見出し画像

園芸は部活なのだ🌿

 中高女子校だったのだけど(というか幼稚園からずーっと)、部活は園芸部に入っていた。

 大学とか社会人になってから交わされる「なんの部活だったの?」「エンゲイ部だよ」という会話。

 私の部活を聞いたその相手のうちだいたい98%くらいの方々は、「エンゲイ」→「演芸」→「演劇」という思考回路を辿って、「へえ、演劇部だったんだ、ぽいね!」と言う。演劇を観るのは好きだけど、中高の部活で演劇部を選択するほど自分は積極的な性格では無かったので、「ぽいね!」は「演劇部」と言う誤解に重ねてダメージが大きいのだけど、お互いの性格もよく知らない時期に交わされることが多いこの会話で、付属語にいちいち気持ちを揺さぶられていては疲れてしまうのでなるべく心を無にするようにしている。そんなシーンに、引っ込み思案で恥ずかしがり屋の私の性格をよく知っている仲の良い友人たちが側にいる場合、彼らは静かにこの様子を笑いながら黙って聞いていることが多い。

 「あー、いや、演劇だと思われることが多いんだけど、ガーデニングの園芸ね。趣味の園芸の、園芸」という訂正を持って、部活を聞いた人の頭の中は「?」でいっぱいになり、この会話はだいたい終了することになる。

 一部の奇特な方は、「園芸部って、部活の内容はなあに?」と聞いてくれるのだけれど、本当に植物を好きな方でない限り、その活動内容にはついてくることは難しいかもしれない。

 なんか出だしから嫌な感じになってしまったけれど、園芸部は私がとても大事にしてきた活動なので、ちゃんと説明してみようかな。

 活動内容としては...毎日欠かさず学校中の植物に水をやり、枯れている葉があればもぎ取る。(毎週○曜日と活動曜日が決まっておらず、基本毎日が部活。でも、水やりサボっちゃうこともあったなあ・・ごめん植物たち!)エディブルフラワーに興味があって、育てた植物の中で葉が柔らかそうなものにマヨネーズをつけて部員で食べた、先生に注意された記憶もある。食べたい欲求が高かった私たちにとって、夏の気配が近づいた頃、部活のハイライトイベントがやってくる。ひっそりとオレンジ色の実がなる中庭の枇杷の木。3−4つだけ毎年実がなるのだけれど、それを収穫して部員で美味しくいただくのだ。琵琶って、なんであんなに美味しいんでしょうね。そして、ちょうど同じ時期に、秋の学園祭に向けて紫蘇を収穫して紫蘇ジュースを仕込む。夏休みは八ヶ岳に合宿に行く。毎年宿泊するのは夫婦が経営しているペンションで、夜になると蛍が飛ぶ。ハーブ園を巡ったり、八ヶ岳をハイキングしながら、野草の図鑑と照らし合わせて野草の名前を覚える。香りを嗅いだり、摘み取って押し花にしたりする。写真が好きな子は写真を撮ったりもしていた。合宿以外の日は、みんなで当番を決めて水やりに登校する。真っ赤なゼラニウムが咲いて鉄の香りを放っている鉢がかかっているベランダと、誰もいない教室と、学園祭に向けてスパルタ練習する吹奏楽部の練習音が響く校舎のおもむきは、今も夏になると思い出す。

 部活というより、学校の植物との暮らしをとことん楽しむグループ活動みたいな感じだった。勝ち負けを競う青春漫画みたいな出来事は無かったけれど、学園祭になると紫蘇ジュース販売所は割と混み合って、カフェをさばく技量が問われ、ある種の戦い感を味わった。でも、勝負ではなくてみんなで楽しくビオトープを味わう、というのが主旨で、どちらかというと農耕民族まっしぐらな情操教育がなされていたと思う。激情するような感情の動きは無くても、部活で繋がった先生や部員とのゆるい距離感と、植物との関係はとても居心地が良くて、自分らしい青春の思い出である。現在、一人暮らしの部屋で生活を共にする12鉢の植物たちとは、部活的な関係性が構築されている気がする。褒めると、良く育つし、綺麗に咲くし、植物とのコミュニケーションは存在すると信じている。

 話が長くなったけれど、今日この話を書こうと思ったのはフランスを震源地に、道端の雑草の名前を書くムーブメントが広がっているという記事を読んだから。


「雑草なんていう名前の草はない」というのが、心に響いた。フランス人のボタニストSophie Leguilは、イギリスに住んでいて、このキャンペーンをフランスで始めた後、イギリスでMore than weedsというプロジェクトも立ち上げたそう。

 明日からの散歩は、見つけた植物の名前を一つずつ調べてみるという楽しみが増えそうですね。


この記事が参加している募集

部活の思い出

よろしければサポートお願いします!いただいたサポートは、執筆の取材活動に使わせていただきます!テーマのリクエストがあればコメントください!