焚火屋「火Bar(カバー)」を知っていますか。

東京都は事実上の非常事態宣言を発した今日、反「go to キャンペーン」に事実上、計画していたおっさんの夏旅が消滅し意気消沈。"一日1note"は、三日目の今日、早くもくじけそうになったことをまず告白しておこう^^;

というわけで、今日は──

「いらっしゃいませ」
「予約していた島津だが」
「お待ちしておりました。私本日の案内役の櫟木と申します。よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしく頼みます」

櫟木に案内された部屋は、扇型の平面を持っていた。扇の要に入り口があり、黒く静かな東京湾の水面越しの摩天楼を扇でいえば親骨にあたる両側の壁が切り取っている。入口から向こう側までは5メートルはあるだろう。フットライトはあるものの部屋全体を照らす照明はない。手を伸ばせば壁があるとわかっていても、光を吸収する施工がされているのだろう、そこにあるのは闇である。闇は底なし。闇の底に立ち、摩天楼を独り占めしているような心地だ。
 不安とは違う落ち着かない心持になったとき、摩天楼がくらっとかしいだ。ほのかに潮の香りがする。そして床がわずかにたゆたう。
 この焚火バーが、かつて東京湾の一角を占めていた広大な貯木場後の水面に浮かんでいるからだろう。橋もあるようだが、客は、もちろん私もさして遠くない岸から船で渡ってくる。徹底した非日常の演出だ。
 東京オリンピックで来日する観光客を当て込んで作られたこの焚火Barは、そのオープンイベントで日本の首相とアメリカ大統領の会談の場として使われて一躍有名となった。その後も映画のロケーションなどに繰り返し使われ、いまでは予約開始と同時にすぐ完売となるという話だ。広報用の画像を見ると、雨には雨の、風には風の、雪には雪の趣がある。もちろん、夕方から日没にかけての時間も捨てがたいし、天候の安定した時期には日の出を待ちながらの焚火もある。
 
「島津様、こちらへどうぞ」
 櫟木がいざなう先には、砂を敷き詰めた一角がある。この場所で焚火をするのだろう。予約が取りづらいほど人気であるにも関わらず、砂には燃えカスの一つもなく、まるで、波打ち際の砂のようにごく自然に均されている。

「島津様。失礼ですが焚火のご経験はおありでしょうか」
「いや、たばこも吸わないので、ライターすら使わない。家もオール電化だし、変な言い方だが最後に生の火を見たのがいつかも覚えていない」
「わかりました、それでは、火のつけ方から」
 そういうと櫟木は床に膝をつき、薪の組み方、火のつけ方、薪のつぎ足し方を教えてくれた。木に火をつければ燃えるという簡単なものではないようだ。やってみるしかないだろう。
「うまくいかなければ遠慮なく声をかけてください。ほかになにかご質問はございますでしょうか」
「とくに、ないと思う」
「では、最後にわたくしのほうから大変重要なことをお伝えいたします」
 櫟木はもうしわけなさそうに言い足した。
「火の消し方でございます。万が一、制御できないほどの火勢となった場合は、こちらをお使いください」
 櫟木が指さしたのは消火用と書かれた赤いバケツだった。水がたっぷりと入っている。思わず笑ってしまった。
「消火器じゃないんだね」
「パニックになっているときはこれに限ります。それにお客様がバケツを持ち上げますと自動的に通報がスタッフルームに届きます。バケツの水が空になる前には、わたくし共が消火器をもって駆け付けます」
「なるほど」
「そして重要なことです。焚火用の薪は上級者ですとご利用時間の2時間は十分持ちますが、初めてのお客様は、つい嬉しくて燃やしすぎて足りなくなる方がおおございます。追加の薪は無料ですが、消火用の水の追加は有料となりますのでくれぐれもご注意ください。ちなみに、本日はつけ火用に木曽ヒノキ、燃焼用に岩手産楢をご用意させていただいております。それでは火との会話をごゆっくりとお楽しみください」

薪の追加は無料で、消化用の水が有料とは恐れ入った。それに薪にも産地もあるんだな。何か違うのだろうか。次に来ることがあれば尋ねてみよう。
 炉の前の椅子に腰かけた私の目の前には無音の摩天楼。両隣にも部屋があるのだろうが、話声は聞こえてこない。扇型の部屋の構造もあるのもしれない。純粋に火を楽しむ場所なので、酒を出さないこともあるのだろう。もっとも、焚火を楽しんで岸に戻ると食事が供されるシステムになっている。予約の際の話では、酒は飲めないが、焚火をしながら燻製づくりにチャレンジし、自分で作った燻製を食事の際に楽しむこともできるようだ。もちろん別料金だが。
 私は初めてだから今日は「焚火」だけ。それもちゃんと火がつけばの話で、不完全燃焼を2時間繰り返したら、自分が燻製になりそうだ。
 櫟木の手本通りにとはいかないが、思い出しながら薪を砂の上に組んだ。最初のつけ火用の一本を鼻の下にかざすとヒノキの芳香がまた一歩別の世界に私を連れて行った。
 先端をブラシ状に裂いた木に火をつけ、組んだ薪の下に差し込む。消えないことを確かめ、火吹き筒で優しく息を送る。
 祈るように、優しく息を送っていると、ポっと火が立ち上がり細い薪を一つの火にまとめていく。
 櫟木はここで慌てて太い木を足すなと言っていたな。
 私はすでにこの段階で「満足」「達成感」に包まれていることに気がついた。さきほどまで身にまとっていた日常などものの見事に燃え尽きていた。
 薪を足すごとに表情を変える焔を大いに楽しんだ。思っていたよりも燃え盛った時には、炎の向こうの摩天楼を燃やすような気分になり、それはそれで背徳的というかなかなか気分の良いものであった。
 私は炉の周囲を移動しながら炎の見え方を楽しんだ。
 最後に放りこんだ太い薪にまんべんなく火が回るころには、自分が意のままに火を使う魔術師になったような気分だった。
 太い薪が徐々に炭化し、大きな火は見えなくなり、木表面に縦横に赤い筋が走り、その筋に沿って火が走ったり、メラっと炎が立ち上がる。まだ生きているぞと言っているようだ。
「そうかそうか、まだ生きているか」
 私はいたずらするように息を吹きつける。むぅわぁと赤く膨らむ。
 きっと私の顔はにやけていたことだろう。
 気がつけば私は、火の最後を見届けようと炉のそばの床に胡坐をかいて座り込んでいた。線香花火の最後の火花を待つように、じっとほとんど形のなくなった炭のかけらを見ていた。
 かすかに音がした。それは「は」でもなく、「ふ」でもなく。薄く開けた口から少ない息が漏れるような音。数年前に亡くなった祖母の最後の吐息にも似た微かなものだ。
「あぁ、消えた」
 私は確かに火の最後の瞬間を見届けた。
 火の生老病死、一生を見届けたような達成感に満たされた。
 深く深く息を吸いながら目を上げると、私が燃やしたはずの摩天楼が先ほどよりも輝きを増していた。           [灰]
 

こんな焚火バーを私は作りたいですね。今回は都会版ですが、森の中版もまたよろしいかと。ではまた。2020.07.15.

#焚火 #バー #Bar #物語 #作り話 #小説

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