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なぜ多様性が台湾の“コアな価値観”になりつつあるのか? 台湾はどこへ向かうのか。

家永真幸さんは『中国パンダ外交史』(講談社選書メチエ)、『国宝の政治史 「中国」の故宮とパンダ』(東京大学出版会)などの著作がある気鋭の中国近現代政治史・外交史、そして現代台湾政治の研究者だ。「パンダ」や「国宝」に着目して中国外交史を紡ぐというユニークな視点で書かれた著作が注目されてきたが、このたび、台湾をめぐる国際関係史でもあり、戦後の台湾史をたどる一冊である台湾のアイデンティティ「中国」との相克の戦後史(文春新書)を上梓した。

台湾の今後の舵取りの行方は?
台湾とは何か、台湾人のアイデンティティとは何か?

戦後の日本とも縁の深い台湾をもっと深く知るための本書をめぐる著者の家永真幸さんのインタビュー、前後篇でお届けします
(聞き手は新書編集部、「文春読書オンライン」掲載記事の再掲載です)。


いま、台湾をめぐる国際関係史を書く

――今回の本を書かれるまでの経緯をお話しいただけますか?

家永 私がそもそもパンダや国宝に着目した研究を大学院で始めたきっかけ自体が、中国外交を勉強しようとする中で、台湾をめぐる問題が中国外交にとって極めて重要だと気づいたからなんです。その際に、中国政府の対台湾政策を正面からやるのではなくて、内戦で台湾に逃れた中華民国のことに関心を持って、中華民国史の文脈から戦後の台湾を見てみようと思い、パンダ外交や故宮博物院をめぐる問題を題材にして『国宝の政治史』という本を書きました。
そんなわけで台湾をめぐる国際関係史には当初から関心があったんですね。ただ今回の『台湾のアイデンティティ』というタイトルは書き終えてから編集部からの提案を受けたもので、これだけの大きなテーマを論じきれると思って書き始めたわけではありません。むしろ、本の中に書いてあることは“台湾のアイデンティティ”をめぐる問題のほんの一部分に過ぎないんですけれども、私なりに重要だと思うこと、あるいは注目すべきだと思ったことは書き込んで筋は通しているので、もちろんその意味では看板に偽りがあるわけではありません(笑)。

台湾も中国も好きな学生たち、今の台湾がわからない父親世代

――台湾と言えば日本人には何より観光地として人気で、国外の修学旅行先としてはオーストラリアを抜いて1位になり、近年では蔡英文総統やオードリー・タンの活躍などにも注目が集まりました。家永さんにとって本書の執筆の動機の一つは、台湾の魅力に他ならない、その歴史的な「複雑さ」を描くことにあったそうですね。また、世代が異なればまったく異なる台湾へのイメージがあることへの、ご自身の驚きもあったとか。

家永 私は大学で国際関係論の授業を担当しているんですが、そのなかで、「台湾を中心にアジアを見ると、アジアの戦後史がよくわかる」というコンセプトで台湾の話をたくさんしているんです。今回の本では、そこでよく話す“台湾について考える難しさ”を象徴する話題を軸に書いてみました。
 元々の想定読者は台湾のことを勉強する学生たちだったのですが、本書の序文に書いたような「台湾への親近感が反中感情の裏返しになっていませんか」という問題提起を学生たちにしてみたら、学生たちは全然そうではなかった。台湾は台湾で好きだし、中国は中国でドラマやメイク術を通じて好きであって、「中国が変な国だから台湾と結託しなければいけない」みたいな気持ちはあんまりないんですね。彼女たちには、私の問いかけ自体が「ねじれた」ものに聞こえたようです。そのことに驚きました。

