【映画】「友罪」感想・レビュー・解説

友人が過去に罪を犯していたとしたら…。ということは、実際にあり得る問いだと思う。僕たちは、結婚したりするんでなければ、知り合った人間のことをそこまで積極的に詮索しようとはしない。相手の言動に何か矛盾があれば、調べてみるという行動になることもあるかもしれないけど、大抵の場合は、相手が言っていることをそのまま信じるだろう。ネット社会であり、色んな個人の情報が蔓延している世の中だとは言え、逆に言えば、あらゆる情報がありすぎて特定の情報にたどり着きにくい社会であるとも言える。疑いを持ったなら、調べるのには便利な社会だが、疑いを持っていない相手であれば、その相手の過去の情報について、自分の視界に飛び込んでくる可能性は、決して高くはないと思う。

どこかで知り合った誰かが、過去に強盗や殺人を犯している―。日常の中で、なかなか想定しにくい状況ではあるのだけど、でも現実的には、起こり得ないと断言できるほど確率の低い話でもないだろう。

その過去を知ってしまった時、自分ならどう振る舞うだろうか、と考えてしまう。

僕が想定できるパターンは二つある。一つは、その人と知り合うのとほぼ同時に、その人の過去についても知るという状況。その場合は、まあ、積極的に関わろうという意識は持たないかもしれない。その過去を先に知った上で、その人と積極的に関係性を築くだけの必然性がない。僕はそもそも、他人にさほど関心はないので、相手が誰であろうと、積極的に関心を持って関係性を築くことは少ない。過去を先に知っているかどうかに関係なくあまり他人と関わらないのだけど、過去を知れば、その積極性がより失われるだろう、とは思う。

一方で、過去を知らないまま関係性が続いていて、ある時その過去を知る、というパターンんだ。そういう状況であれば、僕は、その人の過去よりは、その人と関わってきた時間の方を優先するだろう、と思う。

というのも、良かれ悪しかれ、人間というのは変わるものだと思うからだ。

僕は、25歳頃を境に、まったく別人になった、と感じている。だから、大学時代の友人が今の僕を見れば、まったく違った人間に見えるだろう。だから例えば、大学時代にした僕の発言などについて何か聞かれたとしたら、その時はそう思っていた、と答えるしかない、と思う。

程度の差こそあれ、人間というのは変わるものだ。良くなることもあるし、悪くなることもある。過去に罪を犯したことがある、というのは確かに大きな事実だけど、しかしそれだけを理由に人間を判断することは僕には出来ない。だったら、自分と関わってきた時間によって、その人を判断したいと思う。

そんな判断が出来るのか、と聞かれれば、出来ない、と答えるしかないだろう。当然、相手が更生しているのか、相手が真人間に生まれ変わったのか、そんなことはどれだけ関わったってわかるはずもない。

ただそれは、罪を犯したという過去を持たない人間に対しても同じことが言える。

世の中には犯罪者がたくさんいる。その犯罪者の多くは、初めて犯罪を犯した者だろう。であれば僕らは、過去に犯罪を犯したかどうかに関係なく、普段関わっている人が犯罪を犯すかどうか、という判断などまったく出来ていない、ということになる。もちろん、あいつは何かやりそうだった、という雰囲気の犯罪者もいるだろうけど、よくテレビで、「そんな人だとは思わなかった」という発言が出てくるように、まったく犯罪を犯しそうにない人間が犯罪者になることだって頻繁にある。

つまり、過去に犯罪を犯していようがいまいが、その人が犯罪を犯すかどうかなど、誰にも判断できない、ということなのだ。

だったら、その人との関わりを通じて、相手を信じるかどうか、自分が決めるしかない。過去に犯罪を犯したことがある、という理由で誰かを遠ざける人は、自分の身近にいる、一度も犯罪を犯していない人が犯罪者になる可能性をまったく考慮していないだけだと思う。

人間は、自分とは「違う」と感じる人間を排除したがる。自分と同じではなかった、ということがわかると、裏切られたと感じたくなる。その気持ちがまったく理解できないとは言わないけど、じゃあ「同じ」という判断のどこに保証があるのか、と感じてしまう。誰かを「同じ」だと感じるのは、結局、幻想に過ぎないのだ。

