炒飯

娘のことを書き留めておく場所にします。いつか彼女が読んで、照れくさがったり、やや迷惑そ…

炒飯

娘のことを書き留めておく場所にします。いつか彼女が読んで、照れくさがったり、やや迷惑そうにする顔を想像して。自分のことも書きます。

最近の記事

「ここが可愛いよ娘」百選(仮)

娘のことを書こう、とは思ったものの、初っ端からメインの話題が「排泄」。いつかこれを読むかもしれない娘への配慮が欠けていたことに気づく。立派なレデーになっているかもしれない娘に「ママ、まじなんなの。」とスマホ片手に冷ややかな目を向けられる可能性も考え、今からは速やかに、「ここが可愛いよ娘」をつらつらとしたためていこうと、筆代わりの親指を滑らせる。  娘のかわいい所なぞ無数にあるので、これはシリーズ化していくだろう。そう言う意味での、百選、である。 とりあえず今回は2つをピックア

    • 過ちは繰り返す

      まただ。 またやってしまった。 娘の背中に、いつの間にか便をスプラトゥーン(前回記事参照)させてしまっていた。 今回に関しては、分厚めのコーデュロイのオーバーオールを着せていたことが仇となり、「ササ、オムツでも替えましょかね〜♪」と帰宅しオーバーオールのお股の所のスナップボタンを2個外すまで全くスプラトゥーンに気が付かなかった。 前回の反省が全く活きていない。 一生スプラトゥーン宣言。 それはそれとして、今朝とても可愛い出来事があった。 我が家のお向かいさんの田中さん(仮名

      • 生きること、それは排泄すること

        娘がうまれた。 わたしが令和四年の七夕に、胎内から外の世界にリリースした。 わたしは、物心がついたあたりから、漠然と「赤ちゃんを産んでみたいな」と感じるような子どもだった。今思えば「子供が子供を産みたがっている」という謎い状況ではあったわけだが、赤ちゃんや幼い者に対する「可愛い」という感情が幼心に既にあった、とでも言っておく。 娘が生まれて、自分に纏わるさまざまなことが変化し、考え方も流動的になっていった。いや、正しくは、「捉え方の変化」かもしれない。 わたしという人間の根

      「ここが可愛いよ娘」百選(仮)