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僕は不幸になる権利を要求しているんです

昔、地域活動支援センターで知り合った人でオカザキさんという方がいた。毎日、彼は地活に通っていた。僕も仕事帰りによく地活に寄っていた。以前の地活は自宅のすぐそばにあったから。

オカザキさんはいつもしんどそうに部屋の中をうろうろ歩いていた。時々、喫煙所でタバコを吸ってはうろうろしていた。僕とたまに将棋やオセロをやった。

僕が自分の考えをまとめるためにマインドマップを描いていたら、興味深そうにみていた。「自分が植物のようになりたい」と僕は書いたような気がする。オカザキさんはうなずきながら自分もそうだと言っていた。最終的に風になりたいと言っていた。

地活が移転するころだっただろうか。オカザキさんの姿を見ることがなくなった。ある日、職員さんが僕にそっと近づいて言った。「オカザキさん、亡くなりました」

彼は、まだ50代後半くらいだったと思う。職員さんは地活に通えなくなっているオカザキさんの家にたびたび訪れていたらしい。体がだいぶ弱っており、肺気腫で入院していたこともあった。

彼が退院したときに会ったけれど、入院生活が快適と言っていた。自動的に三食用意されるからと自嘲気味に笑みを浮かべていた。

彼は退院後も地活の喫煙所でごほごほ言わせながらタバコを吸っていた。だけど、僕はそういうのもありだと思った。おいしそうにタバコを吸っている姿をみてよけいにそう思った。

僕はよく仕事帰りに地活に寄って職員さんに「もうおしまいだということが発覚しました!」と泣きつくことがあって、オカザキさんは職員さんと一緒になって笑っていたことを思い出した。

あるとき、オカザキさんにこんなことを言われたことがあった。
「学さん、あなたはとてもインテリジェンスがある。もっと自信を持ったほうがいい」

オカザキさんは身内がいないのでたぶん無縁仏になるんだと思う。僕は今までそういうのはどうでもいいと思っていたけれど、祈りの対象があるのは何かと便利ではあるとそのとき痛感した。

僕はタバコを吸わないけれど、せまい空間に押し込まれてタバコを吸っている喫煙者たちをみて気の毒に思う。「健康に悪い」「他人にも迷惑をかける」という嫌煙派の言い分は、いずれ自分にも返ってくるだろう。

自分が好きな音楽や文学やマンガや映画やスポーツだってその対象になり得る。

統制された社会は、息苦しい。タバコを吸うよりもずっと。オカザキさんが最後までタバコを吸っている姿をみて、嗜好品の大切さを今まで以上に感じた。

そして、「すばらしき新世界」(ハクスリー著)で世界統制官のムスタファ・モンドに対して野蛮人のジョンが言うセリフを思い出す。

「僕は不幸になる権利を要求しているんです」


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