明朗の蝶々(モンゴノグノム)

窓からはらはらと蝶々が入ってきた。銀色の蝶々だ。
翅をはばたかせず、部屋の中の微妙な気流に乗って、ティッシュのような軽やかさで漂っている。
「そんなガになんて気を取られてないで、こちらに集中してください」
「ガなのですか」
「どう見たって、ガでしょう」
先生には目が一つしかない。私は親しみと敬意を込めて、一つ目先生、と呼んでいる。
「ガなのですか」
「あなたがその時、手に取っていたものを教えてください」
「手に取ったものなどありません。なぜなら、わたしはその場にいなかったのですから」
蝶々は、すーっ、とゆっくり扉の方に流れていく。
「また気を取られてる!」
一つ目先生が、眉を顰める。眉を顰めるときまって、先生の大きな目玉はみるみる間に充血しはじめるのだ。
「いい加減、教えてください」
「その場にいないのに、なにも手に取りようがないじゃないですか」
「あなたがその場にいた事実は、あらゆるものが証明しています」
「蝶々が」
「ガはいいから!こっちを向きなさい」
目玉をひんひんに剥いている。破裂しそうなくらい真っ赤っかだ。
「あなたがやったんでしょ?」
「やっていません。わたしは見つけただけです」
一つ目先生は、わたしがやったものだと思いこんで、わたしをずっとここに閉じ込めている。
「何を?」
「彼を」
「その場にいたんじゃないですか」
「やられた彼をその場で見つけたんです」
「頭蓋骨ですよね?」
「ドアノブ」
「え?」
「ドアノブに、とまってる」
「ガのことはいいから!」
「ガはとまったとき、翅をひろげるんでしたよね」
「ねえ!」
「あれは、ひろげていると言えますか?たたんでいるように見えます」
「あれはひろげてるじゃないの」
「斜めですね。45度。翅をひろげているのとたたんでいるののあいだですね」
「どっちでもいいでしょ!両面にあなたの指紋がべったりと付着していました。まぎれもない事実です」
「あれは、蝶々じゃないんですか?」
「ガ!ガ!あれはガ!」
「蝶々でもガでもないのかもしれないですよ。翅をひろげているのとたたんでいるののあいだですから」
「頭蓋骨で掬ったんでしょう」
「目玉が大変ですよ」
「はい?」
「破裂しちゃいますよ」
「なにを言ってるんですか?はらわたを掬ったんでしょう」
「たった一つしかない目玉なのに、破裂しちゃいますよ」
「いい加減おかしなことを言うのはもう止しなさい!」
一つ目先生の目玉はついに破裂して、辺りにどろどろが飛び散った。びっくりした蝶々は、窓の外に去っていく。
「去ってしまいましたね」
「なにが?」
先生の目玉のあった場所は、深い洞のようになってしまっていて、覗き込んでも底が全く見えない。
「去ってしまったところ、先生には見えなかったですよね」
「なにを言ってるの?またガの話?あなたの話をしてください」
窓の外を見やると、すっかり冬が来たのがわかる。
すぐ手前にある、白みがかったさみしい、ただの一枚も葉っぱがない木、その毛細血管のようなか細い枝と枝のあいだに、沈みかけた小さい太陽が見える。瑪瑙のような模様を空に描きながら、こと切れそうになっていく。
ああ終わってしまう。わたしは窓から身を乗り出して、太陽を掬い上げようとした。
すると、手のひらの上に、銀色の粉がはらはらと降り注いだあと、破裂したはずの先生の目玉が落っこちてきた。

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