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一見上手くいってないこともほんとは上手くいっている。

本当はこっちが良かった。

そう思ったことが人生で何回も何回もある。
ウケのいい無難におしゃれな服を着て、学校とかでまあまあな立ち位置にいて、安さと健康と味のバランスの良い無難な料理を注文して、恥をかかない程度に好きな女の子にアプローチをしてきた人生だった。

メリットとデメリットを比較して少しでも得に、少しでも損はしないような。本当はこっちの方がいいなと思ってはいるのに、流行とか周囲からの目や評価とか「自分以外の色々なもの」が別の色々なことを必要以上に考えさせてしまう。
「"総合的に"考えてこっちの方が良かった」という選択肢をとってしまう。

社会や他人から正解がもらえるものを選んで、なかなかの評価をもらって「自分イケてるな」と思いこんでしまう。表面だけをなぞったような喜びや安心感で、自分を満たす。半分違うなと思いつつ、半分正解だと信じ込んで。


学校とか会社とか日本とかでは間違ってるかもしれないけど、自分の中では正解なんだ。

半分違うままでも、人生が終わるわけでもなく幸せじゃないわけでもないから良いのはいい。いいんだけど、「なんだか自分の人生こんなもんかあ」と思ったりもする。総合的に考える結果がいつも自分を満足させるわけじゃないと、常に分かってるつもりでいる。ネットで調べたり人に相談しないまま、自分の偏見だけであんまり考えずに重大な決断をしてしまってもいいんじゃないかと思う時もある。"総合的"な判断じゃなくて、純粋な自分の気持ちに応えれたらもっと幸せなんじゃないかと。

自分に夢中になってたら、他人は自分の中に入っては来ない。他人が入ってるということは、自分に夢中になってないだけだから。
冬に半袖シャツを着ていたとして、他人がどんなに「それはおかしいよ」と言ったとしても、「てめえの世界では間違ってるかもしれないけど、自分の中では正解なんだ」「そんなん知るか、俺はこれが良いんだ」と反対意見をゴリ押して、今よりももうちょっと自己中に考えてみるのも良いな。

「たくさんの普通があるよ」とか「みんな違ってみんないい」ということじゃなく、「普通じゃないかもしれない」「みんなと違って結構ダサいかもしれない」それでも自分は自信を持って生きてゆく。そういうのが大切なんだと。「ダサくてキモいのは分かってる、でも俺はそれでいいんよ。なぜならこれが好きだから」っていう人は、周りから見ると全然イケてない、ダサい人間かもしれない。でもほんとはそれで上手くいっている。


なにを受け取ってもいいし、どう解釈してもいい

実際に世の中で起こっていることはそんなに大事じゃなくて、それをどう解釈するか。事実に対する解釈こそが真実となって、その人にとって意味のあることになる。どう受け入れるか、どう考えるかが大事。こういう話は色んなところで聞くけど、さらにもう一つ、「なにを受け取るか」という大事な要素がある。

「なにを受け取るか」は、事実に対して自分がどのレベルまで情報を得られるか。例えば、ある曲に対して音楽に詳しい人は「悲しい曲だなあ。」「こういうことを伝えたいんかなあ」とか思うかもしれない。でも音楽的素養のない人は、そういうのが分からない。聴いてるけど聴こえない、伝わらない。日本のワビサビが外人には上手く伝わらない感じ。「受け取る力」は時間をかけないと身につかない。

脳科学的な視点で見ると、
外界に存在しているかどうか。感覚器官が刺激を受け取ってるか。と言うことは重要ではなくて、頭の中のニューロンが存在するかどうかが重要。
「存在を感知する脳回路が相応の活動をすること。事実と真実違う。実際の世界である真実なんてどうでもよくて、脳の活動こそが事実足りえる。

「なにを受け取って」「それをどう解釈するか」。
これを適当に、自分の都合の良いように楽しく変えていけば良いんじゃないかなあ。


正直、今日だけ楽しけりゃいいよな

あぁ、この時間がずっと続いて欲しい。。。と思えるような毎日が続けばいいな。自分の人生を意味あるものにしようとして"先のために"勉強をがんばったりコツコツと努力する毎日ではなく、その瞬間瞬間の楽しいことを死ぬほど頑張って生きた、その先に自分がいる。

無意味だと思っていることにも意味がある。後になにも残らないと思ってしまう快楽的な楽しさも、終わってしまえば寂しくて、振り返ると愛おしくて、悲しくほど良い思い出になる。いつの日にか終わってしまった楽しい日々を思い返すたびに、少しだけ胸が締め付けられるような感覚になる。


0点も多いけど、100点ある人に

「次はやろう」「次は言おう」と諦めて、その「次」が来なかったことが何度あっただろう。ずっと続きそうなことにも、最後はある。みんなそれに半分気付いていながらも、半分は忘れて生きてる。「もう後はないんだ」と言い聞かせても、他愛もない行動にどれだけ気持ちを込めても、本当に本当に「次」がこないことに気づくのは、「そのあと」になってから。

だったら出来るだけ「次」をなくそう。変なことしよう。楽しいことしよう。
遊ぶなら始発から終電まで。
飲み会やるなら幹事。
部活やるならキャプテン。
焼肉なら叙々苑。
サラリーマンは社長を目指す。
レストランでは1番高級そうなものを。
叫ぶなら大声で。

0点も多いけど、100点もある人間に。自分の周りにいる極端な人は、めちゃくちゃ魅力的で楽しい。周りから見たら痛くて、気持ち悪くて、変なやつでも自分良ければ全ていい。変なことしよう。
みんなから指差されて笑われてるヤツが、ほんとは1番上手くいっている。

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