ぶんが(bunga)

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最近の記事

ブログ再開しようと思った理由

この2年近く更新が止まっていたこちらのブログ。 先程の記事にも書いたように、 ”ちっちゃく"再開する事にしました。 再開しようと思った理由は、 ブログの更新が止まっていた間、私の周りで次々とあまりにも多くの方ががんになっていったからです。 こちらのブログを開設した理由は、 がん患者の方に1つの例として、 がんの完治の診断が下りた私が どのようにしてがん完治をして、 完治後の今現在も日常生活を送っているか 伝える事で、 今まさにがん告知を受けて、がんと闘っている患者さんにと

    • ブログ再開します。

      この2年近く更新出来なかったこちらのブログ。 ”ちっちゃく”再開しようと思います。

      • #11_インドネシア・東ジャワ州マランのWeci Malang(マランの野菜とえびのかき揚げ)を作ってみました!

        昨日の夕方から夜にかけて2時間位かけて、インドネシア・東ジャワ州マラン市の「Meci Malang(ウェチ マラン=マランの野菜とえびのかき揚げ)」を作りました。 私は、父が調理師で、基本的に料理を全くしない人なのですが、前回の「インドネシアのお祝いご飯Nasi Tumpeng(ナシ・トゥンペン)」作りで、 「日本人でしかも基本的に料理を全くしない自分にはインドネシア料理が作れない。」 というブレインロックが外れて、 「意外と自分もやろうと思えばインドネシア料理が作れるかも

        • #10_とにかくよく休もう~休むことを否定しない、休む自分に罪悪感を持たない~

          一昨日の夕方、つい先程まで私は身体が冷えたのかひどい吐き気がし、痛み止めの薬を飲み、暖かい部屋でベッドに横たわり休んでいました。 そしてふと 、乳がんになったばかりの頃、手術や放射線治療を受けて、今以上に痛みが酷く体力が落ちてひどく疲れやすくなり、勤務時間以外はほとんど寝ていた頃の感覚を思い出しました。 「情けないなぁ…。」 「なんで私ばっかりこんな目に...。」 病気になる前、1人で誰よりも走れたはずの自分が走るどころか、今はもう身動きすらほとんど取れない。 「こんな

        ブログ再開しようと思った理由

          #9 新春こと始め

          今朝は、とても晴れていて、快晴。 目が覚めてから薄茶をもう2杯も自分で点てて、頂いてしまいました。 これから軽くストレッチをしたら、身の回りの事をして、明日からに備えよう。

          #9 新春こと始め

          #8_新年の宴に想う

          新年明けて、先日1月4日 の夕方、12月の初旬に予約していたとあるオードブルを吹雪の中車を走らせて、地元のとある料亭に 受け取りに行きました。 その料亭に伺ったのはその料亭に伺ったのはある考えがあったからです。 私の父は調理師です 。もともと機械工をしていましたが、妹が生まれた時に、生活のために調理師免許を取り、医療機関の 調理師に転職しました。 しばらくすると、父は「5年間の修行」と言って、昼間は職場で仕事、夜は1年で1箇所ずつ街のホテル料亭 、飲食頂くことにしました

          #8_新年の宴に想う

          新年早々、人生初!インドネシアのお祝いご飯Nasi Tumpeng(ナシ・トゥンペン)を作ってみました!!

          今年2022年新年の誓い(目標)の1つは、 「インドネシア料理を作ってみる」 私は、基本的に料理を全くしない人です。 (父が調理師で、家の食事を作ってくれるからです。) しかし、ストレングスファインダー(強み診断)で「規律性」が高い私は、普段定型以外の事をしないため、今年は何か新しい興味が持てる物に出逢ったら、挑戦してみる事にしました。 その1つが、興味がある「インドネシア」の料理を自分で作って見ることです。 今回の材料は、 ① Nasi Kuning(ナシ・

          新年早々、人生初!インドネシアのお祝いご飯Nasi Tumpeng(ナシ・トゥンペン)を作ってみました!!

