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本日の「読了」──いまさらだけど。なんにも終わってない、変わっていない。

鈴木智彦『ヤクザと原発 福島第一潜入記』(文藝春秋 2011)

東北大震災が近かったせいでもないだろうが、図書館の書架で目があってしまった(笑)。
「潜入」期間は短いが、潜入準備や潜入がバレて退職後のフォロー取材も含め、面白く読めた。たびたび出てくる、長年、ヤクザ取材をつづけてきた著者なりの「取材ルール」も興味深かった。今日日、政治家と飯を食ったことを自慢するようなジャーナリストもいるが……。

労務者自身として、かれらを送り込む企業として“ヤクザ”は存在する。F1の事故直後には全国のヤクザ組織が売り込みに躍起になっと書かれているが、義侠心ではないことは当然で、かれらにとって「しのぎ」の一つに過ぎない。
 タイトルに「と原発」とあるが、より正確には、NIMBY(ニンビィ)とヤクザという構図で、原発に限らないのだ。当然、F1以前も、以後も存在する構造なのである。

地震と津波被害から、見た目の復興は進んでいるが、原発事故については、何一つ進んでいない。終わりすら見えない。
 そうした中で進む「原発回帰」。
 それで良いのだろうか。良いはずがない。
 F1と同じような危機に直面したが辛うじて惨事を逃れたと言われるF2は廃炉作業が進んでいるが、F1ほどにはその進捗が伝わってこない。せめてF1に比べ平時に近い状態のF2廃炉のめどがたつまでは、原発の新設など議論すべきでない。

線量と汚染の話など、当時そして今も、知らなかった(知ろうとしなかった)ことが多いことに改めて気づかされた。現場では「王」である東電と原発メーカー、その下の一次から無限に続く下請けの構造とそこにある格差の構造。それは、いまも日本のそこかしこに存在する。

[2023.03.11. ぶんろく]

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