わが青春想い出の記 36 人の命の儚さ


 人の世には、無常で悲惨な事はいくらでも起こり得ることを自分は理屈としては知っていた。しかし、自分がそんな目に遭うとは思わなかった。想像すらしなかった。あんなにいい人が、純真で若い若い娘が何をしたと言うのだ。どんな悪さをしたと言うのだ。何もしなかったではないか。なのにどうして死なせたのだ。あんなに元気で活発だった娘が、あんな若さで死ぬなんて、とても考えられなかった。あれほど逢いたがっていたのに、3月30日が来るのをあんなに待っていたのに。あと3日、たったの3日ではないか。あと3日で逢えると言うのに、その3日さえも待てなかったのか。自分の帰りを楽しみにバンザーイと言ったり、宙返りして喜び待っていたではないか。どうして待たずに死んだのだ。どう考えてもあきらめがつかない。

 自分は誰もいない処を探がしたが、船の中だし3等客室だったので同室の者も多勢いて、心ゆくまで泣くわけにもゆかなかった。皆が寝静まって辺りがしいーんとしているのを確かめて、声が漏れないように偲び泣きした。

しかし、まわりの人々は自分の許婚が死んだことを知った。人々は皆同情してくれた。慰めもしてくれた。しかし、その同情も慰めの言葉も心の底には少しも届かない。周りの人々は自分に万一のことがありはしないかと注意した。そして皆から監視されていた。

 自分は船の進む速度が遅いとは少しも思わなくなった。那覇に着くのが却って恐ろしくなっていた。何ということが起きたのだ。哀れな洋子。可哀想な洋子。どうして死ななければならなかったのだ。あまりにもひどすぎる。

思い出すまいとすればするほど思い出される。すると可哀いそうで可哀そうでむせび泣くのだ。みっともない男だと思うが、色々なことが次から次と思い出されどうにも辛抱できないのだ。
 
 この船に乗っているお客の中で一番幸福だった自分。そして誰よりも一番早く那覇へ帰りたがっていた自分は、今や一番不幸者で船なんぞ何時に着いてもいい、着かなくてもいいとさえ考えるような人間になった。どうしてこんなことが起きるのだ。自分も一思いに死にたい。そんな気もした。しかしまわりの人々に監視されていては死ぬことすらできなかった。自分は「もうどうにでもなれ。どうなっても構わない」そう言う気持ちになっていた。
 
 
 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?