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いつまでも漂っていたい海の底だった。

フィッシュマンズと出会った時、佐藤伸治はこの世にはいなかった。

"伝説のバンド"、"天才" 。そんな世間の評価と同様、僕の中でも神格化されていた佐藤伸治が、出会ってから18年の時を経て、改めて人格化し、1999年の逝去による喪失感を味わうことになる。

映画:Fishmans』の公開を機に、まずは佐藤伸治と近しい人の著書、『僕と魚のブルーズ 評伝フィッシュマンズ』(川﨑大助著)を読む。次に、発売順にアルバムを聴き返す。さらに、特集された雑誌、『永遠のフィッシュマンズ』を読む。そして最後に映画を観た。今までフィッシュマンズの映像作品には触れていなかったため、動いている佐藤伸治を見たのは初めてだった。レコーディングの合間に"MY LIFE"を歌っている姿に無垢を感じた。小嶋謙介さんの存在を今更ながら知り、人柄に惚れた。

特に印象的だったのは、佐藤、茂木、柏原の3人になったフィッシュマンズが九十九里で撮影した写真を、BGMの"ナイトクルージング"に乗せてスライドショーするシーン。予告では映らないが、MariMariと僕が大好きなギタリスト、木暮晋也さんも出てくる。若者たちが冬の浜辺ではしゃいでいる、90年代が凝縮されたフイルムを見て、自然と涙が出た。

続くメンバーの脱退。複数のサポートメンバーの参加。フロントマンの喪失。活動休止と再始動。サポートメンバーの喪失。文字で書くとあっさりして見えるけれど、様々な荒波に揉まれ、それでも泳ぎ続けるフィッシュマンズは、関わってきた全ての人たちの念の塊(かたまり)だった。廻る鰯の魚群。凪いだ海のような、無重力空間に浮かぶ、青い水の塊。

遅ればせながら、初めて観たフィッシュマンズのライブは『FISHMANS TOUR "LONG SEASON 2016"』だった。満月の夜に、海の底から水面を眺めているような感覚に陥ったのを覚えている。そこは、いつまでも漂っていたい海の底だった。

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