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【本】pha「ニートの歩き方 お金がなくても楽しくクラスためのインターネット活用法」感想・レビュー・解説

内容に入ろうと思います。


本書は、「日本一有名なニート」とも言われている著者が、自身の生き方や考え方を綴り、自分と同じような人間に、もっと楽な生き方があるよ、と示唆する作品です。何故「日本一有名」なのかと言えば、この著者が京大卒だからでしょう。また、プログラミング好きな人間を集めた「ギークハウス」というシェアハウスの発起人でもあるようです。


先程も書いたけど、本書は、「自分と同じような人間に、もっと楽な生き方があるよ、と示唆する作品」です。なので、世の中の大多数の人は、この著者の価値観に共感しないでしょう。だからむしろ、本書を読んで、こんな考え方は全然理解できない、と思った方は、とても正常で、世の中でほどほどにうまく生きていられている人なのではないかと思います。


僕は、著者の考え方が物凄く理解できてしまいます。僕は、この著者とまったく同じ考え方なわけではないので、この著者のようには生きられないと思います。けど、根本的な考え方は、とても似ている。どちらかと言えば僕も、社会にうまく馴染めない人間で、色んなラッキーの積み重ねで今どうにか生きてるよなぁ、といつも思っています(著者も、同じようなことを書いていました)

『どちらにしてもあのままずっと会社に勤め続けることは自分の性質的に無理だっただろう。仕事を辞めなくてもどこかで潰れていた。どうせ辞めるならできるだけ若いうちのほうがいい。人生引き際が肝心だ。』

著者は京大卒業後、一旦は就職してみたものの、やはり仕事をし続けることが苦痛で辞めてしまった。著者の「どちらにしてもあのままいたら自分は潰れていた」というのは、僕の大学時代の思考とまったく同じだ。

僕も著者と同じように勉強は出来て、そこそこ良い大学にいたんだけど、「このまま大学にいたら就職しなくちゃいけないよな。でも、自分がまともに働けるとは思えないぞ。さっさと脱落しておかないとヤバイんじゃないか」というようなことを考えて、大学を辞めたような気がする。だからこの著者の、「あのままいたら潰れていた」という感覚は、とてもよく分かる。

『世の中で一般的とされているルールや常識や当たり前は、世の中で多数派とされている人たちに最適化して作られている。少数派がそんなアウェイな土俵で戦っても負けるだけだ。無理して我慢しても意味がないし、向いていない場所からは早めに逃げたほうがいい。レールから外れることで自分と違う人種の人たちにどう思われようが気にすることはない』

これは僕も、いつも同じことを考えている。僕自身、「常識」や「当たり前」に守られていることも当然あるだろうけど、でも多くの場合、「常識」や「当たり前」がしっくりこない。なんでそうしなくちゃいけないんだろう?なんでそんな風に考えなくちゃいけないんだろう?そう思うようなことが世の中には多すぎる。

昔から不思議だったのだ。なんでみんなこういうことに疑問を持たないんだろうと。でも大人になるに従って、こういうことに疑問を持たない人が多数派だからこそこういう「常識」や「当たり前」が存在しているのだ、ということに気がついた。だから今では、あまりそういうことに表立って抵抗はしないようにした。

抵抗したって、無駄だ。多数派が、無邪気に積み上げてきた「常識」や「当たり前」は、とても強固だ。僕一人が抵抗したところで、揺さぶられもしない。だから、そんな「常識」や「当たり前」からは、さっさと逃げるしかない。

『僕自身が何かをやってうまくいったときにいつも思うのは、この成功は別に自分がすごかったからではなく、たまたまその場所に自分がいたからというだけにすぎない、ということだ。そこでも自己責任の割合は半分ぐらいに感じている』


『だから「頑張れば成功できる」というのも僕は半分嘘だと思うし、そもそも頑張れるかどうかとか能力があるかどうかも環境によって左右されるものだから、「定収入は自己責任だ」って一方的に突き放してしまうのは間違っていると思う』

僕も、「たまたまそこにいたからだ」という感覚は、いつも持っている。僕は常に、自分は運だけで今ここまで来た、という自覚を持っている。10年前の自分に言ったら、絶対信じてもらえないようなことが自分の周りに起こったとしても、結局それは僕自身の能力とか努力の結果ではない、という感覚が常に付きまとう。努力したからと言ってどうにかなるもんでもないし、努力しなくても色んな要素がうまいこと重なればどうにかなっちゃうものだ。

だから出来るだけ、自分の能力や現状を過信しすぎないようにしている。どんなことが起こっても、運が良かった/悪かったという風に捉えてしまうので、著者の言っていることはとてもよく理解できる。「頑張れば成功できる」という言葉は、「頑張ったことで成功できた人間」がたくさんそういうことを言うから流布するわけだけど、でも世の中には「頑張ったんだけど成功出来なかった人間」も山ほどいるはずだ。

