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終の棲家デザイナ 太田健司の日常4

「そんな無理難題を言われましても。この件はお断りさせてください」
「太田さん、彼を見捨てるんですか」
「そういわれても、死刑囚の終の棲家という、その前提条件が意味わからない。刑務所のデザインをというならまだわかりますけれど、現役死刑囚の終の棲家ってなんですか、それ」

明け方、死刑囚、それも、革命を標榜し、同志を粛清し、革命対象とは全く無関係の市民を爆弾テロで殺したという人間から、終の棲家のデザインを頼まれるという夢のなかで、呻吟苦吟して目が覚めた。

「せんせ、目を覚ましてください。お客様とのお約束の時間です」
 事務の山本さんが湯呑をたんと置く。
「ありがとう。ところでさ、山本さんだったら、どうする。もし、死刑囚に終の棲家を頼まれたら」
「死刑囚が願ったりかなったりの終の棲家に暮らしてよいわけないじゃないですか。贖罪のために刑務所にいるんですよ。被害者も世間も許しませんよ。カウチポテトなし死刑囚なんて」
「いや、でもさ、刑はその収監期間であったり、禁錮や懲役といったものであるわけで、暮らしやすい環境の独房や雑居房で過ごしていけないとは法律にも書いていないのではないかな。もし、住環境が刑の一環として決められているならば、刑の宣告の際にそのことも定めるべきじゃない。ワイファイなし6カ月とか、窓無し1年とか、さ」
「先生、罰を受けているんだから、多少環境が悪くてもしかたないでしょ」
「でもさ、でもさ、そしたら、どうせ死んじゃうんだから、終の棲家もホスピスも要らないということになりません」
「年甲斐もなくそんな青いことを言うからせんせは儲からないんです。刑務所よりも事務所環境を良くしてください」
 年甲斐もなくは余計だろうと思ったし、叱られる理由も見当たらない。塀の中に入ったことはないが、娑婆とはお茶もと味が違のだろうな、などと考えながら客を待った。
       *
わたしは建築デザイナである。大学の卒業制作が棺桶だったために、仲間内では棺桶屋の健ちゃんと陰口を言われている。
 終の棲家が専門のように言われて久しい。個人住宅や商業施設ももちろん手掛け、なかには受賞している作品もあるのだが、どういうわけか「代表作」にはなっていない。
「お約束の鈴木様がおみえになりました」
 山本さんの声を合図に、わたしは笑顔を貼りつける。
 終の棲家は、今住んでいる家。何か特別な仕掛けや設え、ましてや、終の棲家ならではの決まりごとなどない。三日も目にしていればどんなものでも目になじむ。生まれ育った実家も、地の果ての老人ホームも終の棲家。公園のベンチだって、段ボールハウスだって、ここが終の棲家だと思った瞬間にそうなる。
 なのに、わたしは終の棲家デザイナなどと名乗って商売している。人の夢をくらって生きるという想像上のイキモノばくである。
「ようこそおいでくださいました、鈴木様。わたくし、鵠楽舎代表の太田健司と申します。え? ええ。お気づきですか。極楽と鵠楽は掛けています。鵠が白鳥の古称とご存じとは。あ、バードウォッチングがご趣味なんですか。さ、こちらへどうぞ。え? この画像ですか。これまで弊社でてがけた終の棲家です。もし興味を惹かれるものがありましたら、画面をタッチしてください。24時間の景色がご覧いただけます」
       *
鈴木さん相手に話すうち、どうも、老人ホームの紹介所と勘違いしておいでになったことがわかり、老人ホームのデザインをいくつか手がけた縁で知り合った、高齢者向け住宅仲介業者につないでお引き取り願った。
「暇ですね」
「そうかなぁ。先月も2件受注したし、今も商談中が1件あるでしょ」
「みんなフツーのビルだったり、個人住宅じゃないですか」
「いや、わたしは建築デザイナだから当然でしょ」
「棺桶屋の健ちゃんの血が騒いだりはしないんですか」
「しませんよ。それに、自称しているわけじゃないし」
 山本さんはわたしにバレていないと思っているのだろうが、当事務所が検索上位になるように、ひそかに策を弄しているようだ。[終の棲家][ホスピス][天空の棺桶]などいろんな言葉でヒットする。おまけに、わたしが「あれ、ここんところ暇?」と改めて気がついたときや、ボーナスがスケジュールに登る時期になると順位が上がる。[極楽]とか[白鳥]でもヒットするとなるとますます疑わしい。社名は「鵠楽舎」、マークに白鳥があしらわれている。
