【映画】「マイケル・ムーアの世界侵略のススメ」感想・レビュー・解説

マイケル・ムーアの映画を観るのはこれが初めてです。僕のイメージでは、かなり過激なドキュメンタリー映画を撮る監督だという認識だったので、恐らくこの映画はマイケル・ムーア作品の中では穏やかな方なのだろうな、と思っています。

いやはや、メチャクチャ面白い映画でした!

この映画の基本的なコンセプトは、「世界中にある様々な国に侵略(※取材)に行き、そこからアメリカでも採用すべき素晴らしいアイデアを持ち帰る」というものです。冒頭で、「ペンタゴンに呼ばれ、第二次世界大戦以降アメリカが勝てない現状を嘆かれた。そしてアドバイスを求められたので、兵士に休暇を与え、代わりに自分を世界中に侵略に行かせてくれと頼んだ」という話が出てきますが、まあこれはきっと嘘でしょう。

さて、この映画の中では、どんな国のどんなアイデアが描かれていくのか。それをざっと書いてみましょう。基本的には「教育」と「労働」に関してです。

イタリア:毎年4~8週間にも及ぶ有給休暇。ランチタイムは2時間、皆家に帰って食べる

フランス:小学校の給食が三ツ星ホテル並。シェフが料理を運ぶ。税金はアメリカより少し高いが、その分様々なサービスが受けられる

フィンランド:学力が世界トップレベル。その秘密は、宿題を無くしたこと。

スロベニア:大学の授業料がタダ。外国からの留学生もタダ。しかも教育レベルはアメリカより高い

ドイツ:職場はストレスの温床と見なされ、リフレッシュするための様々なサービスが充実している。休暇中の社員に上司が連絡を取ることは違法

ポルトガル:ドラッグを合法化することで使用者の減少に成功。

ノルウェー:開放型の刑務所。個室が与えられ、囚人とは思えない環境が与えられている。再犯率も犯罪の発生件数も世界最低レベル。

チュニジア:政府出資の無料の中絶施設がある。イスラム国家でありながら、憲法に男女同権を盛り込んだ

アイスランド:世界初の民選女性大統領がいる。女性の能力を活用することで全体が良くなるという認識を皆が共有している。また、投資に失敗し国の経済を崩壊させた多くの銀行家を裁判にかけ有罪にした。

非常に面白い取組みばかりで、なるほどと思わされることばかりだった。

しかし、この映画を見て、早合点してはいけない、とも思う。やり方だけそっくりそのまま移植しても、絶対に同じ効果を上げることは出来ないからだ。そういう部分は、映画の様々な部分で描かれていた。

例えば、ポルトガルの「ドラッグの権威」は、「ただドラッグを非犯罪化するだけでは犯罪率は減らない。例えば、医療費を無料にするなどして治療を受けやすくする施策も取らなければ」と言う。一つの施策だけでうまく行くわけではなく、様々なものの組合せによって成り立っているのだ、と。

しかしそういう、施策上の問題に留まらない。最大の問題は、「国民の合意」「国民の価値観」みたいなものだと思う。

それを最も強く感じさせられた話が、ノルウェーの刑務所の例だ。映画の中で、54人を殺傷した大量殺人犯に息子を殺された親が登場した。マイケル・ムーアは彼に、様々な問いかけをするが、その答えがどれも素晴らしいのだ。

―息子が銃を持っていたら、と思う?
泳げたら良かったのに、とは思ったよ

―(殺人犯の裁判において)公平さを望む気持ちは?
強くある。公平に裁いて欲しい

―殺人犯を殺したいと思う?
まったく思わない。復讐をしたいとは思わない。

最後の問いでマイケル・ムーアは、さらに突っ込んでいく。息子の仇なんだぞ?と。それに対して彼は、こんな風に答える。

『じゃあ私に、犯人と同じレベルに落ちてこう言えというのか。「私には、お前を殺す権利がある」と。私には、そんな権利はない』

これは凄いと思う。ノルウェーの開放型の刑務所の話は、元々知っていた。しかし、この映画を見ている時もそうだったが、いつも気になることがある。それは、「こんな恵まれた環境を与えられる囚人に対して、被害者遺族はどう感じているのだろう?」と。マイケル・ムーアは、まさに僕のこの疑問に答えを与えてくれた。もちろん、映画に登場したノルウェー人が、ノルウェー人の中でも恐ろしく人徳者だった、という可能性は否定しきれないけど、そこまで疑っても仕方ない。実際にノルウェーであの開放型の刑務所が運用され、それが継続しているのだから、被害者遺族が映画の登場した人物と同じような気持ちを持っていると考えなければ成り立たないはずだ。

