
「それは願ってもない事です」
おじさんは嬉しそうに答えました。おなかいっぱい食べられるということは、おじさんにとって一番幸せな事だからです。
「うむ、じゃあ行きなさい。あっちの方だ」
ご老人は羽で鶏小屋の方向を示しました。
ふたりはご老人に「ありがとうございました」と言いました。もちろん、おじさんはごま塩頭をつるりとなでながら言いました。
鶏小屋へ向かっている間、おじさんは少しだけうつむいていました。なぜかというと、親切なご老人を「適当にごまかそう」と思った事が恥ずかしかったからでした。
鶏小屋はすぐに見つかりました。小屋の中では一羽の雄鶏と二羽の雌鳥がコッ、コッ、コッ、とリズムを取りながら歩いていました。
おじさんと文太は鶏小屋に近づき、金網越しに「おはようございます」と声をかけました。三羽の鶏はコッ、コッ、コッ、と近づいてきました。
「や、見慣れない顔だな」
雄鶏が言いました。
「どこから来たの?」
雌鳥が言いました。
「まあ、かわいいわねぇ」
もう一羽の雌鳥が言いました。
おじさんは丁寧にお辞儀をしてから
「スズメのおじいさんに、こちらで餌を分けてもらってはどうかと言われたので、訪ねて来ました」
と言い、またペコリとお辞儀をしました。文太も真似をしてお辞儀をしました。
「ああ、これはご丁寧に」
と、三羽の鶏もお辞儀をしました。そして雄鶏が言いました。
「じゃあ餌をそちらに分けよう。きみたちがこちらへ入って来られるといいんだけどね。隙間があるとヘビやねずみが入ってくるから、あいにく簡単には入れないようになってるんだよ」
文太は首をかしげながら雄鶏に尋ねました。
「にわとりさん、ヘビって何?」
「ヘビというのは羽も足も無い生き物だよ。地面を這って鳥や小さな動物をおそう、とってもおそろしいやつだ。木にも登るから、きみたちも気をつけなきゃいけないな」
雄鶏はそう言うと、餌箱の前で羽をばふばふと羽ばたかせました。餌は金網を越え、文太たちの足下に落ちました。それから雌鳥が菜挿しから青菜を引き抜いてきたのを、おじさんがくちばしで受け取りました。
文太は餌をつつきながら、世の中には恐い生き物がいるんだなと思いました。
「ねえ、あなたたちどこかへ行く途中なの?」
雌鳥が興味深そうに聞いてきました。
「文鳥の集まりがあるので、それに行くんです」
とおじさんは答えました。それからおじさんは、文鳥まつりについて話せる事を、
鶏たちに話して聞かせました。
鶏たちは熱心におじさんの話を聞きました。そしておじさんと文太にいろいろな質問をしました。いつも小屋の中にいるので、鶏たちにとってはこうして他の鳥と話すのが一番の楽しみなのです。
鶏たちはふたりに「ぜひ帰りも寄っていってほしい」と頼みました。おじさんは「なるたけそうします」と答えました。そして鶏たちによくよくお礼を言いました。
鶏小屋を後にし、文太はさっき聞いた雄鶏の話を思い出していました。
「ねえおじさん、おじさんはヘビを見たことがある?」
「話は聞いたことがあるけど、見たことはないな」
「僕たちよりも大きなにわとりさんが恐がるくらいだから、きっとすごく恐い生き物なんだね」
文太は、ヘビを一度見てみたいような、見てみたくないような、そんな気持ちでした。
「ヘビは小さな動物くらいなら、丸呑みにしてしまうらしいな。外の世界には、そういう危ない生き物がたくさんいるんだ。だから気をつけなきゃいけないよ」
おじさんは難しい顔をして言いました。
太陽はもうすぐてっぺんに昇ろうとしていました。ふたりの行く手には山々が連なっています。これからどんどん暑さが増し、木々の緑はより一層濃くなっていくでしょう。
ふたりは木の枝に止まってひと休みしました。さわやかな風が木々と文太の羽を揺らし、木の葉が「ざわっ」と音を立てました。とてもよい気持ちになり、文太は目を閉じました。木漏れ日がチラチラと、まぶたの裏で踊っています。風にくすぐられた頬を、文太は足でかりかりと掻きました。
おじさんは木の一番てっぺんの枝から文太を呼びました。
「文太、見てごらん。あの山がそうだよ」
おじさんは、ある山を羽で指しました。そこで今夜、文鳥まつりが行われるのです。
「わあ!もう、すぐ近くだね」
「うん、もう近くだ」
おじさんは頷きました。
「そろそろ日ざしが強くなってくるけど、もう少しだけ飛ぼうか。それからまた休もう」
「うん」
文太は元気いっぱいに答えました。
「ようし、じゃあ行こう」
ふたりはふんわりと羽を広げました。
(六)
強い日ざしを避ける間、昨日と同じようにふたりは昼寝をしました。
それからまたしばらく飛び続け、とうとう山のふもとまで来たのです。
おじさんは文太に
「山の中は薄暗いから、迷子にならないよう気をつけるんだぞ」
と注意をしました。
文太は初めて濃い土と木のにおいをかぎました。生い茂った木の葉は重なりあい、光を遮りました。けれどその分、木漏れ日は宝石のようにきらめくのでした。