 3か月ほど前のポルトガルから問い合わせには驚いた。
 聞けば[Caixao](棺桶)で検索をかけたらでたそうで、その時探していたものとは違っていたのだけれど、かねてから興味のあった日本の情報だったので、当社のWEBサイトを訪ねたそうだ。そこで「天空の棺を見つけて感動した!」「これもなにかの啓示に違いないから、次のバカンスには日本行くことに決めたので、会いましょうという」とメールに書いてきた。
 検索語も多言語対応しているようだ。だが、どう考えても、商談には結びつかない。
 たしかに、終の棲家のほうの注文が止まっているのは確かだ。山本さんの努力に報いることができずに申し訳ないが、打って出る営業をするようなものではないので、待つしかない。
「せんせ、ネアンデルタール人や、北京原人とかも終の棲家って考えたんですかね」
「しりません」
「じゃぁ、チンパンジーは」
「もっとわかりません」
「ほら、いうじゃないですか、飼い猫や犬は死を悟ると飼い主の眼から離れて息を引き取るって。あれって、犬や猫にも終の棲家のイメージがあるんですかね。あ、像の墓場ってありませんでした」
「あのぉ、山本さん。建築デザイナですから、犬小屋も作れと言われれば作りますけれど、変なことを考えていないでしょうね」
「変なことってなんですか」
「動物のホスピスとか」
「変なことでしょうか。警察犬や盲導犬の介護施設だってあるじゃないですか。競走馬にもあるはずです。ちっともおかしくありません」
「おかしくはないけれど、わたしは、犬にも猫にも馬にも詳しくないですから」
「あら、それじゃ人間には詳しいんですか」
「なんか、からむねぇ。犬猫のホスピスねェ。それがあってもいいなら、死刑囚の終の棲家も認めてよ」
「まだ根に持っているんですか」
「持ってませんよ。なんで動物のホスピスとか言いだしたんですか。ご相談に乗りますよ。もちろん、相談は無料」
「ペットのケアホームってご存じですか、せんせ」
「あぁ、ペットも入れる老人ホームを頼まれたときに調べたことがあるよ」
「山本さん、なにか飼っていましたっけ」
 数年も勤めていれば、服の好みや食べ物の好みなどはなんとなくわかるけれど、履歴書にある以外は、プライベートはほとんど知らない。
「で、どうでした」
「基本的なホスピタリティは、人間とおなじなんだぁ、と。お値段もなかなかだしね。たしかに大型犬で、認知症になったりして、人間と同じように徘徊したり、無駄吠えしたり、暴力的になったりしたら、いくら、家族同様に感じている飼い主でもねぇ。人間の老い方も選べないけれど、犬猫もおなじ。とくに、最近は、ペットの飼育環境も良くなって、餌も気をつけているから長生きだだから、余計深刻だね」
       *
山本さんが事務所に勤め始める前、まだ、独りでやっていたころの仕事だった。夏は避暑地になる高原にある、バブルのころ業績好調だった企業の保養所をリノベーションする企画だった。温泉もあり、空気はキレイ、風光明媚、病院も遠くないところにあり、新築ではないため施設費が安い分、リノベーションに注力することができ、自画自賛だが魅力的なリゾート型老人ホームになったと思っている。
 一人暮らしの高齢者がペットを飼育している数はそれほど多くない。高齢者が新しくペットを飼い始めることはまれであり、たいがいは、飼っていたペットが死んだとき、自分の年齢と鑑みて諦めることが多い。
 飼育している場合も老々飼育が多く、飼い主もペットも急な体調変化はつきものである。飼い主が入院中は、近所の人や介護の支援に入っていた人が代わりに面倒を見ることもあるし、生活に余裕があれば、ペットホテルに入れることもある。
 問題は飼い主の退院後だ。元の生活が取り戻せる確率は低く、なにがしかの支援が必要となることのほうが多い。独居で、借家住まいなら、大家からも「施設に」という話がでてくる。
 課題は、ペット可の施設が少ないことである。あることはあるが、あくまでも、暮らせる部屋が用意されているというだけで、散歩をさせてくれと願っても別料金になったり、ホーム内を自由に歩かせることはできない。
 わたしが依頼されたのは、全館ペット可の物件である。
