【映画】「あゝ、荒野 前編」感想・レビュー・解説

寺山修司の原作は、読んだことがない。
だから、この映画がどこまで原作の内容を含んでいるのか、それは判断できない。
ただ、原作そのままを映画かしているわけではない、ということは分かる。
何故ならこの映画は、2021年が舞台だからだ。

冒頭で、2021年の新宿であることが明かされる。
初め僕はそれを、特別意味のある設定だと思っていなかった。
しかし、映画が始まってすぐ、新宿・歌舞伎町で爆破事件が発生する。
なんだこれは?と僕は思った。

僕がこの映画に抱いていたイメージは、「弱者がボクシングを通じて這い上がる物語」というものだ。
確かに、それは本筋ではある。菅田将暉と、もう一人韓国人の俳優(役柄的には、日本人と韓国人のハーフ)が、弱小ボクシングジムから強くなっていく物語だ。
しかし、決してそれだけの映画ではない。

2021年。それは、東京オリンピック後の日本だ。
その日本は、今以上に社会情勢が不安定になっている(とこの映画では描いている)。
国会では、ある法案が審議されている。
それは、学生の奨学金の支払いを一部免除し、その代わり、介護業務あるいは国際平和貢献プログラムに参加させよう、というものだ。国際平和貢献プログラムは、世間では“徴兵”と呼ばれている。表向き、自然災害などへの派遣と謳われているが、実質的に自衛隊への入隊者を募っているだけだ、と見られている。
新宿では学生らが、これは経済徴兵だと言って、反対活動を繰り広げている。

また、自殺者も増えている。
この映画では、ボクシングの話の合間合間に、西山大学の学生の話が挟み込まれていく。彼らは、親族や友人を自殺によって喪った者たちだ。彼らは、自殺のような“無意味な死”を無くすべく活動をしている。街中で様々な人に「自殺したいと思ったことがあるか?」と問いかけ、映像に記録する。また、「自殺防止フェス」を企画し、そのための準備を進めている。

前編では、ボクシングの話と、社会情勢の不安定化や自殺の話がどう繋がっていくのか、はっきりとは見えてこない。一つはっきりとした繋がりは見えるのだけど、しかしその繋がりがどう物語と関係してくるのか、全然分からない。

確かに、ボクシングを通じて這い上がろうとしている二人はどちらも、これまで碌でもない人生を歩んできた。「弱者」側だと言っていい。そして一方で、奨学金の返済猶予による徴兵や自殺なども、「弱者」側の問題だ。単純に考えれば、そういう方向で両者の物語が繋がっていくと考えるのが自然だろうか、と思う。


しかし映画を見ている限り、どちらも「新宿」という空間で起こっている以上の関わり方が見いだせそうにない。

この、まったく混じり合わなそうな二つの物語が同時に進行していくというスタイルは、原作にもあるのだろうか?寺山修司が原作となる小説をいつ書いたのか知らないが、その当時の社会情勢を物語に組み込んだ、という可能性はあるだろう。後編でどんな展開になっていくのか分からないが、ボクシングだけではない物語の軸があり、その両者がどう融合するのかという点が非常に楽しみだし、何よりも、原作小説をちょっと読んでみたいという気持ちになった。