 他方で、私はちょうどその狭間にあたる世代ですが、1960年代に中国共産党への親近感を持っていた私の父親世代の一部の人たちは、台湾というのは、あの国民党の蔣介石が逃げ込んだ島だから「反動」だと捉えていた節があって、しかし今の台湾をどう捉えたらいいかわからない戸惑いの中にあるように見えました。中国大陸で行われていることが正しいと見ていた結果、台湾が間違っていると見てきたのだけど、今の中国はどうも当時思っていたのと違うぞ、と。そうした親世代に向けて、いまの東アジア情勢を、そして台湾を理解する上ではこういうストーリーがありますよ、と提示したかったという思いもあります。 


台湾の街角

二元論の向こう側を示したい

家永 そういうわけで、第一には学生をはじめ台湾について学びたい若い人たちをターゲットにする一方で、かつては親共産党で台湾を否定的に捉えてきた人たちも想定読者にしました。
 その際に重視したのが台湾は親日だから好きとか、台湾は反中だから日本の仲間だというような二元論の向こう側を提示することです。敵か味方かという観点から台湾を愛するのでは台湾の大切さや面白さを捨象してしまうのではないか、台湾のもっと複雑で豊かな内実に目を向けてほしい、そう思ってなるべく「親日」とか「反中」といった枠組みでは捉えきれない事例をたくさん入れることを自分に課して書きました。

なぜ多様性が台湾のコアな価値観になりつつあるのか?

――例えば本書の中でそうした台湾の複雑さを体現するのが、劉彩品、林景明、柳文卿といった台湾から日本へやってきた人たちの存在です。中国と台湾の間に横たわる歴史的なねじれがそれぞれの人生の選択にも立ち現れているように感じました。

家永 私はパンダや故宮博物院など「中国の宝物」への関心から台湾研究に入っているので、中華民国性や中国性というものが台湾でいかに複雑な問題をもたらしてきたかというのは元々書きたいことではあったのですが、加えて今回の本で書こうと試みたことの一つに、今の台湾のコアな価値観になりつつある多様性を尊重する姿勢があります。

 いま台湾有事のリスクが様々に取り沙汰されますけれども、台湾に住む普通の人たちからすると、軍事力を行使されたら困るという思いはもちろん強くある一方で、それとともに、国民党による抑圧的な政治を何とか変革して勝ち取った今の自由で民主的な政治体制を何としても守らなければいけないという意識が非常に高いと思うんです。ちょうど来年の一月が台湾総統選ですが、誰を自分たちの代表に選ぶかというときに、自由と民主主義の価値観をきちんと守れそうにないと見なされた候補者は、おそらく高い支持を得られないでしょう。それは間違いなく、今の台湾のアイデンティティのコアになっています。


オードリー・タン

台湾はアイデンティティを構築するプロセスの中にある

 一方、台湾内部にはそれこそいろんな人たちがいて民族構成も多様ですし、中国との関係性についても様々な立場で考える人がいます。台湾のアイデンティティの最大公約数的な部分は、自由と民主主義という政治的な価値観だけでなく、多様性の尊重という要素も重要になっているように思われます。
 台湾ではいま秩序だった安定した政治が行われていますが、国際社会での地位は極めて不安定で、これは台湾に住む人たちにとって大きなリスクです。中国が台湾を中国の一部だと主張していて、かつ日本もアメリカもその中国にも配慮している状況のなかで、台湾は国際社会において国家として振る舞うことを周囲から認めてもらえない。そんななかで、不安定な地位にある人たちが尊重されるべきであるという主張自体が、ある意味では“台湾のアイデンティティ”の重要な構成要素になっているように見えます。
 おそらくだからこそ、「台湾を認めよ」と主張するのであれば、台湾内部でも少数者や少数者の価値観を尊重しなければならないというロジックになるのでしょう。これは私が思いついたことではなく、吳豪人さんという台湾の法学者が日本語で書かれた文章の影響を受けて、私なりにも得心したことです。いまの台湾は、まさにこの台湾のアイデンティティというものを構築しようとするプロセスの中にあるのではないか、そのように思えてなりません。


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