 その際、施主側にペット不可物件がおおいのはなぜなのかと聞いた。
「犬嫌いもいれば猫嫌いもいます。犬好きでも、ほかの家の犬は嫌いというのもいますし。アレルギーの人もいますしね。というのは建前でして、人間だけでも大変なのに犬猫の世話までやってやれないってことですよ」
「別料金にすればよいのでは」
「そこまでやるメリットがないんです。わたしは水虫しか飼ったことがないのですが、ペットと別れたくないという気持ちはわかります。施設側も引き離したくはありません。でも、飼い主が先に死んでしまうこともあるわけで、世話をだれがするのか、飼い主が死んだあとも、家族がペットの分だけ支払い続けるとも思えません。ペットを追いだそうものなら、それこそ虐待扱いされかねないし、優しくない施設のレッテルを貼られます。君子危うきに近寄らずです。代わりに、派遣型のアニマルセラピーでごまかしたりするところや、ロボットもあります。あれはなかなか優秀です」
「にもかかわらず、今回はペット可の物件をお考えとはすばらしいですね」
「いや、なに、それほどでは。社会貢献の一環です」
 落成後のパーティーで小耳にはさんだのだが、オーナーの愛人がペット好きで、この施設の一部屋を進呈する予定にしていたのだという。なんのことはない「愛人可」の物件だった。
       *
「で、先生はどう解決したんです」
「簡単なことさ。ペットを飼っていない人は入居不可にした。人間様のルールではなくペットのルールをいくつか作った。施設内のドッグランやプレイルームへの送迎は自分でやること。できなくなったら別料金。エサ代もトリミングも、医療受診も自費。普通、老人ホームには人間相手の医者がいるものだけど、この施設は、週一回、獣医が巡回に来ていた。入居時点で不妊手術は必是。あとは、入居前に飼い主が先に亡くなったあとペットを託したい人を二人決めて、当人同士で覚書を交わしておくこと」
「建築デザイナの仕事ですか、それ」
「施主さんの創造欲を形にするのがデザイナの仕事。建築はその上に乗っている。人間、環境、建築デザイン。ヒューマンエンバイロメントアーキテクチュアルデザイン、通称Head」
「へぇー」
「いまつくった。次の建築学会で使えるかな」
「それはさておき、職員も動物嫌いではだめですね」
「まぁね。ドッグランも猫用プレイルームもスタッフの休憩所となっていたな増えた観賞魚はロビーに飾っていたり、施設のイベントの時に地域の人に売ったりしていたな。売り上げはペットの餌代に充てられていた。誕生会も人間じゃなくてペット優先。金魚の誕生日をどうやって決めるんだろうと思ったよ」
「どうするんです」
「ま、聞くとだいたいが買ってきた日。でなければ孫と同じ」
「飼い主の誕生日に施設から贈られるのはペットフードだし、ビンゴの景品もフード」
「ペットファーストの施設なんですね。でもペットと一緒だと費用がかさむだろうし、お金持ちしか入れませんね。入居金もそれなりですか」
「いやそんなことはないね。保養所のリノベーションで基本的な部分がコストカットできていたからね。金持ちかどうかは別として、自宅でペットの面倒をきちんとみていた人は、それなりに費用が負担できていた人だし、まちがっても多頭飼育崩壊している人は施設入居なんて本人も周囲も考えない。だから、施設に入ることでことさら費用がかさむということはないと思うよ」
「変わったペットはいなかったんですか」
「一人暮らしや高齢者世帯が飼っているペットは、常識的なものだったよ。あ、でも、一人だけいたなぁ、馬って人が。オープン後、施設長からリフォームを頼まれたんだ」
「馬主さん」
「馬術競技用の馬だった。飼い主同様に引退していて、素人目にもよぼよぼなんだ。飼い主は、最後は自分で看取るつもりだったんだけど、自分のほうが病気もあって先に老いぼれちまって……と泣くんだよ。施設の環境も気に入ってね。何としてくれって、車いすからずり落ちるようにして土下座までしてさ」
「で、せんせが、なんとかした」
「いや、わたしは断ったほうがいいといった。飼い主が先に逝ったら、引き取り手がない。それに馬がよいとなったら、牛でも象でも、とエスカレートするとも限らない。本人に世話ができない以上、介護スタッフが飼育員になれるわけがない、とね」
「そういうところ、せんせは冷たいですよね」
「これでも雇い主だぞ」
「パワハラです、それ。でも、その馬は無事にそこに住めたんですよね」