でもそういう人の声は、なかなか拾われることがない。そういう情報の偏差みたいなものが、色んな人を呪縛しているんじゃないかなぁ、という気がする。

『でもだからと言って、三十年後にくる老後のために仕事をするとか貯金をしておくとか、そういうのはどうもぴんとこない。みんな、そんな先のことを計画できるものなんだろうか。僕はすぐ目の前のこと、せいぜい数カ月先までのことしか想像できない。自分の二十年後や三十年後なんて全く実感が湧かない。それ、本当にあるんだろうか。生きているかも怪しい。そんなあやふやなもののために備える気力が湧いてこない』


同感だ。ホント、世の中の人は凄いなと思う。30年のローンを組める人とか凄い。30年後の自分なんて、まったく想像出来ないし、そんな想像出来ない未来の自分にお金の支払という約束を守らせることが出来るという自信なんてどこからも湧いてこない。これは僕がフリーターだからってのもあるだろうけど、でも正直、サラリーマンをやってても、きっと僕にはそんな実感を持てないと思う。

老後なんて、僕は完全に無視して生きている。今生きていくのだって、自分の気持ち的にはあっぷあっぷなのに、そんな老後のことなんて考えるのなんてめんどくさい。そりゃあ、余裕がある人は準備すればいいけど、そんな風に準備出来るのなんて凄いななんてやっぱり僕は思う。

『でも正直、自分が二十年後や三十年後にどうなっているかは分からない。お金がなく体も悪くなってとても惨めな生活を送っている可能性も高い。でもすごく惨めな老後を過ごしたとしても、多分後悔はしないと思う。結局若いときの自分にはそういう選択しかできなかったのだから。若いうちにいろいろ好き勝手な楽しいことをできたし、もう人生なんてそれで十分じゃないだろうか』

僕も同じようなことを思っている。二十年後、三十年後のリアルな想像は出来ないけど、でもよほど運が良くなければ惨めな生活になっているだろうな、と思う。でも、まあそれでもしょうがない。僕も著者と同じで、こういう選択しか出来なかったのだから。

もし大学を辞めずに卒業していれば、もう少し選択肢は広がったかもしれないけど、でも当時の自分には、その選択肢はなかった。僕は、大学を辞めたことを後悔したことが一度もない。後悔しようにも、僕には「大学に踏みとどまる」という選択は、絶対に取り得なかったことが分かっているからだ。


僕は、明日死んでも後悔はないと思って生きている。毎日それだけ情熱的に生きている、というわけではなくて、まあそれなりに楽しいこともあったし、どうしてもやりたいことって別にないし、老後にしんどい生き方をしなくちゃいけないなら、明日事故で死んじゃってもまあいいか、ぐらいの気持ちだ。

そもそも日常を生きるというのは僕にとって、長い長い暇つぶしをしているようなものだから、死んじゃうことに恐怖があるわけでもない。ま、自分で死ぬ勇気みたいなものはなかったりするんですけどね。

『日本人は周りにどう見られるかを気にして自分を犠牲にしすぎだと思う。もっと全体的に適当でいい加減になっていいし、それで社会が不便になるなら不便になってもいい。電車やバスが遅れまくったり停電がしょっちゅう起きたりコンビニが二十四時間営業じゃなくなっても、その分みんなが気楽に生きられるならそっちのほうが幸せなんじゃないだろうか。もっとみんなだらだらしよう』

『あんまり先のことを考えすぎても仕方ない。十年後、二十年後にこの社会がどうなっているかなんて誰にも分からないし、また必要が迫ってから考えればいい。人間いつ何が起こって死ぬかわからないし、いつかは絶対に死ぬ。人生なんて死ぬまでの間をなんとかやり過ごせればそれでいい』

『もっと言うと、僕は「お金がないと生きていけない」とか「お金を稼ぐには働かなければならない」という事実にまだあまり納得がいっていないというのがある。憎悪していると言ってもいい。それは社会では当たり前のことなのかもしれないけど、それが当たり前だって簡単に思いたくなうい。もっと適当に、お金なんてなくても全ての人間は安楽に幸せに生きられるべきなんじゃないのか。それが文明ってもんじゃないのだろうか。それは夢のような話なのかもしれないけど、なんかそれは諦めたくない』

『人生においてもそんな感じで、頑張って力づくで無理矢理状況を変えようとするのってあんまりうまい方法じゃなくて、自分がそれほど力を入れなくても動ける状況を探すべきなのだ。もしどうすれば楽になれるのか全く見えない状況だったら、あまりあせらずに何かが見えてくるまでじっと何もせずに待ってみてもいいんじゃないかと思う』

『結論から言うと、別に働かなくても人間は生きていていいと思う。人間って別に働くために生きているわけじゃない。人間という概念はそんなに狭いものじゃないはずだ。人生をより良く送るための手段として働くのはありだけど、それはあくまで手段にすぎないのに、働くこと自体が人生の意味のように思っている人が多い』

『ニートが全くいない世界は、人間に労働を矯正する圧力がキツくて社会から逃げ場がなくて、自殺者が今よりもっと多いディストピアだと思う。
働きたくない人はニートになってもいいし、働きたい人は働いてもいい。一旦ニートになった人がまた労働者になることも、労働者がちょっと疲れたらしばらくニートをやるようなことも、どちらでも気軽に選べるような社会が理想的な社会だと思う』

