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秘湯一人旅


日曜日、快晴。
沢井は軽めの朝食を済ませ、パソコンに向かいメールチェックをしている。
「あなたぁ、じゃ、行ってくるわよー」
玄関の方から声がする。
返事も待たずに玄関の閉まる音。
「ふーっ、出掛けたか」
女房と娘は、都心のスイーツ店巡りをするべく1ヶ月も前から計画していた。
「あなたも、ぼーっとしてないで、どこかに行ってみたら?」
「ぼーっと…」は余分だろ。
と思うのだが、言葉には出さない。
それにしても、スイーツ店巡りとは、いったいどのような胃袋を持っていたら、そのような発想がでてくるんだ?と思うのである。
「巡り」だから、最低2店舗以上にいくつもりだろう。
おまけに、夕飯もすませて来るから、
「あなたも、冷蔵庫にあるもので適当に済ませてていいわよ」
「いいわよ・・・?」
沢井、申し訳ないけどの一言があって然るべきだと思うのだが、女房にその類の感性はないことも承知している。
沢井、ぶつぶつ言いながらも、何かしら口笛でも吹きたい気分である。
 
今日はかねてより周到に計画していたことを実行にうつす日だったのだ。

そそくさと着替えを済ませ、表通りでタクシーをひろい、「○○駅まで」と伝える。
「ご主人、何だか嬉しそうですね」
「えっ?そ、そうかい?」
「窓の外を見ながら、ニコニコしてらっしゃるんで…」
それもそのはずである。
インターネットで調べに調べ、「日帰り 秘湯の独り旅」なるものを見つけ、宿の予約は勿論、分刻みの日程まで組んである。
 
「はい駅、着きました。ありがとうございます」
「あっ、釣りはいいよ」
などと、これまで口にしたことがないような言葉が思わず出る。

目的地の駅まで一時間ちょっとである。

車窓から景色を眺める。
ビル、民家…何でもない風景が飛んで行く。
「うーん……、それぞれの建物の中には、それぞれの人が住み、それぞれの人生を生きてるんだなぁ…
今この瞬間に、悩んでる人、楽しんでる人、漫然と過ごしている人…
前を通過する電車を何となく見ている人…」
などと、愚にもつかないこと考えつつ眺め続ける。
 
と、「ここ空いてますか?」女性の声。
「あっ、どうぞ、どうぞ」
「失礼します」と隣の席へ座る。
歳の頃は三十前後か?
視界には、膝の部分しか入らないが、スラリとした足に細身のジーンズ、アルファベットのNのマークが入ったカラフルなスニーカーを履いている。
これは、旅の最初から運がいいぞ。と思い、どちらまでですか?などと聞くべく、
「あの」と口を開こうとした瞬間、「ヒデ君、立ったままで大丈夫?」
「ああ、すぐ着くから大丈夫だよ」
沢井、半開きになった「あ」の形の口のまま、あらぬ方向を見る。
景色は、相変わらず飛んで行く。
 
電車を降り、駅前から再びタクシーに乗る。
「幻想と言う湯宿、分かりますか?」
「あー、はいはい。結構距離がありますけど宜しいですか?」
「はい、お願いします」
「ご主人、今日は取材かなにかで?」
「いえ、どうしてですか?」
「男性お一人で、秘湯を訪れるというのも珍しいもんで…」
「へーっ、女性一人というのは多いのかな?」
「最近はちらほらいらっしゃいますねぇ。昔はカップルが相場だったんですけどねぇ」
 
車は、どんどん山あいを進んで行く。
もう、民家は殆ど無い。
やがて、道は未舗装になる。
タクシーは、スイッチバックよろしく、うねうねと山道を登って行く。
「まだ、遠いのかな?」
「いえ、もうすぐ着きますよ」
 
それから10分もしないうち、鬱蒼とした森を抜けたところに、かなり歴史を感じさせる荘厳な建物が現れた。
「着きましたよ」
沢井、
「ありがとうございました。お釣りはいいですよ」とにこりと笑い、降り立つ。
 
しばらく、建物と周囲を見渡す。
深閑とした中に、微かではあるが、鳥のさえずりが聞こえる。
「素晴らしい。来て良かった」
 
玄関に到るまで、極めて小さな玉砂利が敷いてある。
ふと見ると玄関先に、和装の女性が立って頭を下げている。
「あっ、どうも、予約していた…」
「遠路、お疲れ様でございます。沢井様ですね」
な、何と、〇永小百合の若い頃…
沢井しばし見とれる。
 