日本で同じような開放型の刑務所を実現させたらどうだろう?間違いなく、被害者感情がそれを許さないだろう。自分の大切な人を殺した人間が、そんな恵まれた生活をしているなんて許せない、という感情になるだろう。出来れば、自分の手で犯人を殺してやりたいという発想になるだろう。

感じ方としてどちらが正しいということはない。しかし現実として、罪を犯した人間を人間らしく扱い、きちんと社会復帰出来るプログラムを組むことで、信じられないほど低い再犯率を実現できている。そのやり方の方が、様々な意味で社会的価値が高い、と言える。それを認め、被害者としての感情を抑えられるか(ノルウェーは感情を抑えているわけではないだろうが)。それを考えると、日本では同じことは出来ないだろう。

イタリアの有給休暇の話にしても同じだ。イタリアの会社のCEOたちは、揃ってこういう発言をする。

『有給休暇は経営者の喜びだし、社員の当然の権利だ』

経営者側がこういう感覚を抱いているからこそ、僕らの感覚では信じられない有給休暇が実現しているのだ。
もちろん、ただ奉仕のためだけに有給休暇を与えているわけではない。きちんと休暇を与え、リフレッシュしてもらうことで、社員がより働いてくれる。事実イタリアは、生産性の高い国トップ15カ国に入っているそうだ。有給休暇を与えているからと言って、生産性が落ちているわけではない。

マイケル・ムーアが、「アメリカのような経営をすれば、あなた方はもっとお金持ちになれるのでは?」と聞いた時の回答が秀逸だった。

『金持ちになることにどんな価値があるの?』

彼らにとっては、従業員を大切にし、隣人を愛するように生き、そして何よりも自分が自分の人生を楽しむことが大事だと考えているのだ。この、「金持ちになることにどんな価値があるの?」という価値観も、日本には今は存在していないものだろう。ただ、若い世代を中心に、こういう考え方が浸透し始めている。もしかしたらいずれ日本もイタリアのように、有給休暇を大量に取れる国になるかもしれない。

フィンランドでは、「子どもは遊ばなきゃ」という価値観がとても大きい。だから、宿題は無くす。教師は学校を、「幸せになる方法を見つける場所」だと捉えている。勉強をするだけではなく、様々な遊びや様々な時間の過ごし方を経験することこそが大事だ、と考えられている。

これも、受験に明け暮れる日本ではなかなか根付きにくい価値観だろう。

宿題を無くし、授業時間を減らしたからと言って、勉強ができないわけではない。事実、学力は世界中でトップだし、取材を受けた大学生は何カ国語も喋ることが出来る。教師の一人は、「テストで点を取る教育は教育ではない」と語り、自分で問題意識を持ち自分で考える能力を鍛えさせようとする。

だからフィンランドには、統一テストがない。「じゃあ、どの学校がいいのかどうやって判断するのか?」とマイケル・ムーアが問うと、「フィンランドではすべての学校が同じレベルだから選ぶ必要がない」と答えが返ってくる。フィンランドでは、学校を設立し授業料を取ることは違法だそうだ。だから私立校がほとんど存在しない。裕福な家の人間も貧しい家の人間も同じ学校で学ぶから、将来上の立場に立つことになっても、相手を思いやる気持ちを持つことが出来るのだ、と。

詰め込み型の教育が一概に悪いとは思わないが、しかし確かに、受験勉強ばかりに明け暮れる学生は、いざ望みの学校に入った後、自分がやりたいことがないことに気づく、ということもある。勉強は出来るが、やりたいことや好奇心が薄い人も多いだろう。

日本でフィンランドと同じようにいきなり宿題や統一テストを無くしても、まったくいい結果は産まないだろう。やはり土壌を育てなければいけないのだ。

確かにこの映画では、システムをメインで描いていく。国ごとにどんなシステムが存在するのか、それをアイデアとして持ち帰ろう、というのだ。しかしこの映画で実際に描かれているのは、国民性なのだ。国の大多数の人間が「どのように生きたいか」「どのように学びたいか」「どのように働きたいか」「どのようにありたいのか」と考える、まさにその価値観が描かれていくのだ。恐らく多くの日本人にとって、この映画で描かれた様々な国に生きる人々が幸せそうに見えるだろう。翻って自分の生き方を考えた時、それに幻滅することだろう。そして同時に、日本という国が持つシステムを恨むだろう。

しかしさらにその背景には、国民の価値観がある。多くの国民があるシステムの登場を願えば、国を動かす者はその意見を無視できない。今のシステムは結局、今を生きる多くの人が、あるいは、今を生きる人達の中で自分の価値観を主張している多くの人が望んでいるシステムなのだ。

だから僕たちは、自分がどう生きたいのか、どんなシステムを望むのか、それをきちんと認識して、声に出していくしかないのだろうな、と思う。そうする以外、国のシステムはきっと変わらないのだろう。

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