のらいぬの掟:Wordの履歴機能

タイトルは20年くらい前、日記サイトが流行っていたとき、自分が更新していた日記のタイトル。

ツイッターでは書ききれないとき使ってみようかと。

いきなりですが、Wordには修正履歴を残す機能がある。仕事で作成する文書などで、共同作業したり上司チェックなどを入れるときに便利だ。自分の仕事では、純粋に原稿の編集者チェック、インタビューイーチェック、クライアントチェック(広告案件)で利用することがある。

便利なのだが、落とし穴もある。

履歴が込み入ってくると、やりとりしている当事者しか文章が理解できなくなる。コメントをみながらどういう主旨で修正したのかは、やりとりしている間はいいが、

最終的にそれを読む人は、履歴なんて見ないし、そもそもなんでその文章になったのかなんて気にしない。

大抵の読者は作り手(作家・編集者)の主旨や狙いとか想いなんてものは知らずに素の状態で読む。しかもその解釈は人それぞれだ。プロセスなんてどうでもいい。まれに結果の文章だけでプロセスを共有してくれる読者もいるし、そういうときは作り手冥利につきるものでもある。

しかし、それを狙った時点で、だいたい失敗する。

長年のライティング経験で得たひとつの知見がある。それは、

3回修正して納得いかない文章は元に戻すこと。

まあ、これの実践は難しいが、何度修正しても決まらない文章は、修正の方向性ややり方が間違っている。たぶん最初の文章でも3回直した文章でも伝わらない人には伝わらない。元も子もない言い方だが、文章なんてそんなもんだ。ニュース記事を書いているのに、違う事実を読み取る人だってめずらしくない(この場合、書き手の問題も大きいのだが)。

ある記事で。JAXAの月探査衛星(かぐや)のことを書いた。それは「アポロ計画の上空の写真だが、配信された画像では解像度他の関係で着陸痕は確認できなかった」というものだが、この記事に対して、アポロ計画陰謀説者が「やはりアポロ計画はねつ造だった」と自説補強に使っているのを発見したことがある。(それはそれで文章の面白さであり、コミュニケーションの一面でもある)

文章の解釈なんて、ようははそういうこと。NY自然史博物館で、子どもがイヌ科のはく製をみて「コヨーテ」と叫んだ。自分には狼に見えていた。実際にはジャッカルだった。日本人にとって「魚」は海の青魚が記号だが、ヨーロッパの多くの人は川魚やトラウト系が記号となっている。

Wordの修正履歴も回数を重ねていくと、全体のつながりを見失うことがある。いや、修正プロセスが頭に残っているため自分に都合のよい補正を行うので、全体がおかしくなってることに気が付かないことさえある。

査読、ピアレビュー、オープンレビューが有効なのは学術論文だ。

とはいえ、レビューや見直しをしなくていいということではない。自分は、書きあがった原稿は、最低1日おいて読み直す。それで気になるところを直すようにしている。

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