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結局は逃げ??(同性を好きだった私が異性と時間を共有している話)

4ヶ月ほど前、約3年の交際をした彼女とお別れをした。(はやくね?とかは異論は認めません、わたしはそういう人間です)そのことについて、触れた投稿をした。自分を数年間レズビアンだと思って生活してきたが、最近ストレートのシス男性と関係を結ぶことになったので、私の葛藤を共有して行こうとおもう。

前に比べてここ最近では多様な性のあり方だったり性的思考の記事がタイムリーに目にすることができるようになったとおもっていた。が、、、

まず、シス男性との交際が数年ぶり初めてレベルすぎて発狂しそうな私はとりあえずインターネットで様々な情報に触れてよさそうな情報をピックアップすることにした。「アイコス 吸うやつ ろくでもない」「女扱いするな 対人として扱ってほしい」「車 椅子倒しすぎ やっぱり卍?」「遠距離無理って言われた オメーがついてこいや」「家庭に入るのはやだ でも相手は長男」「子供 育てたいけど産みたくない 絶対養子がいい」などなど気になることはいくらでもある 

しかし本当に検索すると動画から、何から何まで出てきて異性愛に関するコンテンツが同性を愛することよりも多く溢れかえっていることがすごく悲しかった。別に今まで、同性と付き合うことに関して情報が少なかった私たちがかわいそうだったわけじゃない。でも、この情報量の違いは、「異性愛が普通」と認識するには充分すぎるものだと思った。

とにかく何もかもが(もちろん将来のことなど2人の間での問題はたくさんあるが)、今まで気にしてきた世間体、結婚の権利がある上で価値観とか、同性と付き合うものがある前提で話せることが悔しくてたまらない。自分が与えられた権利にあぐらをかいているようにしか思えなくて悔しい。相手のことを心から好きだし、「男からアクションするのが普通」という相手の当たり前を少しでも是正したくて全ての身体的接触、意思決定に関与し(当たり前だけど)てきた。でも私が自分の意思を反映させられるのがここまでにしか思えなくて辛い。もしかしたら、相手を家族に紹介するときが来たら家族が両手放しに喜んでくれるのがわかって辛い。当たり前に今までできなかったことが、当たり前にできて、それが世間一般的な幸せって思い込んでしまうことが辛い〜〜〜〜もう何をやっても世の中からの不平等さから逃げただけの自分にしか思えなくて、、、(そんなことはないのも頭ではわかってるけどね、理解しきれない)

この葛藤をすると結局自分が男女二元論、ロマンティックな視点でしか物事を見れないのだな、、、、はあ視点の狭いザコ、、みたいな結論になってしまう。別にそうじゃないこともわかってるし、そうだとも思う。でも自分の今好きな人に目を見て好きと言える人でありたいマインドは本当に自分のいいところだと思う(自己肯定感の高さはここから来るので、生きていける)

私のこの葛藤が消えることはないと思うし、ずっとこの葛藤と生きていきたいと思う。同性婚が認められる日まで必要性を訴え続けるし、誰を好きになったってならなくたっていいってことを発信したい絶対に生涯を通してするからな〜〜!!(自分自身を鼓舞する)

もしこんな葛藤を抱えている人がいたら連絡ください、お待ちしてます。

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