【映画】「蜜のあわれ」感想・レビュー・解説

赤子は、金魚。お祭りで売られているような小さな金魚。三年子の金魚。
時々人の形になる。真っ赤な衣装に身を包んだ。尾びれをひらひらさせながら。自分のことを「あたい」と呼ぶ。
赤子が「おじさま」と呼ぶ老作家がいる。池の見える書斎でいつも書物をしている。突然自分の前に現れた金魚の赤子のことを愛でている。愛でている。背びれが切れたと言っては唾で治してやり、夜はくっついて眠る。
何かが変わったのはあの日から。おじさまが講演をしていたあの日。赤子の隣に、白装束の美しい女の人が座った。座ったと思ったら、体調を崩した。介抱する中で会話を交わし、やがて知る。
彼女は12年も前に死んでいるのだった。つまり、幽霊。
老作家、金魚、幽霊、金魚売り、そして芥川龍之介。彼らが織りなす、幻想的な空間。

さて、評価の難しい作品です。
正直、ストーリーは1ミリも分かりませんでした。先程挙げた登場人物、「老作家、金魚、幽霊、金魚売り、そして芥川龍之介」を考えてみても、どんな話になるのかさっぱり分からないでしょう。基本的には、おじさまを愛する金魚、そして金魚を愛でる老作家。しかし老作家はきちんと人間の女性とも関係を持っている。嫉妬する金魚。そして、老作家に未練を残して死んだ幽霊。時折、芥川龍之介が物語に顔を出す。という感じなんですけど、まあだからどうしたって感じですよね。

原作は、室生犀星の同名小説。原作がどんな感じになっているのか分からないけど、原作もこの映画の感じなんだとしたら、わちゃわちゃしてるんだろうなぁ、という感じでした。

というわけで、そもそも昔のいわゆる文豪と呼ばれている作家の小説を読むのが苦手で、また、いわゆる純文学的な作品も全般的に苦手な僕には、ストーリー的に惹かれる部分はまったくありませんでした。

しかし、映像と世界観がとてもいい。

まず全体的に映像がとても綺麗です。この、ストーリーは面白くないけど映像が綺麗、というのは、「レヴェナント」とまったく同じ感想でした。「レヴェナント」みたいなスケールの大きな映像ではないけど、日本語の「耽美」という形容がまさにぴったり嵌まるような、妖艶で狂わしい映像は綺麗だなと思いました。

さらに、この映画の独特の世界観。これは強烈な印象を残します。
金魚が人間の形で現れる。老人と(見た目は)うら若き女性の恋。幽霊がナチュラルに現れる。こういうありえない状況設定が、無理なく存在していると思えるだけの世界観を作り上げています。作中でどんなことが起こっても、この世界ならそういうことは起こりうるよね、と思わせるだけの説得力を、ストーリーからではなく、映画を包む世界観から感じました。

しかし、だからと言って現実味から遠ざかっているというわけでもありません。老作家は金魚と、金魚は幽霊と。それぞれ現実味のない存在とのやり取りが作品のメインを占めるのだけど、老作家が時々そういう幻想的な空間から抜け出すような行動を取り、そうすることでこの作品は、現実との接続も切れないまま成り立っている。


例えば、赤子と出会う以前から関係を持っていた女との交わり、ファンに向けた講演会、家の奥から聞こえる、お手伝いさんらしき人の声。こういう描写が時々、この映画を現実に引き戻します。存在そのものが幻想みたいな赤子とは違い、幻想に片足を突っ込みながら現実も生きなければならない老作家の葛藤みたいなものが巧く描かれているように感じました。

その最たる場面が、赤子が「おじさまとの子どもが欲しい」と言った場面でしょうか。勝手に計画を進めようとする赤子に対し老作家は、「それは僕の予定にない」と言ってにべもない。赤子の存在は老作家にとって幻想だが、赤子と老作家の間の子は幻想とは思えない。あの場面は、まさにそのせめぎ合いが如実に描かれた場面だったのだろうな、という感じがしました。

赤子役の二階堂ふみの佇まいが非常に印象的で、まさに二階堂ふみのあの存在感あってのこの世界観なんだろう、という感じがします。赤子という、芯を捉えようがない謎めいた存在を、あれほど奔放に演じながら、「蜜のあわれ」という世界観の中での統一性は確保しているという在り方は、ちょっと凄いなと思いました。


正直僕は、映画を観ながらちょくちょく寝落ちしてました。普段映画を見るのとは違うタイミングで観たので、疲れていたというのもありますが、ストーリーが意味不明だったというのも一因としてあるだろうと思います。ただ、ストーリーは脇に置いたとして、映像と世界観が圧倒的で、何を描きたいのか、何を伝えたいのかみたいなことはさっぱり分からないのだけど、絵画展でも見るような感じで映像を見ていたり、知らない外国に迷い込んだみたいな不可思議な世界観を彷徨ったりという感じの楽しみ方が出来た作品でした。

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