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大正浪漫


『愛は爱とて 何になる』と切なく歌うあがた森魚は、大正浪漫や昭和のノスタルジックでモダンな感覚を持った独特のシンガー・ソングライターだ。この曲「赤色エレジー」を初めて聴いた時、敦に衝撃が走った。

大正浪漫は、大正時代の雰囲気をイメージした言葉で、「浪漫」という当て字は夏目漱石によって付けられたそうだ。特に「竹久夢二」がこの時代とともに生きた人物であり、「大正ロマン」を代表する人物。

「漫画やアニメでも有名な『はいからさんが通る』や今なら『鬼滅の刃』なども太正浪漫に当てはまる」と敦は断言した。太正浪漫ではないが、中原淳一が創立した少女雑誌『ひまわり』がファッションとしても美に対するセンスに優れた雑誌だった。その中原淳一を師と仰ぐ男が誕生する。50年から70年代の少女文化をリードしたマルチアートイスト、内藤ルネ。

敦と瑠璃子は、内藤ルネと伊豆・修善寺であったことがある。
「まあ可愛いお坊ちゃん。お母さんのご趣味なの、お洒落ね」とオネエ言葉で話しかけて来たのが内藤ルネ本人だった。今もあるのかどうかはわからないが、「内藤ルネ人形美術館」があった。白い二階建ての洋館に内藤ルネが選んだ人形などが19世紀の人形からバービー、セルロイド人形、日本人形などが所狭しと展示されていた。その一つ一つを本人が、解説して回ってくれた。

「2007年に亡くなられているので、200年頃だったはずだ。息子が5歳頃だった」と敦は回想した。帰り側に、河出書房新社から出ている『内藤ルネ』を買った。一緒にそばで寄り添っていた紳士がいたのが印象的だった。

太正浪漫は、戦前に『令女界』という雑誌で表紙絵を描いていた蕗谷虹児(ふきや こうじ)という挿絵画家がいて内藤も感化されたらしい。「レトロ、ノスタルジック、モダンという言葉遊びも楽しく感じる」と敦は瑠璃子に言った。
「あなたももうレトロになったのよ。というより骨董品の部類かもね」


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