内容に入ろうと思います。
かつて雑誌記者だった益田は、訳あって工場で働くことになった。一緒に研修に入るのが鈴木。益田と鈴木は、清水・内海という同僚と共に、4人で同じ寮で生活をすることになった。
鈴木は、どうも周りと馴染めないでいる。でも、溶接の資格を持っているようで、仕事はちゃんとやる。一方、力仕事などほとんど経験のない益田は、なかなかすんなりとは仕事をこなせないでいる。益田は、同期ということもあり、周りから浮いている鈴木のことを気にかけている。
その近くで、小学1年生の男児が刃物で刺されて死亡しているのが見つかった。調べを進める女性記者。そして、彼女を現場まで運んだタクシー運転手。運転手は仕事の合間に、謝罪をしている。かつて彼の息子が、誰かの命を奪ったようだ。
橋の上でぼーっとしている鈴木の元に、見知らぬ女性が駆け込んでくる。彼女は、元カレに追われているようだ。そこでその元カレにボコボコに殴られたことで、鈴木は藤沢さんと知り合った。
やがて益田は知ることになる。鈴木があの、14歳で猟奇殺人を犯した、「少年A」こと青柳健太郎だ、ということに…。
というような話です。

なかなか重苦しい話ですが、重苦しいだけという話でもありません。犯罪そのものが描かれるというよりも、過去の犯罪に対して、様々な人間がどう向き合っていくのか、ということが描かれていきます。

主軸は益田と鈴木の話ですが、枝葉の部分がかなり色々あります。鈴木の恋愛の話や、鈴木の彼女である藤沢さんの話、益田の過去、「少年A」を追う女性記者、医療少年院で「少年A」の担当だった女性、息子が加害者になってしまったタクシー運転手…。様々な形で、色んな人が「過去の犯罪」と向き合っていきます。


そこに、分かりやすい結論はありません。というか、分かりやすい結論などない、ということを描くために、いくつもの物語を同時に描き出しているのでしょう。犯罪を犯した側、巻き込まれた側、どちらでもない立場…、様々な立場から「犯罪の余波」みたいなものが描かれ、それが鈍く、しかし確実に遠くへと届いていく様が、丁寧に描かれている、と感じました。

とはいえ、枝葉がちょっと多すぎるかな、という感想も持ちました。原作は読んでいませんが、かなり厚い作品です。映画化するにあたってだいぶ削ったでしょうが、しかしそれでもまだ要素が多すぎるかな、という感じがしました。様々な方向から「過去の犯罪」を描き出すことに主眼がある、ということは分かった上で、例えば医療少年院の話を削るなどした方が良かったかな、という感じもしました。


鈴木は、青柳健太郎という、14歳にして猟奇殺人を犯した、という設定の青年ですが、この男が醸し出す違和感が、映画全体を支配していたな、と感じました。鈴木という男が、どういう理屈で行動しているのか全然読めずに、ぞわぞわします。他人を拒絶しているようでいながら、他人に優しさを発揮することもあり、瞬間的な凶暴性の発露や、狂気を孕んだ自傷行為など、簡単には捉えきれないキャラクターです。その異質な様が、観客をこの映画に惹きつけるのだな、と思います。そういう意味で、鈴木(青柳健太郎)を演じた瑛太は見事だと思います。ホントに、かなりヤバイ人に見えました。社会生活がギリギリ営める程度の異質さみたいなものを絶妙に醸し出している感じが、凄く良かった、と思います。

個人的には、タクシー運転手の山内の物語に色々考えさせられました。山内とその息子は、ある理由から対立します。息子側の人物が、「罪を犯した人間は幸せになっちゃいけないんですか?」と山内に問いますが、それに対して山内はにべもなく「当然だ」というような返答をする場面があります。非常に印象的な場面でした。僕は、山内のようには考えませんが、山内には山内なりの理由があってそういう発言をするのです。

犯罪というものが、どういう事態をもたらすのか、人をどう変えていくのか、ということを強く感じさせられる物語でした。

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