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【本】朝井リョウ「もういちど生まれる」感想・レビュー・解説

内容に入ろうと思います。


本書は、ちょっとずつ重なりあう人間関係の中にいる五人の大学生を描いた、連作短編集。

「ひーちゃんは線香花火」
ぼんやり寝ていたら、キスされた。
汐梨は、ひーちゃんと風人の顔を浮かべる。今キスしたのはどっちだろう?たぶん風人なんだろうな。
汐梨もひーちゃんも美人で、風人はイケメンだけどちょっと残念。そんな三人は、ごく普通の大学生にはどうしてもなれなくって、みんなとはちょっと外れたところでいつも一緒にいる。この三人の関係性は、凄く、心地いい。
汐梨には尾崎っていう彼氏がいる。尾崎といる時、時々風人のキスの感触を思い出す。尾崎に、キスの話をしてみようか。どうせまたいつものように、「そんなにたいしたことじゃない」って、言うんだろうな。

「燃えるスカートのあの子」
翔多は、バイトの休憩が被ると、青いメッシュを入れたハルに話しかける。ハルはいつでも冷たくて、でも翔多が話しかければきちんと相手をしてくれる。翔多は、ハルに興味があるわけではない。高校時代、椿と友達だったという理由で、ハルに話しかけている。
雑誌の読者モデルもしたことがあるという椿は、どこにいても注目される。翔多は、同じサークル部員として椿と関わり合いながら、椿から聞かされる彼氏とのノロケ話に悲しい気持ちになったりする。
ある飲み会で、椿が彼氏と別れていたことを知る。ちょっと後には、河口湖でのサークル合宿が控えている。
翔多は、単位を楽に取れると有名な授業で、礼生と知り合う。礼生は学生映画を撮っているようで、凄いパーマと虹色のメガネと理解出来ない発言が飛んでるけど、なんとなく関わることが多い。

「僕は魔法が使えない」
美大に通う新は、凄い才能をもったナツ先輩とよく一緒にいる。ナツ先輩はコンクールでいい賞をもらい、その絵が美大のピロティに飾られている。でも新は、ナツ先輩の才能は、ナツ先輩にとって残酷なのかもしれない、とも思っている。
自主制作映画に関わることになったナツ先輩にくっついて動くことが多くなってきた。その折、ナツ先輩は珍しく、絵や才能の話をする。その時に一番向き合うべきものを描くべきだ。ナツ先輩はそうやって、コンクールで賞を獲った絵を描いた。新は、父を亡くしている。一年も経たない内に母が、新しい男の人を家に連れてくることに、なんとなく嫌なものを感じてしまう。父の作ってくれた、黄金のカレー。

「もういちど生まれる」
遥は二浪が決まり、20歳を目前に、未だ予備校に通っている。幼なじみの風人と電車で時々会うと、ホッとする。昔のままの感じで話すことが出来る相手は、もう本当に少なくなってしまったから。
子供の頃、椿と入れ替わっているのがバレたら、プリンをあげなきゃいけなかったな。
双子の姉である椿は、推薦で大学に通い、読者モデルもしていた。双子なのに、遥の方が顔のパーツがちょっとずつ劣っていて、今はもう椿に入れ替わることなんか出来ない。
新しく好きになった人に合わせて髪を切った椿。学生映画の撮影で忙しいんだよ、と言った椿に、自分があんなことをするなんて。

「破りたかったもののすべて」
ハルは、授業料の高いダンススクールに通っている。私は、部屋にこもって手を絵の具まみれにしている兄貴のようにはならない。ダンスで食べていけるように、必死で必死で練習を続ける。
普通を選びとることが出来なかったハルは、高校時代仲の良かった椿が、今もうまくやっていることを知ってなんとも言えない気持ちになる。自分を今支えてくれているのは、バイト先でノーテンキな声を出してハルに話しかけてくれる翔多の存在だけだ。でも翔多も、椿との恋に破れたら、唯一の接点を失うことになるハルと、まだ喋ってくれるだろうか?

