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沖縄のこと

トンボさんが、いつか沖縄のことを記事にしてはと、おっしゃって下さったので、早速書かせていただきました。


高校生の時、初めて沖縄の石垣島に船で行きました。

泊まるところを決めてから、船に乗るという発想がなくて、港で客引きに来ていた民宿のおばさんに誘われるままにつ

いていきました。

島では、毎日蝶々ばかり追いかけてました。

ある時、あんまり人気のないところで飲み水がなくなったので、フラフラと民家に入って行ってドアを叩き、水をくださいと、お願いすると、家にあげてくださり、ソファーに坐って冷たい麦茶をごちそうになりました。

その後、急に天気が変わり土砂降りの雨のなか、バス停でバスを待っていたら、近くの見知らぬおじさんが、「バスはしばらく来ないさー」とおっしゃり、民宿まで軽トラで連れて行って下さいました。


「いちゃりばちょーでー」という沖縄の言葉があります。

一度会えばみんな兄弟という意味です。 

沖縄の人は、皆さんそんな感じで接してくださるような気がしました。

一週間もいると、何だかずっとここにいるみたいな気がしてきました。

夜になると酒盛りでした。
「何で飲まないねー」って不思議がられましたが、高校生でしたのでジュースで勘弁してもらいました。

毎日、蝶を採りに行く私に、おばさんはお弁当を作ってくれました。

10日ほどいてそろそろ帰ろうかなぁと思っていたら、運悪く台風がやってきて帰れなくなり、雨が降るので蝶も採りに行けず、だらだら宿にいましたので、ずっとお昼ごはんもお世話になりました。

帰る日になって料金の精算をしてもらうと、あれだけ作ってもらったお弁当とお昼ご飯代はいらないと言われ、お土産にパイナップルをドッサリ持たせてくれました。

沖縄の人はみなさん優しいです。

でも、その優しさが何かチョット違うんです。内地とは。

(内地とは、うちなーじゃない日本のこと)

すっかり沖縄のことが好きになった私は、進学先を沖縄の大学にして、4年間、沖縄に住んでいました。

1,2年生の時は、下宿をしていましたが、大学が移転し、3年生で下宿を出てアパートを借りることにしました。

引っ越しの時、下宿のおばさんが、「必要でしょ。持っていったらいいさぁ」っておっしゃり、使っていないのがあるからと、中古の冷蔵庫と洗濯機をくださいました。

私は、アパートに引っ越しましたが、電話を持っていませんでした。(携帯電話のない時代です)でも、不便を感じませんでした。

というのも、隣の部屋の金城さんがお宅の電話を使わせてくださっていたからです。

(金城さんはたまたまアパートの部屋が隣になった方で、元からの知り合いではありません)

実家から電話があると「電話だよー」って呼びに来てくれました。

ご主人は琉球ミートにお勤めで、よくソーセージなどをもらいました。

家庭教師をしばらくしていました。

最初の話ではただ勉強を教えるだけだったはずなのですが、いつの間にか晩ごはんを食べさせていただくようになり、そのうち晩ごはんを食べに行っているのか、勉強を教えに行っているのか分からなくなりました。

ある時、家庭教師をしているお家のご主人に、車でリゾートホテルのビーチにご家族とともに連れて行ってもらいました。

貧乏な学生でしたので、後にも先にもそういうビーチに行ったのはその一回だけでした。

大学生の時、沖縄で車の免許を取りました。

沖縄で車の運転をされたことのある方は気づかれたんじゃないかと思いますが、右折しようとすると、対向車が止まってくれて、待ってくれることがよくあります。

その車の後ろに車がつながっても、こちらが曲がるまで待ってくれます。

後ろで待っている車も、のんびり待っていて、クラクションは鳴らしません。

沖縄には、「ゆいまーる」という言葉もあります。

助け合いという意味だそうです。

沖縄の方はごく自然に助けて下さいます。
それが当たり前のように。

沖縄に観光に行かれた方は、なんとはなしにそのことに気づかれたのではないでしょうか。

沖縄の方々のこころの底には、いつも優しさが流れている気がします。