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ササック族と会って

私が知っているよりもずっと、いろんな生き方がある。
また一つ、あ、こういう生き方もあるか、こういう幸せのかたちもあったか、と気付かされる。
私はどう生きていこう。まだ見つからない。
どこで暮らしたいか、誰といたいか。
でも私は選択できる。
ササック族に会った帰り道は、なんだか涙が出てきてしまった
わたしにも選択の自由があるという幸せに気づいてしまったからだろうか
たくさんの仲間がいて、羨ましいくらい、いいなと思ったからなのか
なんで涙が出てきたのかはまだわからない。

子どもがすごくたくさんいた。ササック族の人がガイドをしてくれた。ここは100件の家と700人の人が住んでいて、ここにいる人はみんな僕の家族で、この村にいる人はみんな仲間だと言っていた。

どこからきたの?と聞かれ、日本からだよ。と言うと、
日本語の単語をたくさん知っているよと言って、「ナカマ」、「マッテロ」、「トモダチ!」などと話してくれた。アニメから勉強したよと言っていた。世界中に日本語を勉強している人がたくさんいることは事実として知っていたけど、ササック族の人たちまで日本語を知ってくれているとはびっくりしたし、嬉しかった。

村に行って、いろんなことを紹介してもらった。事実として知っていたことも多かったけど、実際に会って、見て、説明してもらうと、本当にそんなふうに暮らしていたんだと思った。

インドネシアには、
子どもが多いことも、物乞いの子どもがいることも、両親の仕事を手伝っている子どもがいることも、事実としては知っていたけど、会ったことで本当だったんだと思うことばかりだ。
会わなきゃわからない。見ないとわからない。
データや統計だけで判断するような大人になりたくないなと思う。
いつだって、わたしは自分が見たものを信じていたい。



ここにいる人たちは、自分よりもずっと、
心が豊かで、人間らしい生活をしているように見える。
自然に囲まれて、仲間と暮らして。

高層ビルの騒音に囲まれて一人で暮らすという、わたしの近い未来とはずいぶんかけ離れている。

インドネシアにいると、
車が道の途中で壊れることもある。

車は10年、スマホは2年というのは日本の大多数なだけであって、世界で見たら、そんなこともないかもしれない。「壊れるまで使う」がこの国の”普通”なのかもしれない。
お金がないから新しいものを買えない、ということも理由の一つかもしれないけど、食べ物にしても乗り物にしても、服にしても、この国にはもったいない精神が根付いているような気がしている。
高校の頃、教科書で日本の”もったいない精神”は素晴らしいねと海外で言われているという記事を読んだ気がしたけど、日本のもったいない精神はどこへ行ったんだろう?
発展しまくって、忘れてしまったのかな。いまいちど、振り返って考えたいと思った。
なんで壊れるまで使わないの?なんでスマホは新しいものが出たらすぐに買うの?見栄ですか?それとももっと便利にしたいから?なんで今あるもので満足できなくなっているんだろう。

服だって、スマホだって、使えなくなるまで使いたいと思う。
物で溢れる社会。新しいものを!新しいものを!と欲張る社会。そんな世界が嫌になる。

私はこれから何を目指して生きていきたいんだろう。
どんなふうに生きていきたいかな。
まだ見つからない。

ずっと見つからないかもしれない。

見つかったら、今より健康で幸せになれるかな

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