考え方のすべてに賛同するわけではないけど、こうやって書かれていることのほとんどに共感できてしまう。社会に馴染めなくて、かつ考えることが好きな人間は、きっと同じような結論に達するのだろう。著者も、ここに書いたことは自分一人の意見なわけではなくて、色んな影響を様々に受けながら自分の内側に蓄積していったものだ、と書いているし、考え方や価値観は時代によって規定される、とも書いているし、そういうものなのかもしれないけど。


僕が著者と大きく違う点は二点あると思う。一つは、働くことが決して嫌いなわけではない、ということ。そしてもう一つは、人と関わることが嫌いではないということ。この二点が大きく違うから、僕は著者とまったく同じような生活を羨ましく思うことはきっとない。でも著者も当然、自分の生き方がベストだなんて言っているわけでもないし、人にはそれぞれ生きやすい生き方があるから、今窮屈に感じている人はそれを探してみたらいいんじゃない、と言っている作品なんで、全然いいのだけど。


僕は決して、働くことは嫌いではない。ただ、「働くこと」に付随する余分なものが面倒に感じることが多い。理不尽な命令だったり、無駄に感じられる会議だったり、仕事以外の部分で評価されるような雰囲気だったり…というような、まあサラリーマンとして働いたことはないから全部想像でしかないんだけど、そういう「働くこと」のちょっと外側にあるような部分が僕には我慢できないようなところがある。だから、注意深くそういうものが出来るだけない仕事を探せば、たぶん僕は仕事を続けることが出来る。今は運良くそういう場所にいるから、どうにか働き続けることが出来ているけども。

だから、どんな場所でも働けるわけでもないし、というか世の中の大半の場所では働けないかもしれないけど、でも決して働くことは嫌いではない。


そしてもう一つ、僕は人と関わることは嫌いではない。しんどく感じることも当然あるのだけど、基本的に人と関わることは好きだ。だから、著者のように、「コミュニケーションを取らなくても孤独にならない方法」を探してシェアハウスに行き着いたりはきっとしないだろうなと思う。まあ、人と関わる、という部分でシェアハウスは面白そうかもと思ったりはするけど、なんとなく僕には向いてないかもなー、という気がしないでもない。まあ住んでみないと分からないけど。


だから僕は、著者のように内に閉じこもっているよりも、外に出て行く方が健全に生きられる気がする。それでも、ベースとしての考え方は凄く共感できるのだから、本書はニートであるかどうかみたいなこととはあんまり関係なかったりすると思う。本書の評価として、「この著者はニートじゃない」という批判をひくつか目にしたことがあるんだけど、これほど的はずれな批判もないな、と僕は思う。

本書は、著者がニートであるかどうか、なんて狭い価値判断に左右されるような作品ではない。例えばこの著者が大金持ちの御曹司で、働かなくても優雅な生活を維持できる、という環境で本書のようなことを言っていたら、それはまた受け取り方は変わるだろうけど、厳密にニートであるかどうかはともかく、ニート周辺にいる著者がこういうことを書いているのだから、僕は全然素直に受け取ることが出来る。

著者も本書で、大金持ちが遊んで暮らしていることは批判しないのに、貧乏人同士が些細な差異をあげつらって共感できないのはなんだかなー、みたいなことを書いていたけど、本当にそう思う。僕は、著者の外面的な生き方がどう見えようと、内面は紛れも無くニートだと思うし、そういう意味で僕も、外面的にはともかく、内面的には相当ニートに近いんじゃないかなと思います。

『ニートでない人たちは、ニートが自分たちとまったく違う何かだと思わないで欲しい。それは自分たちと同じ社会の雰囲気から産まれた、自分と共通するものを持った何か何かなのだから。
逆も同じことが言える。ニートにとっても、働いている人は自分と無関係ではない。それは自分と共通する何かを持った人たちで、1枚のコインの両面みたいなものだ』

著者は様々な本を持ち、色々あがいて様々な経験をすることで、非常に面白い視点を獲得することが出来ている人だと思う。自分の立ち位置を客観的に見定め、社会や常識を違った方向から眺め、多勢に流されることなく、自分の考え方をきちんと持ち、そしてその価値観を裏切ることなく行動に移す。

なかなか出来ることではないと思う。著者の考え方を受け入れることが出来るかはともかくとして、自分の生き方や価値観などについて、ここまで向き合って真剣に考えられる人はそう多くはないだろう。恐らく、多数派であればあるほど、社会の常識や当たり前に疑問を感じない人であればあるほど、自分の生き方や価値観と向き合って考えることは難しくなっていくだろうと思う。そういう意味でも、共感できる。

どんな生き方をしていようが、自分がどこに立っていて、そこでどう生きているのかを客観的に見定めることが出来ているのであれば、そしてその生き方そのものが誰か他人の迷惑になっていないなら、それは誰かがとやかく言うようなことではないだろう。僕ももっと、自分の肌感覚みたいなものに従って生きていこうかなと思いました。是非読んでみてください。


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