内容に入ろうと思います。
少年院から3年ぶりにシャバに戻ってきた新次は、かつての振り込め詐欺仲間と連絡を取るが、皆足を洗ってまともになっている。老人に金を出させるマニュアルを作り上げた一人である新次はまったく面白くないが、シャバに戻ったらまた振り込め詐欺で稼ぐつもりでいたアテが外れどうしたもんかと思っている。
理髪店で働く健二は、韓国人と日本人のハーフだが、吃音のためにどちらの言葉でもどもってうまく話すことが出来ない。理髪店の店長は良くしてくれるが、どもってうまく話せない自分をなんとかしたいという気持ちをずっと持っている。
二人は同じタイミングで、新宿の有名ボクシングジムの前で男からビラを受け取る。堀口という名の男は、海洋闘拳ジムという小さなボクシングジムを経営しており、人が集まらずに別のボクシングジムの前でビラ配りをしていたのだ。新次も健二も、すぐには興味を示さなかったが、新次はとある理由から全財産がなくなり、健二は父親との関係の問題から、共に堀口のボクシングジムに入ることになった。
母親に捨てられ、施設で出会った男と組んで振り込め詐欺をやっていた新次は、新次らを裏切り大人数でボコボコにした山本を壮絶に恨んでいる。山本は、堀口がビラ配りをしていたボクシングジムに所属する、プロのボクサーだ。リングの上なら殺しても許される―だから新次は強くなるための努力を惜しまない。

健二は、碌でなしの父親からの暴力に対抗したい気持ちもあって強くなろうとする。健二は、堀口も驚くほどの良いパンチを持っているのだが、試合となるとどうしても目を瞑ってしまい、実力を発揮することが出来ない。
ボクシングと出会って、碌でもない人生から足を洗う決断をした者たちの、全力を描く物語だ。

そしてこの合間合間に、冒頭で書いたような自殺防止のための活動をする学生たちの物語が挟み込まれていく。

前編を観終わった時点なので、物語がどう展開していくのかは全然分からないのだけど、とにかく現時点での満足度は非常に高い。

何が良いのかと考えてみると、作り物っぽくないように感じられるところが良いような気がする。

これは、前後編に分けたということも関わってくるかもしれない。前篇だけで2時間半もあるかなり長い映画で、だからこそ、普通の映画だったら切ってしまうような「無駄に感じられるシーン」も随所にある。それが、「物語感」をすごく薄めているように思える。彼らが新宿にいて、ちゃんと生きているような、そんな感じがするのだ。

また、やはり菅田将暉の演技の凄さみたいなものもあるのだろうと思う。この映画は全編に渡って作り物感は薄いと思うのだけど、特に菅田将暉が出ている場面はそれを強く感じる。どの映画を見ても思うけど、菅田将暉のその場に馴染む感は、やっぱり凄いなと思う。どんな役をやっていても、「そこにいる人感」が凄く出る。どこにいても、違和感がない。

あと、ユースケ・サンタマリアも実にハマり役だったと思う。ユースケ・サンタマリアの地というのか素というのか、ちょっと軽薄で浮ついてるみたいな感じが、堀口という役柄にピッタリで、映画を見ながら時々、あぁこの雰囲気はユースケ・サンタマリアにしか出せない気がするなぁ、と感じる場面があった。二人のリングネームを決める場面なんか、一番強くそれを感じた。

ボクシングの方のストーリーは、非常に王道だなという感じがする。ボクシングというのは、碌でもない人間をスターにする装置としてうってつけだ。特に新次の方は酷い人生だったが、それを払拭するようにしてボクシングに邁進する。スポーツなんかやってられるか、と思っていた新次だったが、山本をぶっ殺すためという強い動機があり、物語的にも非常に分かりやすい。

しかし、冒頭で触れた自殺防止の活動の話はそれとは逆で、まったく捉えどころがない。リーダー的な人間が何を考えているのか見えてこないし、そもそも2021年の日本の姿が様々な場面の中で断片的に描かれるだけで、全体を把握しにくい。前編での彼らの活動は、なかなか衝撃的な形に行き着くのだけど、あの後彼らがどうしていくのかも分からない。

分かりやすい縦軸に、分かりにくい横軸を組み合わせ、全体で何かを織り上げようとしている。どんな物語に織り上がっていくのか楽しみだ。

あと個人的には、音楽がほとんどなかったのが良かった。音楽が流れている場面もあったかもしれないけど、そうだとしても全然気づかないぐらい自然だった。音楽があまりなかったことも、作り物感を薄める要因だったかもしれない。

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