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芍薬と"雑草"

 先週の土曜日に買ってきた芍薬。二つとも、買ったときは、まだ蕾だった。一つは翌日咲いて、もう一つはまさに私の目の前で花ひらこうとしていたけれど、ついに蕾のまま力尽きた。

 "立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花" このことわざに出てくる三輪の花の中でもっとも好きなのは、小さいながらにも樹木である牡丹なのだが、最近"雑草"に思いを馳せるようになってから、芍薬にも目が向くようになった。牡丹と芍薬は見た目がよく似ているが、違いは花ではなく茎を見るとわかる。牡丹は木、芍薬は草である。

 「この世に"雑草"なんて植物は一つもない」というのは、いつかのバタ子のスナックnoteでも紹介した、道端に生えている"雑草"の本当の名前を書くプロジェクトから借りてきた言葉。

 "weed"というのは"雑草"という意味なのだが、実はもう一つ意味を持っている。"マリファナ"のことを、人は"weed"と呼ぶ。私は、一度もその本物の姿を目にしたことも、体験したこともないけれど、植物を愛する者として、"weed"と乱暴な隠語で呼ばれ続けてきたその生き物に、興味を禁じ得ない。ポートランドのライフスタイルマガジン「KINFOLK」の元クリエイティブ・ディレクター、アニヤ・チャーボノーが編集長をつとめる雑誌「Broccoli」を取り寄せたのは、ちょうどコロナ禍が始まろうとしていた、ダイヤモンドプリンセス号の惨事真っ只中の2月の出来事だ。

 Broccoliの巻頭ページは、アメリカの詩人であるエラ・ウィーラー・ウィルコックスの言葉から始まる。「Weed is but an unloved flower」(マリファナは、誰からも愛されることのない花に過ぎない)ものすごい表現…たくさんの人に、密かに愛されてきた、けれど、"社会"には愛されなかった。"社会"に愛されない、受け入れられないことが、「誰からも愛されない」という表現になってしまうなんて。

 ウィルコックスの詩で有名なのは、「Solitude(孤独)」というのの一節。

"Laugh, and the world laughs with you. Weep, and you weep alone."
君が笑えば、世界は君とともに笑う。君が泣けば、君は一人きりで泣く。

 Broccoli magazineには、"社会"でまだ認められていない女性のクリエイターやアーティストが筆を寄せている。その中に、「生け花」がコンテンツとして取り上げられている。左右対称、空間をみっちりと埋めるフラワーアレンジメント文化圏からしたら、空間を味わうために花を生ける「生け花」は、カウンターカルチャー、サブカルチャー的な要素を持っているのだろう。本当にこの世に存在しているのかすら私には疑わしい存在のマリファナが、生け花として生けられている姿を見ると、その美しさに心奪われる。

 草だけれども、しっかりとした茎、花にも負けない存在感のある葉。枝を切り落としても、そのまま生けても、空間が立ち上がる素材。ウイキョウという、料理で使うときにはフェンネルと呼ばれる植物がある。生けていると、ふんわりと天ぷらにしたら美味しそうな香りがして、生けると、その香りとは遠く凛とした出で立ちを醸し出す。なんだか、そんな感じを受ける。

 「誰からも愛されない」「社会から愛されない」というのは、まだこれから愛してもらえる余白があるということでもある。その存在を誰かが知ったら、それはすでに愛に向かっている。それに、誰かから愛されることは、みんなから愛されることよりも尊い気もする。社会全体から「悪」の烙印を押されて、金太郎飴のように、どんな志向を持った人たちからも嫌煙されることにだってなりかねない。いつだって、大多数を味方にすることは、それを一度に失うことと表裏だ。

 芍薬が社会から嫌われることはないと思うけど、そんなの誰にもわからないものね。大事だと思ってくれる人を大切に、大事だと思う相手を大切に、数の多さに屈することなく、背筋を伸ばして生きていきたいものだなあと思う。

 

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