「施設長が宣伝になると思ったんだろうね、周辺は別荘地のようなところで、ホースクラブがあってね、そこに定期的に世話に来てくれるように頼んで、めでたく入居。もちろん、費用は入居者負担だよ。おかげで、地元のメディアも取材に来たし、馬術連盟の機関誌に乗ったりもしたんだ。入居者におんぶにだっこで宣伝してもらったんだから万々歳さ」
「せんせのデザイン料も増えましたか」
「なわけないでしょ。最初は止めたんだから。この人の場合、部屋の中の改装は必要はなく、自室の前庭に簡単な厩舎をつくり、車いすで部屋から行けるようにした」
「飼い主も馬も喜んだでしょうね」
「あぁ、飼い主の願いどおり、馬を看取った。本人も寂しいだろうとホースクラブの人が気を利かせて、庭の厩舎にときどき馬が来ると聞いているよ。馬セラピーだってさ。それにね、この馬主さん、たしか池添さんと言ったかな、施設にいた関根宇摩さんの飼い猫ルドルフを譲り受ける約束をしていてね、いまはそれを飼っている」
「猫らしくない名前ですね、雄ですか」
「雌だ。往年の名馬に由来するとかで、宇摩さんが若いころずいぶんお小遣いを稼いだんだって」
「へぇー」
「ア、思い出した。池添さんの愛馬はタマって言うんだ」
「話を作ってますよね」
「とんでもない。タマノホマレが本当なんだけれど、池添さんはタマって呼んいた。施設長が言ってたけれど、開設前は、飼い主が先に死んでペットが残るという困ったパターンを想像していたのだけれど、ふたを開けると、そういう例は少なくて、ペットが飼い主に見送られることが多いのだそうだ。もちろん飼い主は寂しいけれど、まわりには顔見知りの犬猫などがたくさんいるし、ほかの飼い主も一緒に悲しんでくれるので、ペットロスは思いのほか少ないようだとも言ってたな。これじゃ、老人ホームではなくて、飼い主同居可の老ペットホームだと苦笑いしていた」
「せんせ、いい仕事しているじゃないですか」
「めずらしく誉めますね」
「なのになんで暇なんだろう」
「余計なお世話です」
「刑務所のデザイン依頼がきたらどうします。夢が正夢になるかも」
「個人事務所に刑務所デザインの依頼は来ないでしょ。そもそも、コンペをやるのかどうかさえわからない。ま、山本さんが言うように、犯罪者は人権を奪われて当然だという考えもあるし、安楽な部屋を与えたら、被害者感情が許さないだろうね。でもさ、逆の考えはできないかな。死刑になるのにこんなに快適な部屋に暮らしていて、もしかしてもしかしたら……と思っていたら、ある朝」
「せんせ、性格ゆがんでます。老人ホームの話がだいなしです」
「山本さんは誤解しています。僕が言いたいのは、死刑囚に独房で考えてほしいのは、反省や後悔ではなく、自分が今生きていることの意味であったり、死ぬまでどう生きるかということではないかと。同じように終の棲家は死ぬための家ではないということ。終の棲家と言うのは、死ぬための家ではなくて、死ぬためにどのように生きるか考えることに気がつける家なんだということにね。それならば、死刑囚のための終の棲家があってもいいのでは」「せんせ、事務員にそんな難しいこと言っても通じません」
「なんでこんな話になったんだっけ。ああ、そうだ、山本さんのペットはなんですか」
「私、ペットなんて飼ってませんよ。烏骨鶏なら実家にいます。卵をいただくんです」
「食用ですか。じゃなんで、動物ホスピスなんて聞いたの」
「せんせの引き出しを増やせないかと思って。ペット可のホスピスなんてどうです。全部を諦めなければならない人が、ペットも諦めるなんてつらすぎませんか。ペットがそばにいてなにか不都合があるのでしょうか」
「ないだろうね。わき道に入るけれど、終活とやらとセットに語られることも多い断捨離にも私自身は懐疑的だ。物を捨ていることがなぜ極楽往生につながるのか意味が解らない」
「はいはい。難しい話は事務員にではなく学会でお願いします。ところで、せんせは、ペット飼っていらっしゃるんですか」
 わたしはバクを飼っている。
 そのつぶやきは山本さんには聞こえなかっただろう。(つづく?)
 [ぶんろく 2020.02.25.] 

#終の棲家 #天空の棺 #峠のデイサービス #メメントモリ

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