ボランティア精神

中学の頃の話だ。

ある日、学校で「緑の羽根共同募金」のボランティアの募集があった。土曜の午後、学校が終わってから夕方まで街頭に立って、募金を呼びかけるだけの簡単なお仕事だった。

これが小学生の頃ならば、週の中でもいちばん楽しい土曜の放課後(当時は午前授業だった)を募金活動に捧げる気にはならなかったはずだ。だけどそのとき僕が属していたのは、封建的な昭和の野球部の下っ端で、「声だし」と「球ひろい」しかすることがないのになぜか怒られるネタは尽きない理不尽な世界。「共同募金」は、そんな部活を堂々と休む滅多にないチャンスだった。もちろん僕は喜び勇んで手を挙げた。

春うららかな目抜き通りの交差点に立って、道行く人に声をかける。何のことはない、ここでも僕の仕事は「声だし」だ。それでもついこの間まで小学生だった僕にとって、週末の午後の繁華街は親に連れられて来るハレの場で、そんなところで一丁前に何かを任されるというのは、大人になったようでちょっと誇らしかった。

まだ声変わりも済んでいないような中学生がそれなりに頑張っていると、周りの大人は優しく応えてくれる。お父さんも、お母さんも、お婆ちゃんも、お爺ちゃんも、「がんばってね」などと言いながら募金箱にお金を放り込んでいった。グランドのはじっこで、何も来ないのに「サーコイ!サーコイ!」と声を枯らすのとはぜんぜん違って面白かった。そしてキレイなお姉さんが胸元をわざとこちらに突き出して、「(羽根を)着けてくれないのぉ?」と迫るご褒美タイムをピークに(顔を赤くしながら鎖骨のあたりに着けさせて頂いた)、やがて陽は傾き、心地よい疲れと共に夕方を迎えたのだった。

話は変わって少し前の週末のこと。街を歩いていると、共同募金を呼びかける声が聞こえてきた。見ると高校生男女のコンビが、スクランブル交差点の一画に立っていた。たとえて言うなら柔道部と将棋部。地味で、素直で、不器用で、垢抜けない、好感度満点の二人組だった。

中学時代の僕に言ったら驚くだろうけれど、ショッピングモールやレジャーに人出を奪われた2017年の秋晴れの週末の地方都市の繁華街にはあまり人がいない。それは街いちばんの交差点でも同じことで、高校生コンビの前を通る人ももちろんまばらだった。それでも不器用な彼らは、一人ずつ交代で、メトロノームのようにテンポよく、合間を空けずに、大きな声で、(男)「赤い羽根共同募金にご協力お願いしまーす!」、(女)「赤い羽根共同募金にご協力お願いしまーす!」、(男)「赤い羽根~」と繰り返していた。

自分だったらあんなことは5分も続けられない。全速力でマラソンを走ろうとしているようなものだ。チャンスを見つけて喜んで部活をサボった僕なんかと違って、彼らならグランドの雰囲気を盛り上げるために、一生懸命に「サーコイ!サーコイ!」と叫び続けることだろう。「よし、あそこで募金するぞ」 そう決めて信号待ちをしていた時、それは起こった。

さすがの彼らもあまりの単純作業に頭がボーっとしていたのだろう、女の子の方が、自分の番を言った後、相手の順番を待たずに続けて叫んでしまったのだ。

(男女)「赤い羽根共同募金にご協力お願いしまーす!」

二人の声がきれいにハモった。それまで坦々と任務をこなしていた女子が、想定外のハモりで壊れてしまった。恥ずかしさとおかしさが爆発して、しゃがみこんで大笑いし始めたのだ。隣の男子も「なんだよー」みたいな顔をして居心地悪そうに笑っていた。とてもかわいくて、気持ちのよい二人だった。

邪魔をしないようにほとぼりが冷めるのを待って、彼らの募金箱に小銭を入れた。「がんばってください」と言ったら、「ありがとうございました!」と元気に声を揃えてくれた。「もー、つきあっちゃえ!」なんて余計なことを思ったりしながら、僕はニコニコとその場を後にした。

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