こんな誰もいない寂しそうな所に独りきりで取り残されたら、きっと泣いてしまうでしょう。文太はおじさんの背中を見失わぬよう、慎重に飛び続けました。
「すいません、そこの方」
不意に、誰かがおじさんと文太を呼び止めました。見ると木の枝に文鳥がとまっています。その文鳥は文太たちと同じ、灰色で頭が黒い文鳥でした。文太よりも年上のようですが、まだ若いらしく、表情にどこかあどけなさが残っていました。
「おや、どうしましたか」
おじさんは枝にはとまらず、その場で羽ばたきをしました。
「おふたりは文鳥まつりへ行かれるんですか」
「もちろんそうです」
「ああ、よかった」
若い文鳥は、胸をなで下ろしました。
「実はひとりで来るのは初めてなので、この道で合っているか心配だったんです」
「そうですか。もし不安なようでしたら、ご一緒しませんか」
おじさんの提案に若い文鳥は喜びました。そして、おじさん、文太、若い文鳥の順番で飛ぶ事になりました。
もし、文太が迷子になったり遅れたりすると、若い文鳥に迷惑がかかってしまいます。そう思うと文太は、しっかりしなければいけないという、ピッとした気持ちになりました。そんな文太の心も知らず、おじさんはのんきに歌を歌っていました。若い文鳥はだまっておじさんの歌を聞きながら飛んでいます。そして時々頷いては、道を確認していました。きっと来年は迷う事もないでしょう。
途中、文太は水のにおいをかぎました。
「おじさん、この辺りには川があるの?」
「そうだよ。のどが乾いたのかい?」
「ううん、僕、水浴びがしたいな」
「じゃあ後で行こうか」
その話を聞くと、若い文鳥はおじさんに
「ここまで来れば僕はひとりでも大丈夫です。川へ行ってあげてください」
と言いました。
「そんならそうさせてもらいます。お気を付けて」
おじさんが言うと、若い文鳥は
「そちらもお気を付けて」
と言いました。文太は若い文鳥に「ばいばい」と言いました。
茂みを一つ二つこえると、すぐそこに細い川が流れていました。川といってもわき水がちょろちょろと流れている程度で、人間ならひとまたぎできるくらいの幅でした。深さもそう深くはなさそうです。
ちょうどそこは滝のようになっていて、水が落ちた先には鈍色に光る岩がありました。そしてその岩にはお椀くらいの大きさのくぼみがあり、中には水がたまっていました。文鳥が水浴びをするにはちょうどいい大きさです。文太はやっと水浴びができると喜び、くちばしを突っ込みました。その途端です。文太のくちばしは、痛みに似た感覚を味わいました。
「わっ、冷たい!」
あまりの水の冷たさに、文太は思わず飛び上がりました。おじさんはそれを見て笑いました。
「山のわき水ってのは、ものすごく冷たいんだよ」
「おじさん、知ってたなら教えてくれたっていいじゃないか」
文太がむくれるとおじさんは面白そうに笑いました。
気を取り直して文太は岩のお碗にたまった水で顔を洗いました。それから体を洗うために、お碗の中に入りました。水は冷たかったけれど、旅の汚れを洗い流すのはとても気持ちのよいものでした。
文太の水浴びが終わるとおじさんは食べ物を探すのをやめ、岩のお碗で水浴びをしました。
風邪をひかないように体をようく乾かした後、おじさんと文太は文鳥まつりが行われる場所へ向かいました。そこはもう目と鼻の先でした。
「ここでお祭りをやるんだね」
文太は木の枝にとまり、もの珍し気に辺りを見渡しました。山の上にこんな場所があるなんて、思ってもみなかったのです。
そこは木々に囲まれた広場でした。地面には色とりどりの花々が可憐に咲き満ちて、うっとりとするような香りを漂わせていました。そして広場の中央には緑の茂る大きな木が一本聳えていました。
周りの木には文鳥が何羽かとまっていましたが、どうしたわけか、みんな眠っているようです。文太はさっきの若い文鳥を探してみましたが、その姿を見つける事はできませんでした。
「文太、ここで待っていてごらん」
そう言うとおじさんはどこかから真っ白な花を一つ摘んで来ました。
「さあ文太、この花のにおいをかいでごらん」
おじさんはくちばしにくわえた花を、文太へ差し出しました。文太は花に顔を近付け、においをかぎました。その花は変に甘ったるいにおいがしました。そして、その瞬間、文太の頭の中にはもやがかかり、急に景色が遠のいたような気がしました。
「おじさん、僕なんだか眠くなってきたよ」
文太は重くなったまぶたを何度か上げようとしました。
「しばらく眠りなさい。おじさんも眠るから」
おじさんがそう言ったので、文太は安心して眠りました。おじさんは文太の眠りを見届けると、自分も花のにおいをかぎ、静かに眠りに落ちました。
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