「あの、沢井様」
女将、白く上品な手を差し出す。
沢井、握手と思い、これはこれはと右手を差し出そうとすると、
「お荷物を……」
沢井、行き場を失った右手をそのまま頭にやり、左手の荷物を女将に渡す。
「どうぞ、お部屋へご案内いたします」
と、後ろを向いたうなじが、へたり込みそうなくらい色っぽい。
 
「こちらでございます」
案内された部屋は、結構広い。
床間の前に、黒檀とおぼしき座卓がずしりと据えられている。
「お茶をお持ちしますので、少しお待ち下さい」
床間には、水墨画の掛軸。
じっと見入る。
沢井、
『あまり、よく分からんな』
左下、印鑑らしき横に「ゆきふね」?と書いてある。
「そうか、雪はよく見えないが、川のような所に船らしきものは確かに浮いているな……」
 
襖の開く音がする。
女将
「水墨画に興味が、おありですか?」
沢井、
「いやぁ、この何と言うか、見えない雪と舟のバランスが何とも言えない、侘び錆びの境地を表現していて……」
女将
「雪舟に精通していらっしゃるんですね」潤んだような眼差しを向ける。
沢井、
『せ、せっしゅう……?!』
沢井はガチガチの理系である。
「あっ、まぁまぁ、セッシュウは学生の頃に少し……」
「どうぞ」と言って、お茶を差し出す。
沢井、
バツの悪さを取り繕うべく、ゆっくりと茶を飲む。
「旨い!」
沢井、味は解る。
女将
「ありがとうございます。」
「玉露ですね?」
「はい」
「適度にカテキンが押さえられ、風味が凝縮されて美味です」
女将、感動したように沢井を見つめる。
沢井、セッシュウのことは、もう頭に無い。
「お食事の前に、一風呂如何ですか?」
「各お部屋に内風呂が付いてございますが、露天になされますか?」
沢井、
「はい、そうさせて頂きます」
 
案内されるままに露天風呂に向かう。
「こちらです。どうぞ」
およそ風呂場の入口とは思えない重厚な引戸である。
「まるで鎧戸だな…」
ガラリ、と開ける。
岩風呂が目に入る。
「うーん、なかなか風情がある……」
などと言おうとして、岩風呂の向こうへ目をやった瞬間、絶句する。
百八十度の否、見渡す限りのオーシャンビューである。
「な、なんと…………』
沢井、言葉が出ない。
浴衣を脱ぐのも忘れ、呆然と立ち尽くす。
湯けむり、煌めく海面、澄んだ空気…
「カ ン ド ウ……」
沢井、呆けたままだ。
やがて、「ブルルッ、寒い!」
浴衣を脱ぎ、タオルを持って露天風呂へ、
手桶で、湯をかぶり、ゆっくりと岩風呂に浸かる。
「ふぃーっ、気持ちいいーっ」
「天国、天国…」などと今時、年寄りでも言わないようなことをいう。

と、人の気配がする。
「ん?」
右手の方を見ると、湯けむり越しに人がいる。
「おいらと同じような人がいるんだ…」
声をかけてみる、
「あのぅ…お一人ですか?」
「はい」
沢井、その声を聞いて、
『ブクブク…ぶはっ!』
なんと女性ではないか。
「いいお湯ですね」
「そ、そうですね」
少し声が裏返っている。
続けて何か喋ろうと思うが言葉が出ない。
やっとの思いで、
「いい眺めですねぇ」
「はい」
会話が続かない。
ええい、旅の恥はかきすて!
「宜しければ、風呂上がりの昼食、ご一緒しませんか?男一人で食べるのも味気無いので……」
沈黙…
やはり、いきなり過ぎたか?
せっかくの雰囲気をぶち壊したか?
すると、
「ありがとうございます。もし、ご迷惑でなければ…」
「そうですよね・・・
えっ!?ぶはっ、ブクブク…」
「ご、ご迷惑だなんて、とんでもないです!」
 
 
「やはり、お二人で食べた方が、会話もはずんで美味しいですよね」
と、〇永小百合。
「お酒は、冷酒でよろしかったですね」
「あっ、はい」
〇永小百合が、抱き寄せたくなるような手つきで酌をしてくれる。
しかも、向かいは、これまた、深〇恭子ばりの美人である。
湯船で、もう少し近くまで寄っておくべきだったなどと思いつつ酒を口へ運ぶ。
「旨い」
「ほんとに、美味しいです」
と、深〇恭子。
「ありがとうございます」
と、〇永小百合。
沢田、天にも昇る気持ちである。
 
