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東日本大震災後、陸前高田市に神戸から6年間通い続けて感じたこと③

陸前高田の未来

陸前高田に滞在中、和歌山に住むおじいちゃんが入院しました。

電話すると、「東北のために頑張ってくれてありがとう」と言ってくれました。とても、とても複雑でした。兵庫県と和歌山県と近くに住んでいるにも関わらず、それほど会いに行っていません。まだ、なにもしてあげれていないです。なにをやった気になって夢を見ていたのだろう。

自分の割と中心部分の問題は、意外と見えにくい。そう考えた時に、自分のことを最優先に向き合うべきなのではないかと思いました。自分自身の問題と向き合うことは、恐ろしいことで勇気の必要なことです。自分にしてあげるべきことを赤の他人にすることで、責任から目をそらして逃げているのです。
「おじいちゃんはもう長くないかも」とか「楽しい生活を送れているだろうか」といった目をそらしたくなるようなことを見つめ直そうと思いました。

 

実は、被災地に対しても同じような感情を抱きました。立ち上がり復興するときは、自分たちの力で立ち上がらなければいけないということです。そう考えた時に、頼りになるのは自分自身です。

「私たちを忘れないでね」とお願いすることよりも、「私たちを見て!!」となにか行動を起こすことが重要なのではないでしょうか。

 

街と人と人生と

残念ながら僕は、被災者と完全に同じ気持ちにはなれません。東北の被災された人々と被災していない僕とは、根本的に抱く気持ちが違います。

被災してない僕にとって3.11は、震災がおきて東北に大きな被害があった日です。多く命が奪われた日です。でも東北の人にとってその日は、その人にとって大事な人の命日であったり、宝物をなくした日であり、運命が変わった日だと思います。捉え方の主観性が根本から違うんですね。

「被災直後の東北では食べ物、服、住むところがあっても人がいないと生きていけない 。」とある人から聞きました。2011.3.11、神戸にいた僕に、当時の東北の様子を知る術はありません。本当にたくさんの人に聞きまくって、テレビやyoutubeで映像を何回見ても実体験には勝てません。僕が知っている東北と3.11の実際の東北には乖離があるのです。そこになにか悔しさや虚無感のようなものを覚えます。

完全に被災者の気持ちを理解することは出来ません。それなら知らないなりに、自分の活かし方を考え続けようと思っています。
陸前高田にとって、自分はどういう存在になれるか。僕が僕にしかできないこと、ボラバスだから出来たこと。そういうのを大事にしたいなあと思っています。陸前高田で僕は、自分の本気度を試されている気がします。

 

今が幸せだということ

陸前高田では、みんながいかに自分や家族の幸せを願っているかを感じます。「震災前は楽しかったなあ。」と思うのは仕方のないことかもしれません。しかし、僕たちが来た時くらいは陸前高田の人々に「ああ、今日楽しかったなー」と思って欲しいなと考えながら活動してきました。 

それはボランティアをする側の人も同じです。ボランティアから帰ってきた時に、楽しかったことや感じたこと、考えたことをたくさん話せるようになっていれば良いなと思っています。

僕自身も、大好きな陸前高田の人たちとわちゃわちゃお喋りして、美味しいご飯を食べて、みんなで悩んで考えて、陸前高田の活動が良いものになったら幸せだろうなあと考えています。

 

好意が先に来る素敵な場所

陸前高田に行くと圧倒的ば幸福感に包まれます。

その理由は、自分が100%受け入れられて、相手からの好意を確信できるからです。ボランティアという善意の象徴のような活動をしているので、自然と相手も善意を持って接してくれます。僕自身に対する好意を丸出しの人が、周りにたくさんいるというのはとても幸せなことです。

 

復興について考えること

復興までのゴールをどれだけの人が見ているのでしょうか。
復興へのゴールは果てしなく遠いです。

ゴールが遠すぎて、イメージがつかなくて、自分ごとのように捉えられない部分があります。特に大学生は、4年で新たな生活が始まるので、それを機に視点が切り替わってしまうのではとも思っています。

僕は「陸前高田の人々の"今"を輝かせたい」という思いが強く、長期的な復興に対してあまり考えられていません。復興に対してコミットしきれていない部分や、時間的な限界がそういう考えに繋がっているのだと思います。陸前高田が復興したと言い切れるくらいの街に戻るまでに、あと何年かかるのだろう。

 

防災・減災でするべきこと

神戸でのイベントや講演会で僕が言いつづけていることがあります。

僕の考える一番の防災・減災は、「今この瞬間」と「大事な人」を大切にして生きるということです。

防災グッズを買うよりも、そのお金で誰かにプレゼントを買う方が良いと思います。 後悔するのはきっと水を買わなかったことじゃなくて、大事な人を大事にしなかったことだから。 今この瞬間と目の前の人を大切にすることが、災害に対する1番の備えになります。いくら防災グッズを買っても、発災時に手元にあるとは限りません。使えるかどうかも分かりません。そんな未来のことは分からないから、せめて自由に生きれる今を大事にしましょう。

実際、防災グッズを準備してなかったことに対する後悔の声は、陸前高田で一度も聞いたことがありませんでした。


最後に

冷静に陸前高田を見ると、おそらく右肩下がりに人口は減少し衰退していくだろうなという予感がします。立地や施設などの町の魅力といった面で、人が集まることは考えにくいです。若者は都会へ出て行き、高齢化も進むでしょう。僕自身も大学院を卒業したら、陸前高田に足を運ぶ頻度は減ると思います。別のどこかで災害が起きたら、ボランティアに行くと思います。

しかし、陸前高田という街は特別な存在として僕の頭の中にあり続けます。僕の人生をこれからも陸前高田に注いでいきます。

理由は単純で、陸前高田とその街に住む人が好きだからです。

陸前高田という街に、僕は大学生活のほぼ全てを捧げました。たくさんのものを与え、与えられました。

楽しかったこと、笑ったこと、辛かったこと、悲しかったこと、陸前高田で出会った全ての感情がいい思い出として記憶されています。だから、僕の人生をかけて、最大限の恩返しとお礼をして行きたいなと思っています。

 

この記事を未来の僕が読んで、あの頃にあった多くの出来事を思い出すことができればいいなと思っています。

そして、少しでもたくさんの人が再び陸前高田に目を向けてくれたらいいなと願っています。

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