          新年を迎えて思うこと

          2022年謹賀新年。 あけましておめでとうございます。 新年を迎えて2日目の朝、遅ればせながら今年2022年、1年へ向けての目標について考えてみました。 ふと考えたのが、私はストレングスファインダー(強み診断)で、「規律性」が上位に来ているため、自分の中の定形以外のことをあまりしません。 そこで2022年今年1年間は、 「何か新しい興味が持てる物事に出逢えたらとりあえず全て試してみる」 を目標にしてみようと思います。 とりあえず、新年始まってすぐ取り組んでいるのが、

          新年を迎えて思うこと

          乳がんになってからのスキンケア

          今日は私の乳がんになってからのスキンケアについてお話したいと思います。 私は2008年4月1日に乳がんの告知を受けました。その2週間後から2回の手術、一か月半にわたる30回の放射線治療、それから5年に渡るホルモン剤治療。(5年間の投薬と最初の2年間のホルモン剤注射)。 その後の5年間の経過観察に続くわけですが、病気になってからそれまで以上に、もしくは必要以上に神経質に自分の健康に気を使うようになりました。 スキンケアについてもその1つです。 元々10代の頃中学・高校

          乳がんになってからのスキンケア

          朝の日課②

          前回の記事に引き続き、私の休日の朝の日課について紹介します。 休みの日の朝、目が覚めると前回の記事に書いたようなストレッチをします。またその前後に ①家の近くを流れる川の土手まで散歩(30分~1時間位) もしくは ②家の前にあるプランターの植物(野菜)や裏庭にあるイチジクの木の手入れや草取り(30分~1時間位) 等をします。 プランターの植物(野菜)や裏のイチジクの木の手入れの参考にはこちら。 NHKEテレ「趣味の園芸 やさいの時間」 今年2021年から野菜づくりを始

          朝の日課②

          朝の日課①

          この記事では、私の特に休日の朝の日課について紹介します。 まず、朝目が覚めると、枕元に置いてあるマイボトルの水筒に入っているお水を一口いただきます。 しばらくして、本格的に起きだして朝食を食べるために部屋を出るときは紫外線対策でずっと閉めている一級遮光カーテン(裏地付き)を全開に開いて朝日を思いっきり浴びます。 朝食を頂いて、また部屋に戻ってくると、体調の良い時はカーテンを開けたまま、朝の陽の光を浴びながら、ストレッチ等の軽い運動をします。 軽い運動のメニューはの以下の

          朝の日課①

          誕生日

          昨日、私は誕生日。 おとといの日お彼岸なので両親と一緒にお墓参りに行った。 帰ってきて、台所で両親と3人で話をしていると父がおもむろに昔話を始めた。 「(私が)1歳の頃、駅前の家具屋で初めて自転車を買ってもらった時、駄々をこねて家までひいて帰ると言った。あれからもう50年も経つのか。」 とと笑いながら言った。 私はまだ40代前半。50年って…四捨五入でもない。一桁を完全切り上げだ。 「50年って、そんなにまだ時間経ってないよ。いくらなんでも酷すぎだよ。」 と、私も笑い

          乳がん告知~どうして乳がんだとわかったのか~①

          13年前、2008年4月1日 私は30歳で乳がんの告知を受けた。 前の年2007年12月くらいからなぜか体調があまりよくなかった。 鏡を見ると、なんとなくどこか顔が引きつっていた。 そして、左胸の乳首からは出血があり、いつか治るだろうと思っていたがどんどんその出血の量は増えていった。 ちょうどその頃、日本政府のある財団の方から 「インドネシアで働かないか?」 と誘いを受けていた。その仕事の内容は まさに私が子供の頃から目指していた仕事だった。 「やっとたどり着けた。」

          乳がん告知~どうして乳がんだとわかったのか~①

          今日からが人生のはじまり

          人生はいつでもやり直せる。 どんなに傷ついたとしても、いつかは空を眺めて、前を向いて、歩いてゆかなくてはならない。 私は、乳がんサバイバーです。 13年前、2008年4月1日 。30歳の時に 乳がんの告知を受けました。 診断名は「左乳がん」。ステージ1ながら、見つかったしこりは5、6個。 検査から診察までの1週間の間に「石灰化」と言って、皮膚の下 にある脂肪が石のように固まってしまいました。 先生からの指示は、 「左胸全摘手術」。 しかも2週間後の4月15日、至急受ける

          今日からが人生のはじまり