「自己紹介がまだでしたね。
私、沢井と申します。今日は久しぶりに時間がとれたので、噂に名高い秘湯へ来てみました。
いやー、聞きしに勝るとは、このことですね。」
なんの感想なのか分からない。
「北川京香と申します。
私は一年に一度、この時期に参ります。とても心が穏やかになれるんです」
「なるほど、どうぞ、もう一杯」
「ありがとうございます」と深〇恭子、頬を染める。
 
酒が沢井を饒舌にし、話が弾む。
時々二人で笑い声などをあげていると、
「失礼します。沢井様、
ニ回目のお風呂の時間です。三十分のお風呂の後は酒肴二の膳で宜しかったですね。』
「うっ、あっ、は、はい」
「私も少し飲み過ぎたようなので、丁度よかったです。楽しい時間をありがとうございました」と深〇恭子。
 
沢井は、自分の几帳面さを呪った。おまけに酒肴は、ご丁寧に三の膳まで、時間割りもよろしく注文してある。
 
「あーっ、少し飲み過ぎたかな?」
それにしも、湯加減といい、景色といい、先程の落胆を少なからず癒してくれるのである。
 
沢井、体調も余程よかったのであろう。二の膳、入湯、三の膳、入湯と程々に飲み、食した。
「いやー、極楽、極楽…」と、再び年寄りのようなことを言い、最後の入湯を済ませる。
 
沢井、帰り支度をしていると、
「失礼します。沢井様、お迎えの車が玄関に着いてます」
 
支払いを済ませ、タクシーに乗り込もうとすると、
女将が
「本日は、ありがとうございました。またのお越しをお待ち申し上げます。」
「あっ、そうだ」
沢井、慌てて車から降り、名刺を取り出し、昼間の彼女に渡しておいてもらえますかと、女将に伝える。
女将は、にこりと笑い。
「重々、承知いたしました」
 
「お客さん、どうでした?」と、運転手。
「いやー、最高でした。何もかも…ね」
「それは、よかったですね」
私も送迎のし甲斐があるというものです。などと一緒に喜んでくれる。
道はうねうねと下る。
「それにしても、急勾配でカーブが多いですね」
「地元では昔から、苦(九)曲がりなどと呼んでます。」
「本当は、十三曲がりなんですけどね。余程、登り降りに苦労したんでしょうね」
「ほー、そうですか。運転手さん、ゆっくりでいいですよ」
「はい、ありがとうございます。
実は、次のカーブで3年前転落事故がありましてね。
何やら、若いご婦人が亡くなられたそうてす。ほら、あそこです」
と運転手、スピードを落とす。
来るときには全く気付かなかったが、石塔に花が添えられている。まだ、新しい。
沢井、何やら感ずる所があり、
「運転手さん止めて下さい」
車から降り、石塔に近付く。
 
石塔に何やら彫られている。
「北川京香   享年三十一歳
○○年○月○日」
丁度、三年前の昨日の日付。
「キタガワキョウカ・・・」
沢井、硬直し青ざめる。
 
「お客さん、どうかされましたか?」
沢田には聞こえない。
 
どこをどう帰ったのか、それからの記憶が、殆ど無い。
 
自宅へ帰りつくなり、ベッドに潜り込んだ。
途中、女房と娘がワイワイ言っていたような気がする。
 
それから一ヶ月後。
コンコン、
「失礼します。部長、二日分の郵便物、ここへ置いておきます」
「うん、ありがとう」
仕事関係の郵便物が二十通あまり、順に発信元だけを確認してゆく。
「ん…?」
明らかに、業務筋ではない郵便物が一通、
丁寧かつ達筆で宛名が書かれてある。
裏返す。
 
北川京香……
 
「おいおい………」
沢井、危うく手が震えそうになるのを堪える。
暫し、封筒を見つめたまま動かない。
意を決して、ペーパーナイフで開封する。
 
「前略
先日は、いろいろとありがとうございました。
おかげさまで、とても癒されました。
あの折りは、何故だか分かりませんが、姉の名前を名乗ってしまいました。
実は、三年前、姉は一人で、あの宿を訪れた帰りに事故を起こし、あっけなく亡くなりました。
それ以来、私は、一年に一度、姉の命日にあの宿に宿泊し、事故のあった場所に行き、姉を供養しています。
そんな訳で、悪気はなく、つい姉の名前を名乗ってしまったのです。
どうか、お許し下さい。
沢井様のおかげで、素敵な命日を過ごすことができ、元気をいただきました。心よりお礼申し上げます。
もし、お気を悪くされていなければ、いつの日か、またあの宿でご一緒できれば幸甚です」云々    
 
『おいおいおい!』
沢井、俄然元気が涌き出る。
何を考えているのか、三年ダイアリーで、来年の曜日を入念に確認する。
 
                                           完
 
 
 
 


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