というような話です。


もう、これは相性が抜群だっていうことなんだろうと思うんだけど、やっぱちょっと朝井リョウの作品ってピッタリすぎる。この作家はホントに凄いなと思うし、今の作品ももちろん大好きだけど、これから成長していく過程でどんな作品を生み出していくのか、本当に楽しみで仕方がない。


本書を読むと、『一瞬』という言葉が強く思い浮かぶ。


朝井リョウの小説はどれもそうだけど、一瞬一瞬の連続として物語が成立しているように思う。こういう小説って、案外読んだことがないような気がする。


普通小説って、説明的な文章もあれば、人物紹介的な文章もある。物語を読者に届ける上で必要な要素としての、ただそれが存在することで『物語なんだな』ということが伝わってしまうような、そういう要素って必ずあるはずだと思う。


でも朝井リョウは、そういう小説の書き方をしないように思う。


朝井リョウは、主人公が感じる目の前の一瞬の切り取り、その連続として物語を生み出していく。今の一瞬を切り取る、そしてその10秒後の一瞬をまた切り取る。そしてさらにその10秒後の一瞬を切り取る。そういう切り取られた一瞬一瞬が、ふわりと積もる雪のように重なっていって、物語が成立しているように思う。


それって、結構奇跡的だなと思う。


朝井リョウが、というか各々の主人公たちが切り取り一瞬一瞬は、あまりにも切実で、あまりにも儚い。ぼんやりと何も考えているだけの人間には、今も10秒後も対して変化はないだろう。でも本書で描かれる人たちは、そうではない。必死さのベクトルや、その対象に違いはあるけど、みんなどこかを目指しているし、どこかを抜けだそうとしている。そういう人たちの一瞬は、一瞬ごとにめまぐるしく変化していく。朝井リョウは、その儚い瞬間を、サバンナで動物たちの決定的瞬間を絶妙なタイミングでフィルムに収めるカメラマンのように切り取っていく。


それがやっぱり凄いなと思う。


今まで、「桐島、部活辞めるってよ」「星やどりの声」と読んできたけど、僕が感じるそういう『一瞬の切り取りの連続』というベースは変わらないままで、作品ごとに描きだそうとしていることが変わっていくのも面白い。


「桐島~」は僕は、まさに瞬間芸とでも言うべき作品だったと思う。一瞬一瞬を的確に絶妙に切り取っていく、その積み重ねとして作品を成立させるという、少なくとも僕がこれまで読んできた小説にはなかなかなかったような斬新なやり方で、そのやり方だけを武器に物語を描いた。「桐島~」については、ストーリーがない、という批判を目にすることがある。実際その通りだ。でも僕は、だからこそあの作品の凄さが際立つのだ、と思う。一瞬の切り取り方、そしてその一瞬の積み重ね方の斬新さに、僕は衝撃を受けた。凄い作家が出てきたものだなと思った。


「星やどりの声」では、父親という一つの大きなベクトルに向って物語が編みあげられている感じがした。一瞬を切り取っていくことは変わらない。しかし「星やどりの声」では、切り取ったものの積み上げ方により主眼が置かれているように僕には感じられた。一瞬を切り取って積み上げていったものが何を形作るのか。

本書はどちらかと言うと、一瞬の切り取り方に主眼がより強く置かれているような気がする。本書は、「桐島~」に結構近くて、「桐島~」よりは大分あるけど、物語性はちょっと薄いと思う。でも、様々な切なさのベクトルを持つ様々なタイプの人間を描き分ける中で、目の前の一瞬の切り取り方がより絶妙になっていくような感じが僕にはした。


本書では、そうやって切り取られ積み重ねられる人物像というのが、やっぱり見事過ぎる。どの作品でも、朝井リョウが描く人物ってちょっと驚異的に素晴らしいと僕は思っているのだけど。


