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山口百恵の自叙伝


本棚の上の上に積まれて、埃を被っていた『蒼い時』を他の文庫本と一緒に取り出した敦。1981年に出版された山口百恵が自叙伝は、瞬く間に売れた。気になって仕方がない。もう30年前の作品だ。読み返すと、実父との確執が、リアル過ぎてフィクションかと思うほどの内容だった。

父親は百恵を子供として認知したが、入籍したわけじゃ無い。その事で、まだ16歳の少女がマスコミの餌食になる。横須賀とばかり思っていたら、小二まで横浜の瀬谷に住んでいたことがあった。瀬谷は相模鉄道沿線に駅がある。直ぐ隣町の感じがして親近感を覚えた敦だった。父親は、最低のクズ男だった。百恵が有名になると、豹変して親権を訴えたり、百恵の父の名前を使って、多額の借金をするような男だつた。馬鹿なマスコミを騙して、百恵を悪者に仕立てて、カネをむしり取る卑劣な男だった。実の親がこんな卑劣で、クズでも親である。遺伝子が繋がれている事が不幸の中の新たな不幸を増殖させる。

結婚を期に完全引退したのも、分かるような気がした。こんなクズに一生付き纏わられたら、命がいくらあつても、足りない。百恵の真意がわかる本だった。クズとの離別の本でもある。波瀾万丈とは、このことかも。芸能人にありがちな、クズ人間達の存在、そこから逃げる方法論に、敦は思えた。

芸能人や有名人の自叙伝は、数多くある。矢沢永吉の「成りあがり」を会社に入ってすぐに読んで、感動したことがあった。メンバーの首を切るシーンだ。矢沢永吉がビッグになるためには、優秀なメンバーにチェンジするというシーンは、会社員として共感できた。なあなあでいるのは、心地良い。進歩するためには、部下をスポイルするのも仕方ないと思った。願いを叶えるために鬼になる。結果オーライだった。

「成りあがり」の電子書籍に『広島から夜汽車に乗って上京した少年。ポケットにはアルバイトで貯めた5万円しかなかったが、胸には熱く燃える大きな固まりがあった。「おれは音楽をやる、星(スター)になる!」。その少年はいま、願い通り星になった』と煽り文がGooglePlayに載っていた。


古本屋のブックオフで百円で買ったレディガガの本は、読みずらかった。その理由は、簡単だ。自叙伝でないので、真意が伝わらない。自叙伝は、ゴーストライターが書いていると言われるが、本人に成り代わっているので、言いたいことが伝わる。
ブランドン・ハースト著の『レディガガ』では、高校時代、カトリック系の私立学校、聖心女子学園ニューヨーク校に在籍していたことを知り、敦はガガが親日家の理由が分かった。また、写真家、荒木経惟(あらき のぶよし)とコラボレーションした話も面白かった。「アラキは、私のイメージじゃなく、私の魂を撮ったのよ」とガガが絶賛していた。

ガガの原点は、アンディ・ウォーホルだ。とりわけ「ウォーホルのファクトリーを参考にしたクリエイティブ・チーム『ハウス・オブ・ガガ』で衣装だけでなく、舞台装置や音楽の制作も行なっていたのも敦は驚いた。いい加減でチャラチャラしている彼女が綿密な計画をたて、実行している姿も驚かされた。

ファッション、ミュージック、アート、そして最高のパフォーマンスを世界中のファンに提供しているガガの半生も凄いが、山口百恵の引退劇も凄まじいものがあった。
「すっぱり辞める勇気が大事だね。あんたみたいに未練たらたらの男は、成功しないかもね」
「他人の成功話だけでも、一緒に成功しているのさ。『私は、二十一年間、風に従って生きてきた』と山口百恵は言ってた。私も三十年間、君に従って生きてきたんだよ。これからも仲良くしていこうね」と敦は本当にそう思った。


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