見出し画像

敦 スタートアップ


古くからの付き合いの井伏修平がいる。敦が、ファッション関連の企画会社を設立した時に、お店で初めて知り合った。偶然、遭遇したと言った方が正しい。井伏は、本来なら本部に常駐しているので、店頭にはいない。たまたま、ラフォーレ原宿の店舗にいた。敦は、スタートアップしたばかりで原宿を瑠璃子とリサーチしていた。

「井伏さんって、聡明でスマートなビジネスマンのような方ね。ファッション関係にいないタイプかも」と瑠璃子は、率直な感想を語った。スタートアップしたばかりなので、西大井駅から歩いて5分くらいのアパートの六畳一間を借りていた。襖をモダンな壁紙に変えて、カーテンも同じようにモダンな柄にした。テーブルは製図台にカバーをかけただけの質素ではあるが、お洒落な感じにした。大井町は、横須賀線に瑠璃子の実家があったからだった。大井は、大井競馬場や平和島競艇場などギャンブル場があるので、暴力団やヤクザの事務所やアパートの住人が多い。アパート前にベンツが停まっているのが、普通の風景だった。

そのアパートに、井伏の上司も契約のためにやって来た。当時の井伏の会社は、超有名な会社だったので、敦と瑠璃子は、舞が上がるほど喜んだ。井伏の的確なアドバイスで上司の部長も納得して、商品企画およびアドバイザーの契約書が送られてきた。第一号のお客だった。

その後、キャビン、ルベール、九州のチェーン店など大手が矢継ぎ早に契約が決まり、大井町から世田谷に引っ越した。偶然、弱小だが人気のあるジーンズメーカーの社員の田部井一郎がアパートにやって来た。
「そろそろ、手狭なので、渋谷辺りに引っ越したいのだけど、どっか知ってる不動産ある?」と敦が聞いた時、
「もし、俺の家だったらあるよ。ちょうどいま、リフォームしているばかりだから」
と田部井がサプライズな提案をした。田部井の家は、環七通りの若林というところで電気屋を営んでいた。世田谷や渋谷に精通していたので敦は相談したのだ。

とんとん拍子に話が進み、運命に導かれるように井の頭線の池ノ上駅近くにある田部井の空家に引っ越した。それからは、怒涛のように、業界新聞に載ったりして注目された。当時はソフトハウスとか言って、企画だけを請け負う会社が増えていた。今でいうユーチューバーのような勢いがあった。まだ、海のものとも山のものともつかない業種なので、みんな手探りで突き進んでいた。唯一、ファッション関係の業種であることは、確かだった。


社員やバイトも増えて、5人くらいになり、住居兼事務所が狭くなり、渋谷に越そうとなった。こういう大きな案件は、やはり井伏修平が頼りになった。渋谷の東急ハンズの横のマンションに空きがあると連絡があった。速攻で、そこに決めた。そのマンションには、柄本明やベンガルなどの東京乾電池や緒形拳の事務所があった。
「緒形拳さんとエレベーターが一緒になった」とはしゃぐ社員やお客がいたほどだった。

「成功する経営者は、最初に芸能界と繋がるという。その後は、金の匂いを嗅ぎつける国会議員の政治家らしいよ」と雑学好きなタカキューの吉川が教えてくれた。
「俺なんか芸能人といえば、スペイン坂の3階にあるパスタ屋さんで、キョンキョンがまどなりに座ったことくらいだよ。最初は全然気づかなくて、イザワちゃんに教えてもたったほどだけど。キョンキョンの顔が小さかったよ。俺の通った高校のある厚木市の出身らしいから、親近感があるよ」と瑠璃子に自慢するように話した。

バブル期全盛の渋谷は、芸能人も多く、ドラマのロケでも使われていた。敦もパルコの脇道で個性派女優の戸川純を何度か見かけた。そんな事が日常的に起こるのは、渋谷のど真ん中に事務所を構えたからだった。ロケーションは、本当に大事だと痛感した敦であった。

繁栄は、悪人たちも呼び寄せる。事務所に暴力団らしき輩が増えていく。女の子ばかりの敦の事務所は目立つ。実害はないが、エレベーターでも鉢合わせすることが増えた。そんなこともあって世田谷の住宅地、池ノ上を全部、事務所にすることを決心した。それと同時に結婚した敦と瑠璃子は、駒沢の2階建てのアパートの2階を借りた。

事務所にすると板張りの古風な一軒家は、おしゃれな工房感があって、窓からトリコロールのフランス国旗を掲げた。女の子が毎朝通ってくるので、宗教団体や危ない事務所と間違えられないようにする意味もあった。夜になると色々な料理を作ったりして、全員で食べたりした。韓国の女性もいたので、キムチ鍋や本格的な韓国料理も食べた。事務所の前がボロアパートで、中が覗けるほど開放的だった。ドクダミが庭に生えていたので、ドクダミ荘と名付けた。ドクダミ荘の住人に、カールヘルムばかりきている男がいて、女子の間で、「カーアルヘルム君」と呼ばれていた。ピンクハウスのメンズ版でカールヘルムというDCブランドがある。


バブルが崩壊した頃だった。独立した井伏が、事務所を中目黒にオープンするというので、半分を共有したらという誘いに乗って移転した。その話は後ほど。
スタートアップをする人が増えている。アップしたら勢いが必要だ。理論や理屈よりも実行する速さと決定の速さが勝負の分かれ道だったと敦は振り返る。何よりも一人では出来ないので、パートナーや信頼できるサポーターが必要だ。それだけで、百万馬力のエンジンでスタートできる。お金よりも信用第一だと敦は思う。

悠々自適では、ないがのんびりと余生を送り術を学んだ独立劇だったと振り返っている。

「一番大事なことは、妻やパートナーの尻に敷かれること」
それに尽きる。カーペットや絨毯のような生き方が一番だというのが敦の持論だ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?