【映画】「去年の冬、きみと別れ」感想・レビュー・解説

僕は自分の中に“怪物”がいるなぁ、という自覚がある。

自分でも、その輪郭ははっきりしない。僕自身と、その“怪物”とに境界があるのかもわからないし、その“怪物”がどんな時に表に出てくるのかもちゃんとは分からない。

でも、いるなぁ、と思う。これは比喩だけど、時々息遣いが聞こえるような気がする。僕の内側で息を潜めて何かを待っているような気がする。別にそれは、血なまぐさい何かを求めているとかそういうわけではない。別に誰かを殺したいとか、鮮血を見たいとか、誰かを傷付けたいとか、そんな趣味はない。そういうことではなくて、自分が、普段立っている“常識的な世界”の上にはいられなくなるような、その世界の底を踏み抜いてしまうような、そんな感覚は常にある。

まあだから正確な表現をすれば、その“怪物”というのは、周囲から“怪物”だと見られるだろうという話であって、結局は僕そのものだし、だから輪郭がはっきりしないのは当然なのだ。

自分の中に“怪物”がいる、という自覚は、割と僕自身の生き方を抑止する効果を生んでいると思う。だから、決して悪い自覚ではない。自分の内側にいる“怪物”が解き放たれてしまったらマズイことが起こる、という感覚はあって、だからそれが表に出ないように手なづけようとする。それが、僕の穏やかさに繋がっているだろう、という気はしている。

僕の中の“怪物”が表に出てきたところで、結局のところ僕が何らかの形で排除されるだけだろう。だから、一生出てこないで欲しいなぁ、と思う。誰かを物理的に傷付けるようなことはたぶんしないだろうけど、誰かを精神的に傷付けるようなことならしてしまうような気がするから、そういう自分にならずに済むようにこれからも穏やかに生きたいものだと思う。

内容に入ろうと思います。
といいつつ、書きすぎるとネタバレになってしまう作品だから、書けることが少ないのが難点。
写真家の木原坂雄大はかつて、目の見えない女性モデルを監禁し、挙句火を放って焼死させたという疑惑をもたれた。結局不運な事故だったと結論付けられ、執行猶予付きで釈放された。
その事件からしばらく経ったある日、耶雲恭介というフリーライターを名乗る男が、「週刊文詠」の編集部を訪れた。編集長に頼まれ、ベテラン編集者である小林良樹が応対することになった。耶雲が持ち込んだのは、木原坂の事件だ。彼は、女性モデルが焼かれていく姿を撮影した写真が存在する、というネットの書き込みを見つけ、掘り下げてみたいと語った。もしそんな写真が実在するなら、木原坂を罪に問えるだろう。編集長共々、小林は彼の取材を見守ることにした。

耶雲は木原坂のスタジオを訪れ、密着取材を要請。鍵を渡され、自由に出入りする許可をもらった。耶雲には婚約者がおり、結婚式までになんとかこの取材を形にし、最終的に木原坂雄大についての本を出したいと思っていた。
耶雲の熱意と取材力は、編集長も小林も感心するところだった。だからこそ小林は、ある懸念を抱いて動き始めることになるのだが…。
というような話です。

久々にメチャクチャ面白い映画でした!僕は割と、欧米の、しかも事実を元にしたノンフィクション的な映画を見ることが結構多くて、純粋な「物語」の映画を観る機会の方が少ないかもしれません。事実ベースの映画ももちろん面白いんですけど、事実であるという迫力や重さ以外の部分では迫ってくるものがないものもあったりします。

この映画は久々に、やっぱり「物語」も面白いなぁ、と感じさせてくれた作品でした。

先ほどもチラッと書いたけど、かなり精密に構成されている物語で、書くとネタバレになってしまうことが多すぎて、面白い映画だったのにあまり中身について触れられない、というところがなかなかジレンマではありますが、書けそうなことを書いてみます。

原作がどうなっているのか分かりませんが、この映画、いきなり「第二章」って表記から始まるんですよね。映画で章立てがあるっていうのも珍しいですけど、確かにこの作品の場合は、こういうやり方が良かったと思いました。

色んな人間が、色んな過去を抱えていて、なかなか複雑に絡み合っていくんだけど、ストーリー自体はさほど複雑なわけではなくて、すんなり理解できると思います。しかし、物語が進むにつれて明らかになっていく関係性は、見事ですね。こういう物語の場合、誰かの動機とか行動原理なんかにどうしても無理が生じてしまいがちなんですけど、この映画の場合、特に目立って違和感を覚えるような部分もなかったので、よく出来てるなと思いました。


関わる人間たちの狂気みたいなものがどんどん強くなっていって、その描かれ方も結構良かったです。この物語は、狂気なしには存在し得なくて、とはいえすべてを狂気で説明してしまうのも無理がある。現実感と、現実感を失わせる狂気のバランスが、僕は結構良かったと思いました。リアリティのない部分を狂気で乗り切っている、みたいに感じられる部分もないではないんだけど、でも物語としての違和感はなかったかなと思いました。

何のために何を失うのか―映画を観る人はそんなことを考えてしまうかもしれません。一番大きなものを失ったのは誰なのか、失わなかったのは誰なのか。考えれば考えるほど難しいように感じました。彼らの行動原理を「正しさ」とか「正義」みたいな基準で判断することにまったく意味がないので、そもそもどういう基準を持ち出せば彼らを評価できるのか、みたいなところから考えさせる物語に感じました。

個人的な意見では、岩田剛典の演技は、あまりうまくハマっていなかったような気がしました。あの役を、岩田剛典がやらなければならなかったのか?というのがちょっとしっくりこなかったなぁ。もちろん、役者っていうのは色んな役をやることで幅を広げたいと思うだろうし、別にこの映画における岩田剛典の演技が悪かったと言いたいわけでもないんだけど、岩田剛典が持つイメージ、つまり爽やかで穏やかなイメージとはかけ離れた役だったので、だからやっぱり表現としては「うまくハマってない」という印象になりました。岩田剛典を起用するならもう少し耶雲という人物造型を変えても良かったと思うし、耶雲をあの人物造型で描くのであれば、もう少し適役な人がいたような気がしてしまいました。まあこれは岩田剛典の責任なわけではないので、本人としてもこんなこと言われても困るでしょうけど。

タイトルの意味が最後の最後で明らかになる構成も含めて、実に見事な物語だと思いました。原作を読んでいないので、原作が最初から良かったのか、映画は映画で原作とは違う良さが生み出されているのか、それは判断できませんが。

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