【映画】「オーバーフェンス」感想・レビュー・解説

『食ってくのって、めんどくさいことだと思いません?』

何が起こるわけでもない毎日を、ただダラダラと過ごしていく。何かあるようなフリをして、楽しいことがあるかのように笑って、未来のことは考えないで目の前の今に寄り添って生きる。仕方ないんだ、なんてことさえ思わなくていいようにバカなことばっかりして毎日を埋めていって、そうやってますます毎日は退屈になっていく。

『今の内にたくさん笑っといた方がいいよ。その内楽しいことなんて何にもなくなってくるから。すぐだよ、すぐ。ただ働いて、飯食って、死んでいくだけ』

どれだけ幸せそうに見えても、どれだけ普通そうに見えても、人は人生の中に退屈を見つけ出す。キュビズムのように、あらゆる角度から自分の人生を見つめて、一枚の絵の中に、折り合わないはずの様々な視点を盛り込んでは、そこに退屈を見つけだす。

退屈に慣れてしまう人もいる。退屈と真っ向勝負を挑む人もいる。退屈に取り込まれる人もいれば、退屈に嫌われる人もいる。人生は何らかの形で、退屈との関わり合いの結果だ。

『今日から自分が変われるかもって思ってたのに。もう死んだみたいに生きなくてもいいって思ったのに』

退屈に支配された日常は、変化を求める。その変化が、退屈を取り去ってくれると信じて。自分の人生の色が少しは明るくなるんだと信じて。

そういう希望にすがるしか、僕たちは生きていくことが出来ない。

舞台は函館。東京を離れ、故郷である函館に戻ってきた白岩は、職業訓練校で大工になるための訓練を受けている。函館に戻ってきて三ヶ月。離婚し、子どもと離れ離れになっている。
職業訓練校に自転車で通い、帰りがけに弁当とビール2本を買って帰る毎日。何があるわけでもない。休日は、教官に言われた通り道具の手入れをする。
ある日、同じ科にいる代島に誘われて夜の店へ。そこで出会ったのが、聡だった。弁当屋の前でダチョウの求愛を全身で表現していた、あの女。白岩は聡と関わるようになっていくが、情緒が安定しない聡との関わり合いは、白岩には掴みどころがない。夜の遊園地で飼育されている動物のことを陽気に話していたかと思えば、情事の後で奥さんとのことについて詰問される。
自分のことを普通だと思っていた男と、必死で何かを掴もうとする女。壊す者と壊れた者が、生きていくためにもがいていく。

これは好きな映画だった。物語はほとんどないと言っていい映画なので、感想として書けることは多くはないが、ずしりと来る良い映画だったと思う。

映画が終わった瞬間、「ここで終わるんだ」と思った。これには、二つの意味がある。一つは、物語がここで閉じたとは感じられなかった、という意味。悪い意味ではない。先程も書いたが、この映画には物語らしい物語はほとんどない。人間の関係性が、「そこにある」というような形で描かれていく。人間の関係性が物語のためのパーツとしてではなく、「そこにある」というようなものとして描かれていく。始まりも終わりもない。ただ、映画である以上、どこかで区切らなければならない。そんなことを意識して見ていたわけではないのだけど、映画が終わった瞬間、なるほどここで終わるのか、と思った、


もう一つは、2時間経ったと感じられなかった、という意味だ。映画が終わった時、物語的にではなく、時間の感覚としてまだ映画は続いていくと思っていた。映画が終わった時、既に2時間経っていた、ということがとても意外だったのだ。同じ2時間の映画でも、長く感じるものもある。この映画は、とても短く感じた。まだまだ全然観ていられる、と感じた。

不思議な映画だ。映画は、実にゆったりと作られている。映画の中に、パリッとして動く人間はほとんど出てこない。大体みんな、ダラっとしている。映画の中の時間も同じようにダラっとしている。濁った水は少し重たそうに見えるものだけど、そんな風に、映画の中に流れている時間も重たくダラっとしているように感じた。時間そのものが、濁っているような雰囲気を漂わせていた。

物語の展開が早く、あっという間に2時間経った、というのとは全然違う。むしろ真逆で、時間は実にゆったりと流れているのに、時間の経過をあまり感じさせない映画なのだ。不思議な感覚だなと思う。

時間まで濁っているような世界の中で、鯉のように鮮やかに見えるのが聡だ。夜の店でドレスを来た聡は美しく、動物の行動を真似する動きは人を惹きつける。しかし聡は聡でまた、濁った部分を持っている。遊園地でジャージのような格好で働く聡からは、色彩は感じられない。

『これやらないと、身体が腐る気がして』

何かに蝕まれているかのように陽と陰を明滅させる聡。一方で、何もかもが丸く収まるようにそつなく行動してしまう白岩。二人の関係は、言葉を超えた部分で成り立ち、相手の何がどう自分を惹きつけるのかはっきりと分からないまま、お互いの存在が人生に入り込んでくる。

『お前はさ、自分のことぶっ壊れてるって言ってたけど、俺は壊す方だからさ。余計質が悪いよな』

人生に聡が入り込んでくることで、白岩は、他人と関わることの怖さを少しずつ手放していくように見える。

一皮めくれば、どす黒いもので満たされている。そんな予感を感じさせる日常を実に見事に描き出しながら、そんな日常の中でどうにか息をし続ける人たちを切り取っていく。特別に辛いことも、特別に良いこともないまま、僅かな揺らぎを観る者が勝手に増幅させるようにして物語が閉じていく。他のものでも代替可能な意味のないセリフで構成される日常から放たれる湿ったような臭いと、生と死を内側に取り込んで腐らせているような甘ったるい匂いが交じり合う世界が突然ぶつりと途切れるラストは、なかなか得られない感覚を与えてくれる。

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