見出し画像

「生きてるくせに、死んでんじゃねえよ。」と言われて


エモくてエモくて・・・エモの激流だった。
(「エモいは古い」なんて言われると余計に言いたくなる。まんまと策略にはめられてるのかもしれない・・・!まぁずっと単純、そんな人生。)


映画は人生のどのタイミングで観るかによって抱く感想がまったく異なるものだと思うけれど、私は26歳の今、(今だよ今)、この作品に出会えてよかった。


先週金曜日から公開された、『WE ARE LITTELE ZONBIES』。


映画が始まる前、小一時間空いていたので立ち寄ったいつもの洋服屋さんで、店員さんが「この後のご予定は?」と聞くので「この後は映画です」と言ったら、「何観るんですか!アラジンですか!!」と、まるで現在上映中の映画はアラジンしかないようなノリで返された。


「アラジンは明日観るんですけど、今日は『ウィーアーリトルゾンビーズ』って・・・ご存知ですか?」と答えると、「何それ聞いたことない!めちゃくちゃマイナーじゃないですかぁ!!」と、今度は客との距離感が近いことがアパレル店員の正義であることかのような勢いで突っ込まれた。


そそくさと彼女に推されたタンクトップを一枚買って、私は日比谷シャンテへと急いだ。 あのかわいい店員さんも騙されたと思って観て欲しい。


予告を観たときは、奇抜な世界観、不幸な子供たち4人が主人公、ゲームがモチーフなどなどの理由から、苦手なジャンルかも・・・というのが正直な印象。(極端に言えば、普段は「舞台は南イタリアの初夏です!」的ないかにもイイ風吹いてそうな美しい設定で、出てくる人みーんな善人じゃん!みたいなやさしい世界観のヒューマンドラマがすき・・・)。


けれど、食わず嫌いをしなくてよかった。

慣れない色彩の渦に飲まれて、エンドロールの最後の最後まで涙が止まらなかった。今年イチどころか、人生において忘れられない一作品になるだろうと思っている。「青春音楽映画」と、そんな一つのカテゴリーで括ることが惜しいとさえ感じた。


私自身、正直グロテスクな描写にウッ!と感じるところがなかったわけではない。逆にだからこそ、グァングァンに感情が揺さぶられて、鑑賞後はいい意味で疲労感いっぱいになった。

「斬新な見せ方」とか「独特な世界観」だとかを超えて、もっと根っこの方にある、作品の根底に流れる強烈なメッセージをビシビシに感じて、心揺さぶれ、涙がよどみなく溢れた。


郁子ちゃんの眼力とフェロモンは芸術的だとか、ロックもクラシックもボサノバも、やぱNO MUSIC NO LIFEですねとか、池松くんが出てる映画は一つ余すことなく観ようとか、言いたいことは色々あるんだけれども・・・

私が惚れ込んでしまった一番の理由は、この映画が「この世は生きるに値する」と教えてくれるものだったから。 



私は大学生と社会人の間の何者でもないとき、入社式の一週間前に「両親死んでる〜!」の状況になった。(あんな風に4人並んで明るく叫べたら、私もキーボード担いだ人生だったかな…。)

当時のことを思い出そうと記憶を辿っても、全くといっていいほど記憶がない。でもお母さんの手の冷たさ、火葬場でまっしろな粉を目にしたときの「え、消えちゃった」という感覚はきっと一生忘れない。


本当に悲しいときこそ涙は出ないのかも、と今でも思うし、心臓の周りがどんより重苦しいのに涙としてデトックスできない時間が一番しんどい。

死にたいとは一度も思わなかったけど、「なんだ〜~人生まじめに生きててもいいことないじゃん、こんなのクソゲーじゃん」というくらいには絶望した。

私がそこで腐らずに、人生をcontinueするボタンを押し続けてこられたのは、それまでの人生の中で父と母が「この世は生きるに値する」を教えてくれたからだ。両親がいなくなってからも味方でいてくれる友達がいたからだ。

悲しみに浸る暇もなく、社会人になってかっこいい大人たちにたくさん出会えたからだ。

そして、映画や小説や音楽などあらゆるコンテンツが「この世は生きるに値する」を伝え続けてくれたからだ。作り手にその意思があったかはさておき、私は生きるために他人の物語にそれを切実に求めたし、感じ取ろうとした。

『WE ARE LITTELE ZONBIES』を観て、蓋を被せたままの記憶が一気に掘り起こされて、奇跡みたいな「今」にひしひしと感謝した。

劇中であった「殺したのは誰だ」問題は、たぶん私の中でずっとずっと渦巻いていたもので、自分に対してこの言葉を言ってきたと思う。母を、父を助けられなかった事実は消えず、「殺したのは誰だ(いや、私かもしれない)」と。

そんな風に犯人探しをしたって誰一人救われないとわかっているつもりでも、いざ物語として見せられると私にとっては救いとなった。

そんなことを考えるよりもみんなで楽しいことをしよう、歌を歌おう、欲を言えば楽しいものを自分たちの手で作ろう、どうせすきなら溺れるほどにのめり込もう、そんな気持ちになった。絶望を知ってるポジティブ野郎は怖くない。


わかりにくくても難しくても、やっぱり自分が心からすき!と思って、誰かの心に深く、永く残るものを私も作りたいし広めたいなぁ。

そしてやっぱり一周回って、感情を無視したら人生クソゲーだと思うので、これからも瞬間を信じて浮き沈みしながら、向こう見ずに生きたい。



『WE ARE LITTELE ZONBIES』を作った人、伝えてくれているすべての人に敬意を感じました。

この映画を観て、continueのボタンを押す勇気をもらえる人はきっとたくさんいる。 「好き嫌いは分かれるだろう」むしろそんな前提をもって、試しに劇場に行ってみて欲しいです。


私はfilmarksで★5.0を付けました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?