【映画】「ゲティ家の身代金」感想・レビュー・解説

世界一の金持ちが、身代金を払わない決断をする。
その背景に何があるのか、興味があった。

この映画で描かれていた、その理由の一部は、確かに、理解できないでもない。
とはいえ、すべてを理解できるわけでもない。

しかし先に書いておかなければならない。
この映画は、「実話を基にしている」が、「実話にフィクションを混ぜている」とクレジットされている。
だから、この映画で描かれていることのどの部分までが真実の描写なのかは分からない。
ネタバレになる部分もあるから、どの部分はフィクションであり得るのか、ここで僕の推測を書くことは控えるが、恐らくゲティ家の当主である、その世界一の金持ちの言動については、恐らくフィクションが混じっているだろう、と感じる。
だから、この映画での描写のみを以って、ゲティ家の当主を責めるのは酷だろう。
というわけであくまでもここで書くことは、この映画の登場人物である「ゲティ家の当主」についてだ。

彼の主張で理解できる部分ははっきりしている。

【私には孫が14人いる。身代金を払えば、他の孫も誘拐される】

確かに、それはそうだな、と思う。

しかし、「ゲティ家の当主」には他にも、金を払わない理由があるように感じられる。それを短い言葉でスパッと捉えることは難しいが、彼にとってのある種の信念が透けて見える。

印象的な場面があった。
「ゲティ家の当主」は、「金持ちになる方法」という本を出版したらしい。しかしそのタイトルを出版社は「儲ける方法」に変えようとした、と彼は言う。そのことに彼は憤慨していた。

何故なら、「儲けることは馬鹿にでも出来る」という信条が彼にはあるからだ。「儲けること」と「金持ちになること」は、彼の中で明白に異なっている。

彼はこんな風に言う。

【金持ちになると、自由という問題に直面する】

金持ちになることで、どんなことも自由になる。そこに深遠な淵が現れることになる。その淵はやがて、人や結婚生活を飲み込んでしまうのだ、と。

もう一つ印象的だったのは、孫が誘拐されているまさにその最中だというのに、「ゲティ家の当主」は高価な美術品に大金を注ぎ込んでいる、ということだ。

彼は、腹心の部下からある報告を受けた後で、こんな風に言う。

【だから私は、物が好きなのだ。目の前にある姿のまま変わらない。私を失望させない】

「ゲティ家の当主」の中で、どんな価値観が現れ、どんな天秤にかけ、どんな判断をしたのかは、観客には分からない。映画の主軸は、誘拐された孫と、彼の母親の奮闘にあり、「ゲティ家の当主」は時折しか登場しないからだ。

しかし、観客には理解できることがある。それは、「ゲティ家の当主」は、誘拐された孫であるポールを子供の頃から高く買っていた、ということだ。彼が身代金を払わなかった理由は、ポールを愛していないからではない。そのことは、映画の中でしっかりと伝わるように描かれている。だからこそ、「ゲティ家の当主」の決断に、誰もが困惑し、振り回されることになるのだ。

僕は昔から、金持ちにはなりたくない、と思っている。それは、「ゲティ家の当主」が置かれたような判断を迫られたくないからだ。もちろん、金持ちの親族の誰もが誘拐されるわけではない。しかし、「ゲティ家の当主」の言葉通り、金持ちであるということは「自由という問題」に直面することでもある。たとえば、親族が何か法を犯すようなことをした場合、金持ちであればそれを金で解決できる可能性がある。しかし、本当にそのやり方を取るべきなのか―。そういう決断に、身を置きたくないのだ。

誰が正しい決断をしたのか、それは分からない。その過程で取らざるを得なかった複数の選択肢が正しかったのかどうかも、誰にも判断出来ないだろう。結局のところ、何かを決め、それによって起こった展開を受け入れるしかない。

内容に入ろうと思います。
1973年7月10日、ローマでポールという青年が誘拐された。誘拐犯は彼を監禁し、彼の母親アビゲイル・ゲティに身代金を要求した。その額、1700万ドル。
普通では払えるはずのないこの大金を、誘拐犯たちは払えるはずと考えていた。何故なら、彼女の義理の父親は、世界一の金持ちと呼ばれた石油王なのだ。彼はその当時、歴史上でも最も金持ち、と呼ばれるほどの資産家だった。
母親は当然ゲティ家の当主が身代金を払ってくれると考えていたが、そう簡単ではなかった。彼はマスコミの前で、身代金は払わない、と宣言したのだ。マスコミ報道が異様に加熱する中、ゲティ家の当主は腹心の部下であるフレッチャーを呼び、極秘裏に動いてポールを救い出すよう命じた。
ポールの一家には、少々複雑な背景がある。アビゲイルはゲティ家の息子と結婚したが、夫は特別働くわけでもなく、父親からも見放されている状態だった。妻に言われて父親に仕事をくれるよう頼むと、関連会社の副社長の椅子が用意され、ヨーロッパを統括するよう命じられるが、彼はその責務を放棄、さらに家族も捨て、モロッコで廃人のような生活をしていた。

アビゲイルは夫との離婚を決意するが、離婚協議でゲティ家の当主とやり合う。彼女は、ある条件を突きつけた。慰謝料も財産分与も一切放棄する。その代わり、息子・ポールの監護権だけは渡してくれ、と。
ポールが誘拐された当時の状況は、まさにこのようなものだったのだ。
世間はアビゲイルが大金を持っているはず、と考えている。しかし彼女には、自由に動かせる金などまったくない。ゲティ家の当主は身代金を払わないと言っている。ポールは一体、どうなるのか…。
というような物語です。

なかなか面白い映画でした。冒頭でも書いた通り、どこまで実話で、どこまでがフィクションなのかは判断できない。こういう映画の場合、僕は、「本人からの証言や、警察による聴取などが得られている部分は実話をベースに、それ以外の客観的な事実が分からない部分はフィクションで埋める」と考えているが、物語を面白くするための、敢えて事実だと分かっている部分に手を加えることだってあるだろう。こんな誘拐事件が起こっていたことをまったく知らなかったので、その辺りの判断は一切出来ない。

実話としてではなく、すべてをフィクションとして捉えても、この物語は非常に面白い。冒頭から、多額の身代金と、それを払わないと主張する資産家という構図が印象的だが、それ以降も、次から次へと困難な状況へと話が展開していく。恐らく、史上最高額だろう身代金に、マスコミや世間を含めた多くの人間が普通ではいられなかったのだろう。あらゆる場面で、正常とは思えない判断、行動が飛び出し、状況はいよいよ混沌としていく。


とまあ、ここまで書いたところで、このゲティ家の当主についてネットで調べてみたところ、そのドケチっぷりは有名だったようで、まあなんというのか、ただ金を払いたくなかっただけのドケチな大富豪、というのが真実みたいですね。それが真実だとするなら、この映画では、ゲティ家の当主は結構良い風に描かれている、と言えるかもしれません。

映画で描かれていることのどこまでが真実かは分からないけど、フィクションとしてはなかなか面白い映画でした。

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