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道草(1)昭和謄写堂主催「孔版賀状交換会」

 「井の頭公園の散歩」シリーズが23回で終わり、新しいシリーズがスタートします。と言ったものの、コーヒーブレイク。次のシリーズまでちょっと道草をします。


 昨年2月に長兄・捷一郎が亡くなった。本人もまさかの急な死であったためか、身の回りの整理はあまりしていなかったようだ。その後、つれあいの義姉は、やっと立ち直るように兄貴が残していったものを整理し始めた。そんな整理備品で不明なものや書籍や印刷に関わるものが私に持ち込まれるのだが、これがいろいろお宝なのである。

 先週届いた、年賀状が入っている古い箱には驚いた。よくとっておいたと思った。朽ちた箱に貼ってある題箋(紙片にタイトルを書いて表紙などに貼ったもの)には「第十回孔版賀状交換会(一九六〇年)孔版賀状作品 主催 株式会社昭和謄写堂」と印刷されている。昭和謄写堂は、昭和3年(1928年)の創業で、名前の通り謄写版(ガリ版)および付属品の販売や謄写印刷業として創業された会社である。現在株式会社ショーワと社名が変わったが、印刷機材や資材の商社として同じ道を歩んでいる。

 この「孔版賀状交換会」は、昭和26年(1951年)から昭和37年(1962年)まで12回続けられた。謄写印刷で年賀状を作成して、指定枚数を昭和謄写堂に送ると、全国から集まった作品を1枚ずつ丁合して送り返してくれる仕組みである。第10回の参加者名簿を見ると北海道から沖縄まで40都道府県から133名が参加している。
 改めて拝見すると多色刷りの美術品ともいえる作品が数多くあり、当時の謄写印刷技術の高さが分かる。少しでも謄写印刷を経験したものには分かるのだが、まずベタ(塗りつぶし)がとても難しい。和紙をベースにしてロウを塗った薄い原紙がすぐ切れてしまうのである。そんなわけで、全国の謄写印刷のプロたちが腕によりかけて出品し、切磋琢磨する会であった。
 兄も自分の技術水準の位置を確かめるように年賀ハガキを送っていたと想像する。この第10回に25歳の兄の出した作品が佳作に選ばれたときの喜びようは、10歳だった私も記憶に残っている。今思うに、父親が関わった事業が失敗し、借金を払うため自宅を売ることになり、2年後に三鷹で印刷屋を開業する自信になったと推測する。

 この交換会はその2年後に終了した。謄写印刷の時代が終わったからである。確かに文伸印刷所も開業して2年ほどで謄写印刷の仕事をしなくなった。このハガキの箱が私の手元にきたとき、86歳になっても処分できなかった死んだ兄貴に思わず声をかけた。「そうだよな、これ捨てられないよなぁ」。


メールマガジン『ぶんしん出版+ことこと舎便り』Vol.24 2023/05/17

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