見張り塔(インターネットウミウシ)

 この螺旋階段を登るのも今日が最後だ。
 20年勤務してきた見張り塔の階段は、私と同じように20年分の歳をとった。
 内装のペンキは剥がれ、グレーのコンクリートが見えている。壁のヒビもいつの間にか増えた。
 警備部に所属された当初は、この仕事が終わる日が来るなんて考えたこともなかった。
 いつも一人で淡々と登り、交代の時間まで塔の上から基地の景色を見つめ続ける。
 この見張り塔にも砲台が付いている。有事の際には迎撃することになっている。
 しかし一度も撃つことはなかった。この20年、何事もなくて本当によかった。

 いつもはひとりで登る階段だが、今日は私の後ろに四人もいる。
 指揮官、技術部長、アドバイザー、そして先月入ったばかりの新兵だ。
 指揮官は表情ひとつ変えず、螺旋階段の途中から見える景色を時折チラリと眺めている。
 技術部長は運動不足のせいか「ヒュー、ヒュー」と息を切らせて汗だくで一段一段登っている。
 アドバイザーはスーツが汚れないかを気にしながら、時折懐中時計を開けて「ま、そうでしょうな」と時間を確認しながら登る。何のアドバイザーかは知らない。
 大きなリュックを背負った新兵は、アドバイザーの独り言に「はい!そっす!」と元気よく返事している。体力が有り余っているのか、無駄な動きが多い。

 塔の頂上にある、私の仕事場に着いた。
 指揮官は顔色ひとつ変えずに頂上から見える景色を見ている。
 技術部長はその場に座り込み、息を整えている。
 アドバイザーは、高級そうなハンカチで、おでこの汗を拭いている。
 新兵はリュックを背負ったままぴょんぴょんと飛び、「やっほー!」と叫んでいる。

 この20年でずいぶん景色は様変わりした。
 特に我々の視線の先にあるバラの蕾のような巨大な機械は、今年ようやく完成を迎える。
 開閉式の巨大なパラボラアンテナだ。
 『とても広い範囲を、見渡すことのできる、現状では最新の、エレクトロニクス』、略して“TMGE”と呼ばれている。
 TMGEが、私の仕事を奪った。いや、違うな。私の後を引き継ぐことになった。
 この機械が動作してさえいれば、私の目の届かない場所であっても全方位で24時間365日監視ができるのだ。

 指揮官が新兵に「アレを」と言うと、新兵はリュックから小さな花束を出した。
 そして指揮官は私の方を見て「20年間、ご苦労だった」と言い、花束を渡した。
 私は「ありがとうございます」と言い、深々とお辞儀をした。
 見張り塔は今日で閉鎖となる。そしてその後は解体される。
 指揮官は、それを知って私の仕事納めの場所をわざわざここにしてくれたのだ。
 「じゃ、やりましょうか」と技術部長が言うと、新兵がリュックからワインと軽食を出す。
 人数分のマグカップにワインを注ぐと、指揮官が「お疲れ様、乾杯」と言う。
 みんなでマグカップをカチンとぶつけ合う。
 ささやかだが、とてもうれしい。この場所で送別会ができるなんて。

 ワインで喉を潤した技術部長が「どうです、最後に見てみます?TMGE」と言う。
 アドバイザーが「ま、それもアリでしょうな」と自分の髭を撫でながらアドバイスをする。
 ワインで少し上機嫌になったのか指揮官もうれしそうに頷く。
 ピーナッツを食べていた技術部長が脂っぽくなった手をズボンで拭く。
 そして、胸ポケットからリモコンを取り出そうとするが、突然「ケーッ!」と叫ぶ。
 ピーナッツが喉に詰まったのだ。私が慌てて背中を叩くと、握っていたリモコンがつるんと滑り、技術部長のお腹をバウンドして、螺旋階段の方へ落ちていく。
 これはまずいと思った新兵が「オス!」と言い、見事な反射神経でリモコンの方へ飛んでいくが、そばに置いたリュックの背負い紐に足をひっかけてすっ転んだ。
 新兵の指先にチョンと触れたリモコンはまたさらに奥へと飛んでいき、螺旋階段から真っ逆さまに落ちていく。階段の手すりにカン!カン!カン!カン!と何度もぶつかり、最後にカシャーン!と砕けるような音が鳴り響いた。

 我々は無言で螺旋階段から下を覗いた。真っ暗で何も見えない。
 青ざめた顔をした新兵は「見て来るっす!」と言って駆け降りて行く。
 アドバイザーが、絶句したままの技術部長の肩を叩き、「ま、ダメでしょうな」と言う。
 指揮官はさきほどのうれしそうな顔はどこへやら、顔中のシワというシワを寄せ集めて不動明王のような顔になっている。

 さきほどまでリモコンだったものを新兵が両手で包んで、申し訳なさそうに戻ってきたところで塔の内線が鳴る。
 内線越しにものすごく慌てふためく研究員の声が聞こえる。
 「と、とにかく技術部長に替わってください!」と言うので、受話器を技術部長に渡すと、技術部長の顔色が変わった。
 今まで見せたことのなかった機敏な動きでTMGEの方を見ると、TMGEが七色に光りゆっくりと開き始めている。
 受話器から聞こえる研究員の声から、さきほどのリモコンが壊れた時に何か絶対押しちゃいけないボタンが押されてしまい、今誰も対応できないほどに現場が混乱しているのだということがうっすら伝わってきた。

 私は七色に光りながら開いて行くTMGEを見ていた。
 TMGEはガゴンと大きな音を立てるとギリギリと軋みはじめ、ゆっくりと回りはじめた。
 その様子を見て新兵が「すんげえ……!」とつぶやく。
 技術部長は無線で「全員今すぐ避難しなさい!」と叫んでいる。
 指揮官は技術部長に「あれはこれからどうなるのかね?」と顎でTMGEを指す。
 技術部長は「自衛のための最終手段のプログラムが作動しちゃったんで……爆発する可能性が、極めて高いですね」と声を震わせて言う。
 指揮官は「ま、その可能性が極めて高いでしょうな」と言うアドバイザーを押しのけて、階段を慌てて駆け降りて行く。こいつは先ほどから自分の意見をひとつも言っていない。

 TMGEはゴウンゴウンと音を立て、ものすごい速度で回転している。
 TMGEの周辺から米粒のような白衣の研究員たちが飛び出してくる。
 その時、塔の下の階のドアが開く音がした。
 私の真下にあるのは、砲台がある。
 まさか、と思い螺旋階段を駆け降りると、指揮官が砲身をTMGEに向けていた。
 初めての砲撃が、今日になるとは。
 指揮官は一切無駄のない動きで砲弾を発射させた。

 激しく回転するTMGEに砲弾が当たったのは、夕暮れのことだった。
 ズウンという弾着音の後、TMGEは動きを止めた。
 ほんの一瞬だけ、静寂が訪れた。
 そしてギィィィィィィと音を立てるとものすごい爆裂音が鳴り響く。
 見張り塔が激しく揺れる。
 TMGEからは花火のようにカラフルな火花が飛び散る。
 これは指揮官たちには絶対に言えないが、生まれてから今まであんなに綺麗な光を見たことはなかった。
 消火部隊がやってきてすぐさま鎮火作業に入った。
 しばらくその様子を見ていた指揮官が振り返り、私の方を見て言った。
 「明日から、来れる?」

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