みんな、どことなく淋しいし、どことなく切ない。「桐島~」で朝井リョウは、高校生を描いた。高校時代というのは、まだギリギリ鈍感でいられる時代でもある。意識してバカでいられる時代だ。


けど、大学生になると、なかなかそうはいかない。将来を選ばなくてはいけないし、20歳が近くなる。本書で繰り返し出てくるのが、子供の頃20歳ってもっと大人だと思ってた、という感覚だ。それは、分かる。確かに自分が20歳になる時、20歳ってこんなもんなんだ、って思ったような気がする。子供の頃は20歳は大人に思えた。でも20歳の自分は、全然大人になったような気がしない。

彼らはそういう、具体的に何に悩んでいるのか判然としないような、でも確かに誰もがそこをくぐり抜けてきたよねと思えるような、そういう漠然とした曖昧さの中にいる。だから、色んな方向に振れるし、ブレる。進んでいる道の正しさを純粋には信じきれないし、自分がどこかに辿りつけるなんてこと、ありえないような気がしてしまう。


そういうバランスを欠いた人たちが切り取る一瞬は、実に多彩だ。そしてその多彩さは、朝井リョウの持つ豊かな言語表現に担保されている。朝井リョウの表現力には、本当に驚かされる。言葉ではなく、感覚として直接脳に染み込んでるんじゃなかと思うような表現が多い。文字を一旦頭の中で処理して理解するというプロセスを経ないで、文字を見た瞬間に脳内に何かはっきりとしたものが立ち上がるような、そういう感覚だ。

これはきっと、相性の問題もあるのだろう。もしかしたら、朝井リョウが繰り出す表現を、僕と同じような感覚で受け取らない人もいるのかもしれない。でも、僕にはちょっとぴったり過ぎる。


一番驚いたのは、「もういちど生まれる」の冒頭の文章。ホント、どっからこんな文章が沸き上がってくるんだろう。そのセンスには、ちょっと嫉妬してしまう。


僕は小津安二郎の映画を見たことがないのだけど、僕の中の小津安二郎の映画のイメージは、特に明確なストーリーがあるわけでもなく、人々の日常をそのままそっくりカメラで撮ってみました、みたいな感じだ。そのイメージが合ってるのかどうか知らないけど、僕にとって朝井リョウはそういう作家だ。「星やどりの声」はかなりストーリー性のある作品だし、本書も「桐島~」と比べれば全然ストーリー性のある作品だと思うけど、でも僕は、朝井リョウの作家としての魅力のベースになっているのは物語性ではないと思っている。

どの角度から、どんな人間を、どんなタイミングで切り取るのかという、その瞬間の切り取り方の絶妙さにこそ、朝井リョウの魅力はあると思う。僕が知らないだけかもしれないけど、なかなかこういう作家はいないと思う。本当に、驚異的な作家だなと思う。


個人的には、冒頭の「ひーちゃんは線香花火」が、ストーリー的にも抜群で素晴らしいと思った。最後の「破りたかったもののすべて」は、話としてはそこまで好きではないんだけど、でも登場人物の中で一番気になったのは、「破りたかったもののすべて」のハルかもしれない。

「もういちど生まれる」では、「星やどりの声」と同じく双子が出てくるんだけど、朝井リョウは、決して対称にはなりえない双子(しかも姉妹)の、どうしようもない宿命みたいなものを描くのが凄くうまいなと思う。朝井リョウの描き方だと、双子ってモチーフはきっと描きやすいんだろうな、と思う。なんとなくだけど、そう思う。

相変わらず、朝井リョウの作品はちょっと素晴らしいと思いました。たぶんこの作家とは、相性の問題は結構大きいと思う。著者と感覚がどれぐらい合うかによって、感想がかなり変わってくるかもしれない。ドンピシャはまれば、ちょっと凄い読書体験になると思います。作家丸ごと好きという作家はそうそう現れ出ませんが、僕の中で久しぶりに、朝井リョウは作家丸ごと好きというタイプの作家だなと思います。是非読んでみて下さい。


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