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素晴らしい祝辞だった

※文化時報2022年4月22日号に掲載された社説です

 これも多様性ということなのだろう。映画作家の河瀨直美氏が12日、東京大学の入学式で述べた祝辞が波紋を広げている。ウクライナ戦争を巡り「ロシアという国を悪者にすることは簡単である」と発言したことに対し、ネット上で批判や疑問の声が相次いだのだ。

 報道機関は往々にして、発言の一部をクローズアップしてニュースにする。紙面や放送時間が限られている以上、要約はやむを得ないため、「切り取るな」と批判するのは建設的ではない。報道する側に伝え方の工夫が必要であることは論を待たないものの、受け取る側にも文脈を知り、行間を読もうとする姿勢は大切だ。

 祝辞の全文を確かめれば、河瀨氏の発言はロシアの単純な擁護ではないことが、すぐに分かる。河瀨氏が伝えたかったのは、世界をどう認識するかであって、戦争がテーマではない。

 河瀨氏は映像と出合い、カメラを通して世界を見てきた体験について語った後、出身地である奈良県内の二つの寺院の名を挙げた。華厳宗の大本山東大寺と、金峯山修験本宗の総本山金峯山寺である。

 東大寺に関しては「小さいものの中に無限の宇宙を見る」という華厳の思想を紹介し、「小さくても自らのまなざしを獲得することはとても大切なのです」と説いた。

 ウクライナ戦争につながったのは、金峯山寺を巡るエピソードだった。本堂蔵王堂の特徴や管長との対話を基に、「私の感じ方にすぎない」と前置きした上で、次のように問題提起した。

 「正義のぶつかり合いを止めるには、どうすればいいか。なぜこのようなことが起こっているのか。一方的な意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないか。『悪』を存在させることで、安心していないか」

 仏教精神に裏打ちされたまっとうな問いだと言えないだろうか。

 ただ、こうした発言は国政治学の地平で捉えると、不適切と聞こえるようだ。慶應義塾大学の細谷雄一教授は、短文投稿サイト「ツイッター」で今回の祝辞に言及し、「安易な言葉で道徳的な優越的立場に立つことは、単なる知的な怠惰では」と批判した。

 細谷教授はこれまでにもツイッターを通じ、国際法を無視した侵略と、合法である自衛を区別することの必要性を説いてきた。「ロシアもウクライナも両方悪い」という議論は適切ではない、と警鐘を鳴らし、「道徳的な高みになって、『あらゆる戦争は悪であってどちらが正しいというわけではない』と論じることは、20世紀の平和への努力を蹂躙(じゅうりん)すること」とも指摘している。

 宗教を大切にする私たちは、決して道徳的な高みにいるわけではない。もちろん、細谷教授のように優れた専門家の知見に学ぶことは、地に足の着いた平和活動を行うためにも重要である。その上で、宗教の良き理解者である河瀨氏を、積極的に擁護したい。
                ◇

 河瀨直美氏の祝辞の全文は、東京大学ホームページ(https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message2022_03.html)で公開されています。

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